私は、自分の酒量を把握して適量を嗜むのか真の「お酒のみ」であると思います。
必要以上に、アルコールを摂取すれば、体にも当然良いわけないのに。
なぜ、必要以上に酔わせる風潮、特に、会社社会にあるのであるのでしょうか。
お酒をたくさん飲むことが社会人、会社人、大人としての嗜み(飲めない奴はダメな奴)であり、酒を飲んでの「無礼講」の中で「本音」を語り合うことが団塊世代の社員等同士の「融和団結」に結びつくという認識があるなのではないかと思うのです。
その、結果として、なにをもたらしたか、「融和団結」どころか、「新人社員の宴会離れによる意思疎通不足」、「若者の急性アルコール中毒による組織の不利益(業務ができない損失)」及び「急性アルコール中毒者本人の不利益(健康被害、場合によっては生命の危険、多額の治療費)の3つの弊害を生み出しており、不幸にもお亡くなりになる方がいらっしゃるのが現実なのです。
そのような「くだらない」ことで若い貴重な命を落とすことは愚かしいにもほどがあると思います。
また、遺族の方の心情をお察しすると「くだらない」ことで大事な息子や娘を失って悔やんでも悔やみきれないと思うのです。
そのような悪しき風潮を作りあげ確固たるものにしたのは、団塊世代(私もそうであるが)であり、責任は重大であると考えます。
問題として、酒を無理強いする当事者達は、「それが正しいことである」と盲信しているわけで現状においてそれを改めるのは極めて困難であると思います。
そこで、彼らの認識を改めるのは、団塊世代との世代交代を担う20代~30代の若い世代の新しい認識構築であると期待しているのです。
これからの若い世代に、真にお願いしたいのは、社員に一人々の酒量を把握(部下の健康管理面の観点より)して、飲めない社員には、ウーロン茶等を積極的に勧めて労わり、普段出来ない社員の身(心)情把握に努める等の宴会の主たる目的たる「社員の親睦を図る」という習慣、雰囲気作りに努めて頂きたいと思うのです。
旧悪「飲みにケーション」を廃して、真に必要である「飲まなくてもコミュニケーション」になる日を若い世代に託して、いつの日か酒による悲劇がなくなるのを祈願してなりません。