早朝、地下鉄に乗って新宿に行く途中、隣のオジサンがやたらと独り言を言っている。
低い声でブツブツと。
スゴク耳障りだ。
イラッとする。
幸いすいていたので、別の席に座ってやり過ごす。
新宿で京王線に乗り換える。
幸い席が1つ空いていたのでそこに座り、調布までの間眠る事にする。
とたんにパチンパチンという音。
・・・我慢。
パチンパチン、パチンパチン・・・
何の音かと思い目を開けてみると、前の席に座っている良い所の小学生の爪を、セレブ気どりの母親が切ってあげている。
・・・家で切ってこいや。
イラッとする。
我慢をして目を閉じる。
爪切りが終わったのか、音が止む。
やっと終わったのかと思い見ると、お婆さんが親子の前に立っているのが見えた。
どうやら前に止まった駅で乗車したようだ。
老人には席を譲る。これは『当たり前』の行為。
自分が譲ろうと思い、席を立とうとしたところ、セレブ気どりの母親の目が老人の顔を見た。
ああ、この人は老人に席を譲り、自分の子供に道徳の大切さを教えるのだなと思ったが、母親は嫌なものでもみたと言わんばかりに目を逸らして、寝たフリまで始めた。
イラッとする。
金を持っていても、どんなに良い学校に子供を通わせていても、心の中は貧しい。
俺は老人に席を譲り、席を立った。
・・・チリン、チリン
鈴の音がうるさい。
チリンチリンチリンチリン・・・
子供の鞄に付けた鈴が、子供が足をバタバタさせる度に鳴っている。
少しだけならば良い音に聞こえるだろう鈴も、こうなっては騒音だ。
イラッとする。
子供が音を立てているのに注意しない親、しかもその鈴は何の為に付けているんだ?
熊避けか?
それとも子供がどこにいるのか解りやすいようにか?
とてもイラッとする。
調布で橋本行きに乗り換える。
太陽がとても眩しい。
いくら自然界の事とはいえ、ブラインドを下ろそうが、目を閉じようが容赦なく襲ってくる光。
イラッとする。
明日からは絶対に進行方向左側に座ろうと心に決める。
橋本で降りて、なか卯に入る。
食券販売機の前に中年男性のサラリーマンとOLであろう女性が並んでいる。
サラリーマンが食券を選び、買った後、OLは手持ち鞄からサイフを探すのに手間取り、小銭を確認するのに手間取り、やっと食券を買って席に行く。
とてもイラッとする。
目の前のサラリーマンが食券を選んでいる間に、財布を出して小銭を確認しておいて欲しい。
相模線に乗り換えて、現場近くの駅に行く。
その車内で、大きな独り言と小さな叫び声を上げている障害者がいる。
イラッとする。
障害者だからイラッとするのではない。
『障害者だから許されると思っている社会』にイラッとする。
自由の名の元に、差別の無い社会を作る為に、皆が幸せに暮らせる社会を作る為に、許されるべき事にイラッとする。
・・・
・・・・・・
異常者の見分けがつかない社会。
異常者でもいい世界?
だから
『裸の女の子を抱えている小太りの男に誰も注意しなかったし、誰も関わらなかった。』
のか。
という思いに至る。
そして、
『こんなにも小さなイラつきが、フラストレーションが溜まるから、通り魔が増えるのは当たり前だ。』
と感じる。
よく犯人が「社会が悪い。」と言い、それを責任転嫁だとする識者のコメントがあるが、神経質な人間にとってはこういう小さな積み重ねがチクチクと心を蝕んでいく元になる。
まあ
犯人は得てして『許容量が低い』んだけど。
俺?
面倒だし、非常にリスキーだというのを知っているからあんな事は絶対にしない。
ストレス解消が他にあればいい。
『犯罪行為をする』のがどんなに割りに合わないか・・・
1を消すのに10を貰うような事は実に意味がない。
本末転倒もいいところだ。
でも、それでも『魔が差す』のが人間の怖いところだよな。
自分も、貴方も、貴方の周りの人も、貴方の知らない人もいつ『魔が差す』か解らない。
だから、無関心でいないで、せめて最低限の注意を周りに向けて欲しい。
魔に刺されないようご注意を。