母は外ではどうしてあんなに社交家になれるのだろうか。
家での母とはまったく別人だった。
私達には不満を言ったりするのに、外では徹底して「いい人」になる
「味噌汁が冷たい」、「食べ物に味がない」
と私達に言っても、施設の方達には決して言わない。
私達が訪ねていくと、すれ違う施設の職員の方達を誰彼なく、
「この方すごくいい方で、お世話になっているのよ」
と私達に褒めちぎって紹介する。
長い間外で母が身に着けてきた「処世術」なのだろうと、感心する。
その「処世術」のひとつとして使われたのが、ゆで卵器だった。
施設ではわずかなお金しか所持できない。それ以外は施設に預けておかなければならず、そのための管理料を月々差し引かれた。
(この預けたお金は、突発的な医療費、買い物代などに使われ、月々きちんと明細書も送られてきた)
施設に入る前までは、母は自由になる年金で、あちこちに贈り物をしていた。入院中にたった数日同室になった人にまで届け物をした。
ところが、施設ではそんなことはできない。その替わりに配ったのがゆで卵だった。
ゆで卵器は一度にゆで卵が6個できる。卵と水を入れて、電気をオンにするだけだから簡単だった。
できた卵を、職員の人や、施設のお友達にぽんぽんあげた。それが、喜ばれたらしいのだ。
また、仲良くなった人達と、自室でゆで卵やお菓子でパーティー(?)をやった。
碁を教えてくれたおじいさんや、母が後に困り果てるほど部屋によく来ていた女の方など何人かで。
お茶やコーヒー、紅茶も入れた
とにかく母の冷蔵庫には食物が豊富に入っていたし、その方達との分として、パンやハム、焼き鳥、お寿司など、いろいろ買い物を頼まれた。
入居してしばらくしてから、母は施設の朝食がまずいと言って、部屋でのパン食を望んだ。
パン食といっても、母ができることは、ゆで卵と、ハム、チーズ、果物くらいの準備だった。
それを、後に施設長になったケアマネさんが特別に許可してくれたのだ。
母は本当に「得な人」だった。
この施設での生活を、母が心から楽しんでいたのかどうか、私には分からない。
もしかしたら、ただの「強がり」だったのかもしれないし、遠慮のない「自分のお城」としてある程度満足していたのかもしれない。
母は私にも、仲の良いお友達にも、決して本心を言わない人だった。
施設の方達は、施設長を含め、皆さん本当にやさしかった。私がひとりで訪問して遅くなった時など、暗い中バスを待つのを心配して、ちょうど帰る時だと言って、車で送ってくださった方もいた。
その方の手は、お気の毒なほど荒れていた。
けれど、すべて良く思えた施設にも、問題点がいろいろでてきたのだ。(続く)