2023年5月19日の新宿BLAZEで皆さんにお伝えした通り、Dは20周年のグランドファイナル、3月をもってDの活動を休止します。

遅くなりましたが、まずはこの大切な発表の日にお集まりいただいた皆さん、そして長い間、様々な形で応援してきてくれた皆さんに深く感謝いたします。

本当に本当に心からありがとうの気持ちを伝えたいです。

 

そしてこの日は念願の声出しライヴでした!

約3年半ぶりに耳にしたみんなの声。

ステージに向かう前から歓声が飛び交い、僕たちを求める声に気持ちが高ぶり、感極まる思いでいっぱいでした。

コロナ禍の間により感じさせられた、当たり前が当たり前ではないということ。

なのでこれはメンバーとファンが共に辛い時を耐え、そして支え合ってきたからこそ得られた感動なのだと思います。

一人一人が心からの声を上げ、自分自身を高め、そしてDを強く求めてくれる姿はまさに「薔薇の聖戦」を彷彿させるようにも感じられました。

Dは僕とるいちゃんとヒロキ君、そして初期はシンさん、レナの5人で始め、その後サポートを経て英蔵君が加入し、ツネが加入し、大きな目標と夢を持って、この20年間を活動してきました。

Dとして初めてワンマンでライヴが出来た日のことや、初めてCDを出せたこと、また初めてMVを撮ったこと…。

どんどん大きな会場でライヴをすることができ、ついに目標としていたメジャーデビューにも辿り着けました。

この20年の間に残念ながら無くなってしまったライヴハウスやホールも沢山ありますが、全て大切な想い出です。

英蔵君が加入した高田馬場AREA、ツネが加入した渋谷AXもそうですね。

そして全国47都道府県ツアーや、海外でのライヴツアーも行い、人生の中でかけがえのない時間を共に過ごしてきたのがDです。

当初はメンバーだけのDでしたが、時を重ねるにつれ、多くの関係者、多くのファンが一緒になり、共にDを築いてきました。

なのでDはいつの間にかメンバーだけでのDではなく、Dを愛するみんなのDになって来たのだと思います。

自分達だけのDではなく、Dを愛するみんなで作り上げてきたのがDだから、Dを愛してくれる人がいる限り、どんなに苦しくても一日でも長く、Dを続けられたらと思ってここまでやってきました。

この20年間、楽しいことだけではありませんでしたが、辛いことも苦しいことも、全部乗り越えてこその人生だと思い、自分の個人的な時間は後回しにして、人生をDに捧げて来ました。

何をしていても、僕は常にDを第一優先として考えてきました。

時間とは残酷なもの、1日は僅か24時間しかありません。

となると1日の時間の中で削れるものといえば睡眠時間や自由な時間と限られています。

それでもDを優先させたいと思えるほどのものが僕の中にはありました。

精神も肉体もボロボロになって、もう何をするのも難しいと感じることも沢山ありました。

それでも僕はDという大切な存在を失いたくなかった。

生きていくのは楽しいこともありますが、残念ながら苦しいことが多いと思える世の中です。

けれど苦しい人生は僕だけに与えられた試練ではなく、世の中の全ての人が感じ、超えていかなければいけない問題でもあります。

ファンのみんなもきっと仕事、家庭環境、病気など、多くのものと戦っていることでしょう。

だから何に代えても、共に乗り越えていきたかったし、苦しみに負けたくなかった。

Dを手放すことで得られる自由や幸せは、僕の過去にも未来にも一生存在しないです。

喜びと悲しみの比重は同じではないと僕は感じています。

愛が重ければ重いほどに悲しみはより深いものになる。

けれどそれほどに愛することができる存在に出逢えたことは幸せだったのだと思います。

何も愛さず、何も求めず、感情の全てを捨てて、ただ生きることは、生きながら心を消してしまっているのと同じこと。

Dを愛するみんなに与えるはずの喜びが悲しみに上書きされてしまうのであれば、自分が続けてきたこの20年間の意味はなんであったのか。

だからどんな形であれ、Dを滅ぼしたくなかった。

「解散」を選べば、Dが築き上げてきた歴史も想い出も記憶さえも、全てが砕け散り、この世界から消えてしまうように思えたからです。

だからかろうじて「活動休止」という形を選ぶことで、Dを遺すことを選びました。

人生80年とは言いますが、健康に自由に動ける年数として換算すれば当然ながら80年を下回ります。

不自由なく活動できる時間ということを踏まえた上での20年というのは、人生の中の最も大きな時間に比例するのだと思います。

想像以上に濃く長い時間でありながら、過ぎ去った時間を振り返るとあまりにも儚く短くも感じます。

そんな20年の月日が経った今、ついに非常に困難で最も強大な壁が立ちはだかりました。

人間誰もが20年前と同じ、活動を始めた頃と同じ状況でいられるわけではありません。

残念ながら精神面的にも、肉体的にも、環境的にも、様々な面から見て当時と同じようにはできないからです。

メンバーそれぞれ、Dが好きだからここまで続けてきたのだと思いますし、今もこのメンバーで良かったと僕は心から思ってます。

だからこその決断でした。

この先、どうにかして無理にDが活動していくことによって、メンバーの誰かが欠けたり、一人でもその活動が生きていく中での重荷になったり、これからの人生の足枷になってしまうのであれば、それはどんなに僕がDを愛して、この先も続けたいという思いが自分の中にあったとしても、Dを続けることはできません。

この5人のメンバーになって、「今後メンバーの誰か一人が欠けたとしたら、それはDではない」と、以前言ったことがありますが、Dはこの5人がいて唯一無二のDなのです。

以前の活動休止のように、自分自身の身体的問題や精神面だけであれば、休息を経て、また再開することも可能だったのですが、残念ながら今回はそうはいきません。

ファンのみんなとは音楽を通して永遠を誓い合いました。

コロナ禍を経て、やっと声出しも解禁できて、せっかく20周年をお祝いした直後に、このような悲しいお知らせを伝えることになってしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

メンバーと話し合って最終的に活動休止を決断してから、過去のいつ、どこで何をどうすれば、こんな未来にならなかったのかなと考えることもありました。

けれどもこの20年間、自分が本当に全力でやってきたことに一切の嘘はないですし、僅かな後悔のさえもないようにしたくて、常に気持ちを張って、前を向いてDに尽くしてきました。

この20年間で唯一、悔いることがあると言えば、それはDを守りきれなかったことです。

みんな、本当にごめんなさい。

今までの楽しいことも、悲しいことも、感動も痛みも苦しみも、全部全部、Dだから乗り越えられたんだと思ってます。

好きな気持ちだけでは何も守れない。

限られた時間の中で時間を生み出すには犠牲を伴う。

それでも身を挺して、20年間僕は戦ってきました。

過去にも未来にも人生の中でD以上のバンドはないです。

大切な人や動物との永遠の別れを除けば、この活動休止は正直人生で一番辛いです。

心臓に杭が刺さったままです。

時にはお互い感情をぶつけあう事があったとしても、それでも傷の数だけより強くなって、互いを高め合って、Dはまだまだ輝けるんだと信じ続けたかった。

そしてもっともっとDのVo.として歌いたかった。

Dのこの5人を分かつものがあるならば戦い、解決する為の術をとことん考え抜き、最後には勝利の旗を掲げたかった。

今は泣いてもいいから、その先に笑える未来が欲しかった。

まだまだDとして描きたい世界が沢山あった。

できることを全て終え、やりきったからバンドを終えられるのであれば、少しでも気持ちに踏ん切りもつけられたのかもしれません。

「これは前向きな活動休止である、いつか必ず戻って来るから待っていてほしい」

約束できたらどんなに良かったことか。

メンバーもファンのみんなも本当にヴァンパイアや永久の命を得た存在だったら、この先の未来もずっと一緒に生き続けていけたのに。

「それでは、次回は100年後に訪れるウルフムーンの夜にお逢いしましょう!」と笑えただろうに。

みんな、本当にごめん。

来年の3月まで、Dとしてこの気持ちを大事にして全力で歌います。

今は謝ることしかできないけれど、Dとして残された時間をみんなと共に大切に過ごしたいです。

この20年の間に一度でも好きになってくれた皆さん、来月からついにDの最後の旅が始まります。

最後にもう一度、共に愛し合い、私たちの生き様を歴史を刻みたいです。

夏の新曲のコンセプトはドライツェンの復活。

皆さんの声と想いが届いたからこそ、ドライツェンを王として帰還させたのです。

長年続いたヴァンパイアストーリーもついにクライマックス。

2024年の春まで、Dがどうか最後まで無事に旅を終えられるように、共に願ってください。

まずは4年ぶりの夏ツアーを成功させましょう!

皆さんのお越しを心よりお待ちしています。

ステージに届く大きな声で逢いに来てくださいね。

皆さんのことを心から愛しています。

これからもずっと。

 

 

 

ASAGI