凛 〜りん〜
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第1話 「プロローグ」
第2話「最初の事件①」
第3話「最初の事件②」
第3出場 「静かで、世界一優しい救助法」
現場へ向かう川端の吐く息は白く、漆黒の闇の中で川端を含めた隊員の吐息だけが静かに響いた。
暗闇とシンとした静けさが不気味な雰囲気を作り出していた。
数々の災害現場を経験した川端は、この気配か
何か嫌な空気をすでに感じていた。
これまでも、自殺企図者の救助事案に出場しなかったわけではない。
ある時はリストカットをした自殺企図者の手から刃物を取り上げ、救急車内に収容したこともあった。
しかし、今回の現場は何か違うと、川端の消防官としての本能が危険信号を脳裏で発していた。
現場へ着くと、異様な光景が川端の目に飛び込んできた。
まだ十代だろうか、幼い少女が二階建ての家の屋根に上がり、すすり泣いていた。
少女は寝間着のまま屋根に登り、今にも落下してもおかしくないほど、屋根の際に立っており、両親が必死に娘に対し呼びかけていた。
川端は少女を刺激しないように、静かにまず両親のもとへ向かった。
「消防隊の隊長の川端です。今回、娘さんがこのような経緯になったキッカケが少しでも分かれば教えてください。」
川端は少女に聞こえない程度のか細い声で両親に話しかけた。
「出来れば彼女をあまり刺激させたくありません。何か分かれば教えてください。」
川端の問いかけに、当初少女の両親は躊躇していたが、重い口を開け、川端に事情を説明した。
「あの子は可哀想な娘なんです。あの娘は被害者なんです…。」
少女の両親は恐ろしさに震えているよりも、怒りに震えているようだった。
「あの娘はまぁ、なんと申しましょうか…。実は性的暴行を受けた過去がありまして…。実は、それ以来精神的にやられてしまって…。急にフラッシュバックというのでしょうか、発作的になることがありまして…。今日も、急にその発作が起きたと思ったら、屋根に脚立を使って登って、飛び降りようと…。」
娘の父親は、娘を守ってやれなかったという責に問い詰めているのだろうか、無念そうに涙を浮かべながら川端に語り出した。
「事情は分かりました。あとは、お任せください。」
川端はそう言うと、ヘルメットを脱ぎ、隊員を集め、耳打ちをした。
「娘さんを刺激したくない。周囲の野次馬は排除しろ。後着の特別救助隊には、二次災害防止のためのスーパーソフトランディング(エアークッション式自立型救助マット)を用意するように無線を送れ。なお、無線も傍受される可能性があるから、車外ではなく車内で無線のやり取りを行え。いいか、絶対に助けるぞ!」
明瞭簡潔に部下に指示をすると、川端の部下たちは「了解!」とだけ小声で言い、各隊員が与えられた任務を遂行した。
信頼関係を最大の武器とする消防では、この災害現場での意思の疎通が災害現場の沈静化への大きな足がかりとなる。
川端と部下達は厚い信頼関係で結ばれていたため、部下達は川端の必要最低限の命令で全てを理解し行動した。
要救助者の精神状態を考慮し、静かにその作業は行われた。
川端はヘルメットを置き、顔が良く見えるように少女の方に向けた。
「こんばんわ。夜中だから凄く寒いね。何か嫌なことがあったのかい?僕は職業柄、人の話を聞くのが得意なんだ。もし良かったら、僕でよければ話を聞きたいんだけど、話してないかい?」
川端は、まるで我が子に話しかけるように、静かに話しだした。
川端の声だけが、深夜の住宅街に小さく響いた。少女は、最初は泣き叫ぶだけだったが、次第に川端の発する言葉に耳を傾けるようになっていた。
『いける!必ず助けることが出来る!』
川端は少女の気配を感じ取り、心の中で確信した。
要救助者の安全が最優先されると考え、川端は時間をかけても、しっかりと要救助者の心の不安を取り除き、要救助者がしっかりと救助の手を受け入れる体制を作っていった。
しばらくして、遠くの方からサイレンが聞こえた。そのサイレンは近くまで来たことが分かるくらい大きくなった。少女はその音に過敏に気づき、再び身構えた。
災害現場である家の前で、一台の消防車両が停車した。停車したのは、鈴森が乗る指揮車だった。
続く…。

