ひょんなことからスタジオを経営するはめになった。


「はめになった」と言うと嫌々やっているように聞こえるかもしれないがそうではない。

自ら進んで行動したのが事実である。


中学二年生の誕生日にヤマハのアコギを1万円で買ってもらってから二十数年来、僕はバカみたいに音楽を作ってきた。


その作品が売れる売れないは別としても自分なりに真剣に、体の一部を剥ぎ取りながら大切に作ってきた。


二十歳台の僕は誰もがそうであるように、バカみたいに週三回リハをし月2,3回ライブをし、ワンマンをやったりツアーにでたり、一瞬デビューしてみたり。

しかし止まると死んじゃうマグロみたいな生活に疲れ果て泳ぎを止めたらやっぱり死んだ。

丸々一年死んだ。

毎日120%の力を出しながら生きてきた十年を一度清算するにはやはりそれだけの時間が必要だった。


その後、人に歌詞や曲を書いたり、プロデュースをしてみたりしながらも、やっぱり自分の作品を作り続けている。

若者時代と違い非効率的なリハやライブや打ち上げ、夜遊びをしなくなったおかげで、今はどうにか生きながら音楽を続けることが出来ている。




「120%全開、死ぬ手前で作った音楽と、だましだまし生きながら作った音楽」の違いは無い。

これは僕が今現在たどり着き感じたことのひとつだ。

見た目、聴いた目は違うかもしれない。

見た目は太ったし聴いた目は若者よりわかり易い無謀なパッション的要素がやや薄れるかもしれない。

しかしそれは人の判断であり僕には全く関係の無い話だ。

要は気持ちだ。

どこまで自分で納得できた上で発表するかということに尽きる。

その点で言えば「120%全開、死ぬ手前で作った音楽と、だましだまし生きながら作った音楽」の違いは僕の中には無い。




それにあのまま走り続けていたらきっと僕は気が狂っていただろう。

あの音楽生活に疲れ果てなかったら僕は一年どころかきっと死んでいただろう。

ある意味僕は生きるほうを取ったのだ。

これを格好付けてると捉えるか、結局お前は本物じゃ無かったと嘲るかはあなた次第だ。

何を思ってもらっても構わないが、希望としては「そういう人もいるだろう」と受け取って頂けたら幸いである。




しかし若者時代にしか出来なかった事と今だから出来ることの違いはある。

失ってゆくモノも多いがその倍くらい未知なモノが頭の中に生まれてくる。

刺激的でビビッドな点だったモノは今や色あせた染みのようにも見えるが、

次第に周りに点在する色違いの染みと交じり合い融合していく。

モワモワと時間をかけて動きながら、僕の意思とは別の時間軸を使っているように。

そしてそれらが重なった時に一瞬生まれる濁りが日常に明け暮れる僕の心をわしづかみにして、立ち上がれないほど震わせるが、その後とても深い透明感が生まる。

今はそういう音楽を作りたい。