篤志家のあのかたは清志といふ名前のかただった
篤志家のあのかたは清志さんというかたでした。
(中南米マガジン・8号の裏表紙、持ってるかたはご覧ください。)
ご自分の作品の売り上げには(たぶん)なーんも影響ないかもしれない(すまん)
中南米マガジンに広告をくださった。
「成長を見守りたい」ということで、下さったそうだ。
もちろんそんな風に袖をちょっと摺り合ったよーな気がした時より前に、
80年代多摩育ちのお子さんたちは「トランジスタラジオ」や「たまらんざか」で
ちょっと「えっへん」と胸をはる気分にもなり、四角いコンクリート塊のような、
彼の出身校の校舎をほほーと眺めたもんだった。
その他その他色々思い出すことはあるけど、このへんにしておこう。
ともかくありがとう。
でもって残念です。
(今まだまだあたらしい音を聴きたいようなんて、一方的な客のエゴなんだなごめん)
ありがとう。どこかでまた。
往年の「ビックリハウス」で「感電こざる(小猿)」と命名されていた清志さん。
(TVのニュース速報みたいのでセイシロウと誤読した兄ちゃんの映る画面に向かってつい罵倒してしまった、
バーロてやんでぃなにいってやがんだ、あたしは80年代育ちだはんで。)