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offiliia フワッとユルユルたまにビューーン

基本インドア時々バイクで徘徊

OSHO本『112の瞑想秘宝法の書(上)』

第三部をようやく読み終えましたーネガティブ


まぁ、違う本読んでたからね…

そら「ようやく」読み終えた感満載な訳で魂が抜ける


なんだったらもう三部の最初の方は覚えてない

くらいなんですけどね真顔


でも。


『ヘェー』とか『ホォー』ってところは

付箋貼ってるからっ!


私、付箋貼ってるからっ‼︎

2回言った。なんのアピールなんでしょう…


と言う事で、第三部の目次から指差し


第一章 ストップの技法

第二章 事実にとどまる

第三章 知性タイプと感性タイプの技法

第四章 普通の愛とブッダの愛

第五章 三つの見る技法

第六章 第三の眼を開く

第七章 その他の見る技法

第八章 疑いか信頼、生か死ーそれぞれの道



さぁ、この目次の中で

スピラーだったら特に気になるのは

第六章でしょうかニヤリ


スピラーは第三の眼ってワード大好物でしょ?

勝手な思い込み


かくいう私も大好物です照れ

開きたいじゃん、第三の眼目


第三の眼開きたい症候群爆笑爆笑


気になる内容と言いますと、

主に第三の眼についての解説です。


第三の目は既にそこにある。

だが機能していない。

普通の目が見えなくなって初めて

第三の目は見えるようになる。


だそうで…うーん


そのために必要なのは

エネルギーがそこ(第三の目)に入ることだ。


そのエネルギーは両眼に入らなければ

第3の目に入る。

第3の目に入ると両眼は見えなくなる。

アセアセ

見るのに必要なエネルギーがなくなってしまう

(=新たなセンターへと行ってしまう。)


要は…

両目で見るのと第三の目で見るのは

同じエネルギーだから

見るエネルギーの方向を変えれば

第三の目はいつでも機能しますよー

ってな事ですわねー


その他に、第三の目が機能するとことによって

わかるようになる事や明らかになる物事、

それにまつわるブッダやマハヴィーラの話

なんかが書かれていますグッ



で!



どうやってエネルギーを第三の目に流すんだ

って話よ。 


それを可能にするのが第五章の三つの見る技法

になるんですねー指差し



一応技法を書いておこうか?

正直、技法だけ見てもよくわからないけども…


技法その①

目を閉じ、自己の内側の存在をつぶさに見る。

そうして自己の本性を見る。


技法その② 

鉢を眺める。 

だが、部分部分や材質を見ることなく。

ほどなくして目覚めよ。


技法その③

あたかも初めて見るかのように、

うるわしき人、あるいはありふれた対象を見る。



これだけ読んで使いこなせる人がいたら

もう、その道のマスターですキラキラ


だってね、

その①の『目を閉じ…』って普通に目を閉じる

だけじゃ不充分なんです。


完全に閉じる。

つまり目を閉じその動きを停止させる。

さもないと目はいつまでも外側のものを見ている。たとえ目を閉じていても、

きっとあなたは何かを見る。

何かのイメージを見る。

現実の対象はそこになくてもイメージや観念や

いろんな記憶が湧き上がってくる。

それもまた外からのものだ

まだ目は完全に閉じていない。

完全に閉じた目とは何も見ていないという意味だ。

………。


と解説が入るんです。

技法だけみてどうこうできる程甘くないのです真顔

理解して、実践する。

頭で理解するだけでも無意味。

実践してこそ意味をなすのでしょう…

急に誰目線で話してるんですかね。

怖いですね。

偉そうに言ってる私が実践してんのかっていたら、

答えはNO!!爆笑

即答です。

NO!!



その他ねー(長ぇw)

第四章の普通の愛とブッダの愛ハート

についての深いい話の章なんですが

どこを抜粋するのか難しくもあり…

あえて抜粋するならば

冒頭のOSHOが言う愛とは何か。


愛は行為ではない。愛は行うものではない。

愛は努力ではない。

愛とは心の状態だ。

それを人間関係として考えてはいけない。

心の状態として考えるのだ。

愛しているということ、それは心の状態だ。


と言ってまして。

まぁ、愛という言葉自体漠然としているし

そもそも感情じゃん?と思うのですがうーん

続く話で


誰かに愛される事で自分は受け入れられ、(中略)

少なくとも1人の人間にとっては、自分は意味あるかけがえのない存在となる…

だからこそ、愛がこれほどまでに求められるのだ。愛されていなかったら根無しになってしまう。

だが、この愛は私の語っている愛ではない。

この愛は人間関係であり、互いに作り出す共同幻想だ。

私にはあなたが必要であり、あなたには私が必要だ。

私はあなたに幻想を与える。

あなたがいなければ、私の目的、私の意味、

私の生は失われてしまう。

そしてあなたは私に幻想を与える…


確かにっ!!電球と思ったよね。

愛は人間関係の上に成り立ってる。というのが

当たり前になってた。

思いっきり人間関係として考えてるわ。

これは泥沼化するヤツーゲラゲラ


ついでに泥沼化繋がりで…


もし愛を行っているのであれば、

当然のことながら24時間それを行うことは

できない。どんな行為であっても疲れてしまう。

どんな行為であっても飽きてしまう。

そして行為の後では必ず息抜きが必要となる。

もし愛を行っているとしたら、

その息抜きが憎むことだ。

なぜなら、逆の事しか息抜きにならないからだ。

だから私たちの愛はいつも憎しみと

混じり合っているのだ。

同じ人間を今この瞬間に愛しながら、

次の瞬間にはもう憎んでいる。

……


目から鱗じゃない?

よくあるでしょ?そんなん。

愛が行為になっているのが原因ですわ。


そして自分に向けられていた愛情が他に移れば、

自分の存在の意味がなくなる恐怖や不安が

出てくるから、

必死に縋りついたり、他の相手を陥れたり…。


悪循環ですねーリサイクル



いやー勉強になりますキラキラ


こういう仕組み?的なことを知ってるだけでも

客観的に自分を見る材料になるよねウインク





そして…

章のタイトルにもなってる

ブッダの愛については一切触れない私…ゲラゲラ



以上。