オーバーホールされたグラトラBBのフロントフォークを組み付けたが、寒さにゃ勝てずに試運転にも出てない根性無しのオッサンです。
組み付け画像の前に、どうしても書きたいネタがありまして。
といっても毎度の旧海軍と艦船模型ですが(^_^;)
幼少の頃から旧海軍艦艇が好きだったが、年齢と共に興味対象が航空母艦から重巡洋艦へと移ってきたその切掛。
小学生が自分のお年玉や小遣いを貯めて買える艦艇プラモデル。
当時「30cmシリーズ」として販売されていたモーターライズで水上を走らせる事が出来る物だった。

お借りした画像
モーターや電池ボックスといった機関部がユニット化されていて子供でも簡単に組めたので、何隻作ったか解らない。
スクリュー部から浸水しないようにマーガリンを詰めたが、船体が小さく喫水線が浅いので水を被り、半数以上が野池に沈んでいった悲しい思い出。
友人が米戦艦ミズーリだかサウズダコダの大きなモデルを持ってきたのが羨ましくて、Xmasにねだって買って貰ったのが重巡洋艦 妙高の1/350フルハルモデル。

アオシマ製だったのかは定かでは無い。
箱絵は右向きだったような。。。
妙高が欲しかった訳では無い。
「大きな戦艦のプラモデルが欲しい」と聞いた親父が訳も分からず買って来たのだ。
とにかく60cmになろうかという大きな船体に大はしゃぎ。
小僧の私 「すげー! この戦艦 魚雷まである! 重巡洋艦ってなに?」
親父「・・・・・ 戦艦の重くて強いヤツだろ」
小僧の私 「妙高? なんて読むの?」
親父「・・・・ 分からん。自分で調べろ」
小僧の私「あれ? モーターが入って無いよ? スクリューも回らないし 水の上を走らせる事出来ないじゃない」
親父「そういうのを自分で走るように作るのがプラモデルの楽しさだろ」
今考えたら なんとも無責任な親父だったな。。。
妙高の漢字が読めず、妙⇒砂と解釈して「さたか」と命名し
大人の今ならラジコン化さえ不可能ではないが、所詮は小学生。
釣用鉛を艦底部に油粘土で固定して、転覆しないようにするのが精一杯。
モーターで走る事はできなかったが、なんとか無事に御本丸公園の噴水池で進水を迎えるのでした www
太平洋戦争時の帝国海軍重巡洋艦(一等巡洋艦)は大きく分けると 6タイプ。
竣工年代順に
・古鷹型 (姉妹艦 加古)
・青葉型 (姉妹艦 衣笠)
・妙高型 (姉妹艦 那智 足柄 羽黒)
・高雄型 (姉妹艦 愛宕 麻耶 鳥海)
・最上型 (姉妹艦 鈴谷 愛宕 熊野)
・利根型 (姉妹艦 筑摩)
※青葉型を古鷹型改とする書物も有り。 また最上型・利根型は最初 ロンドン海軍軍縮条約の為に排水量を誤魔化し15.5cm砲を積み軽巡洋艦(二等巡洋艦)として建造される。なので重巡なのに山の艦名ではなく河川の艦名。
後に20.3cmの主砲に換装され重巡級となるが、書類上は最後まで軽巡のまま。
今でも重巡の中で一番 ”カッコイイ”と思っているのが妙高型。

手前 古鷹型二番艦「加古」 奥 青葉型一番艦「青葉」
形は悪くないが、やはり旧式感が否めない
手前 妙高型一番艦「妙高」 奥 高雄型一番艦「高雄」
現在のイージス艦を思わせる艦橋で人気の高雄型だが、やはり無理くりした艦橋が大きすぎる。甲状腺の肥大したカバと言ってはイケマセン。
やはり妙高型の船体と構造物のバランスは絶妙!
手前 最上型三番艦「鈴谷」 奥 利根型二番艦「筑摩」
うわ!? 艦橋 小っさ! 前甲板 長っ!
勿論 各艦ごとには狙ってこの形になった理由があるし、秀でた性能があるのは承知。
あくまでも”かっこ良いか?否か?” の基準ねw
その最も格好良い重巡妙高型も帝国海軍艦艇に多い四姉妹
・長女 妙高 昭和4年/1929年7月31日竣工
・次女 那智 昭和3年/1928年11月26日竣工
※竣工は長女より早いが起工日が約一ヶ月遅い。御大礼特別観艦式に参加が決まっていたので間に合わせる為
・三女 足柄 昭和4年/1929年8月20日竣工
・四女 羽黒 昭和4年/1929年4月25日竣工
※末っ子も長女より竣工が早い。呉海軍工廠で建造予定が変更され三菱長崎造船所で建造された為。民間客船も作っていた造船所なので居住性が一番良かったとか。
左から 長女 妙高 次女 那智 四女 羽黒
あれっ!? 三女 足柄が居ないっ!!
製品化したのが海外出版社なので足柄の重要性が判っていないのか、戦艦・正規空母・重巡の中で唯一彼女だけがモデルアップされていない。
他の姉妹のように海戦参加の機会より 警備・輸送任務に従事する事が多かったから?
けっして合コンで失敗続きだからでは無いと思うが。。。えっ?
有名なので知っている方々も多いと思うが、そんな可哀想な足柄のお話し。
大正13年/1924年10月25日 ワシントン海軍軍縮条約による制限の基準排水量10,000t以下という条件の中で、20.3cm主砲10門という世界的に類を見ない「重火力武装巡洋艦」の妙高型三番艦として足柄は建造が始まる。
設計したのは今度も天才鬼才 平賀譲海軍造船大佐。
平賀は妙高型を重火力型として設計し、10門の主砲を10,000t以内に収める為と誘爆の危険性を考え、魚雷を持たない艦として設計。
実際に水雷戦の時は軽巡と駆逐艦が水雷戦隊として行動する。
しかし海軍は「魚雷が無いなんて巡洋艦ではない!」と。
それでも「平賀譲らず」と称された大佐は海軍の要求を突き返したため、設計主任を解任されヨーロッパ視察へ命じられる。
平賀が居ない間に海軍は後任の設計者に命じるが、後任も「そんな魚雷なんか積んだら10,000tをオーバーちゃいますよ~」と要求を断るが、海軍のゴリ押しで結局は魚雷を積むことに。
最終的には20.3cm連装砲5基10門 61cm三連装魚雷発射管4基12門という、とんでもない攻撃力を持った艦となったが、排水量10,000tをオーバーした条約違反の重巡が出来上った。
昭和12年/1937年5月20日 ジョージ6世戴冠記念観艦式に招かれ遠いイギリスまで航海した足柄は、ヨーロッパの人々から「飢えた狼」と称され、イギリス人記者からは「今日私は初めて軍艦を見た。今まで私が見てきたのは客船だった」とも。
これを聞いた日本海軍のお偉いさんがたは大層喜んだとか。
しかしこの評価は外人さん特有のブラックジョーク。
その真意は 飢えた狼のような戦う事しか考えていない気品のや優雅さの欠片も無い。
居住性なんかまるで考えてない無骨な船という皮肉。
当時イギリスでは世界中の植民地まで長い間航海するので、居住性や「女王陛下の軍艦」とゆう威厳も必用だった。
根本的に日本の軍艦とは求める物が違っていたので仕方がないと思うのだが。

KKワールドフォトプレス発行 「帝国連合艦隊」から
戴冠記念観艦式らしい 小松崎 茂 先生の絵 足柄の奥にはイギリス巡洋艦。 確かに客船みたいなシルエット
太平洋戦争が開戦
昭和17年/1942年2月 足柄はスラバヤ沖開戦で四姉妹揃って出撃し、協力して連合軍の艦艇を8隻沈没させるなど大勝利。
その後シンガポールに逗留してインド洋に展開するイギリス海軍に睨みを効かせる警備・護衛行動をとったりと主戦場からは遠のく地味な任務に。
昭和19年/1944年10月、レイテ湾海戦には志摩艦隊として参戦するも、彼女が見たのは駆逐艦「時雨」を除いた西村艦隊の全滅という悲惨な光景。
昭和19年/1944年12月、度重なる空襲により元気に動ける艦が少なくなり なんとか寄せ集めた艦と共にフィリピン ミンドロ島の夜間砲撃に参加。哨戒中のB25から爆撃を受け中破するも航行に支障は無く、輸送船1隻を大破、さらに海岸へ砲弾を撃ち込み、上陸拠点や物資などを焼きつくすことに成功。
南シナ海域で残存兵力とともに輸送任務に着いていた足柄にも最後の時が。
昭和20年/1945年 6月、足柄は駆逐艦「神風」と陸軍兵士をシンガポールへ運ぶ任務に。
その途中、イギリス潜水艦「トレンチャット」から放たれた魚雷5発が彼女に突き刺さるが、
「飢えた狼の称号は伊達じゃない!」と轟沈する事をギリギリ我慢する。
彼女の最後の頑張りのおかげで ほとんどの乗組員が神風に救助され、
終戦わずか2ヶ月前の6月8日、輸送任務のため魚雷を積めず「牙の無い狼」となった足柄は、バンガ海峡へと静かに消えていくのでした。
合掌。
2022.11.24.-部加筆