じりじりと照り返す、真夏の日差し...7月の半ばからスタートした夏ツアーも、気がつけばFINALのみとなりました。
今回もたくさんの人との出逢い、そして想い出を作ることができ、本当に幸せな時間を過ごせました。
なんとも形容し難い嬉しさ、喜び、そして生きるという実感を与えてくれるのがツアーなのかもしれません。
夏の終わりは寂しさも募りますが、皆さんと共に最後まで全力で駆け抜けたいと思います。

そして8/28は「Rosenstrauss」のリリース日でした!
5月の頭から作曲、作詞を始め、レコーディングをしたのが半ば頃...だったので、実に皆さんのお手元に届くまでには4ヶ月近くかかったのです(笑)。
今回はツアーとインストアイベントが先行していた部分もあり、歌詞の細部がわからないままのライヴであり、イベントに参加するのにも手間取らせてしまった部分もあったと思います。
それでも曲をすぐに体で感じ取り、既存の楽曲と変わら姿勢でライヴを楽しんでくれていたり、様々な至難を乗り越えてDに逢いに来てくれたことを、本当に心から感謝したいです。
製作やMV撮影時は、神経を集中させるので、精神的な疲労が絶えないものではあるのですが、皆さんの気持ちを受け取り、笑顔を見れば、疲れなどどこかに行ってしまうものなのです!(笑)
皆で分かち合える喜びを生み出せることが、最大の褒美となるのですから!
そして同じ時間を共有でき、心と心の結びつきを感じる度に、また強くなれるのです!
...そんな「Rosenstrauss」!
最近はセルフライナーノーツをパンフレットに記載することが多かったのですが、今回は先述のとおり、ツアー先行でしたので、音源がない状態で詳細が先に分かってしまうのは如何なものだろうか?と思い、記載せずにいました。
とはいえ、試聴音源を聴いたり、ライヴで曲を耳していた方々も多いと思います。
お手紙やアメブロのコメントなどでも楽しみに待っています、という声も頂いていたので、早く公開したい気持ちもあったのですが、ようやく!といったところですね。
今回の新曲は全タイプで4曲なので、順に追っていきたいと思います。
全曲ヴァンパイアストーリーになります。
少々長くなりますが、どうぞよろしくお付き合いください!

まずは「Rosenstrauss」。
ドイツ語で「薔薇の花束」を意味し、ヴァンパイアの王ドライツェンが愛した女性"ロザリー"を想う歌です。
不死の命を持つヴァンパイアと、儚き命の人間は相反する存在。
苦難を乗り越え、ようやく結ばれたとしても、付き纏う「命の限り」から解放されることは決してありません。
序盤のピアノ弾き語り部分(MVでの)は、ドライツェンが亡き、最愛の妻に手向けた曲を想見し表現しました。
大切な存在を失うということは、生きていると必ず、誰しもが経験することです。
相手を想う気持ちが深ければ深いほどに、喪失時は底知れぬ悲しみに落ちていきます。
眠っていた記憶までもが呼び起こされ、どこにいても、何をしても、幻を追ってゆくのだと思います。
「太陽を葬る日」の「君に捧ぐ最後の歌」がこの部分になりますね。
ドライツェンは普段、黒い衣装なのですが、この時は白い衣装を纏っています。
また、窓からは太陽の日差しとも思える光が差し込んでいますよね。
これは自分が人間であった頃の記憶に加え、人間同士として結ばれていたらという想いから生まれた幻想でもあります。
「太陽を葬る日」の中に、「今は夢の中で 君と踊ろう手を取り合って」とありますよね。
MVで差し伸べている手はその部分をイメージしました。
せめてもう一度、夢の中で抱きしめられたなら...その悲愴な想いも届かず、夢の中でも白き薔薇は儚く散っていくのです。
サビ部分の「蜉蝣」ですが、これは儚きものの例えとして引用されることも多いですよね。
不定期で執筆している小説の中でも、「短命」であることの語源である蜉蝣「ephemeral」(エフェメラル)を人の総称としています。
ヴァンパイアは永き時を彷徨うので、人の命はまさに儚きものなのです。
ようやく掴んだ幸せが、手の平から零れていく様を白い花びらで表現しました。
Dの世界では、ヴァンパイアの涙は赤く、空気に触れると凝固してルビーのようになる、という風に描いています。
ですのでMV時にピアノの鍵盤に落ちた赤い結晶は涙なのです。
ヴァンパイアになっても決して消えることのなかった愛。
その愛ゆえに苦しみ、藻掻き、その身が焼かれる想いでいるのでしょう。
自身の存在に長年疑問を問いかけ続けたドライツェンでしたが、最愛なる妻を失ったことから、黒き血、闇の因子からすべてを解放することを決断します。
すべての罪は始まりのヴァンパイアである自分にあり、太陽に焼かれ、源を絶つことにより、分岐していった闇の血の呪いも消失するのではないかと考えたのです。
「魂の友に幸あらんことを」は四騎士を中心とした仲間の幸せを願った気持ちです。
呪われし闇の血は大切な仲間にさえ、苦痛の日々を与えてしまった。
尽きぬ後悔と共に、呪いから解放された暁には、残された時間を人として、生きてほしいという願いが込められています。
MVではちょうどその歌詞の所で、四騎士の姿が垣間みられます。
そして最後は黒装束に包まれた血族の間を抜け、太陽に焼かれるシーンですね。
白い薔薇の花束を抱えることにより、最期の時を愛するロザリーと共に迎えるイメージです。
惹かれ合う二つの魂の結びつき。
人生とは儚く、必ずや終わりが存在します。
永遠ではないと知りつつも、永遠を追い求めてしまうのは、短い時に値しないほどの、充ちた時を重ねたからではないでしょうか。
ドライツェンではなくとも、一生の中には憂いの日を過ごすこともあるはずです。
消えてしまいたい、と思うこともあるでしょう。
ドライツェンは人であれば疾うに寿命を終えているので、自らの手で終止符を打ちましたが、人はやはり、与えられた人生を全うするべきなのです。
自分のために生きられないのであれば、誰かのために生きることもできます。
また、想い出の中で生き続けることできるのでしょう。
人は生まれた時から、愛を探し、永遠を手にするために生まれて来るのだと思います。
生まれし命と死にゆく命...
曲を通して、何よりも尊い命を、感じて頂ければ幸いです。

そして次は「氷獄の魔獣」ですが、この曲はるいちゃんの作曲ですね。
るいちゃんらしい曲調で、デモを貰った瞬間、すぐにイメージが浮かびました。
長年、なぜキルヒアイスがコールドスリープをしていたのか、という疑問は投じられたままでした。
実際お手紙などでも、いつ明かされるのですか?といったご質問も多々頂いていましたので、満を持してお答えできる日がやってきたことを、非常に嬉しく思います!
そしてその解析について、お話していこうかと思います。
まずはじめに、双子として生を受けたキルヒアイスなわけですが、母体の中でマルツィショルの水の性質までも吸収し、取り込んだ状態で生まれてきたのです。
ちなみに彼らは二人は双子といえど、肌の色や髪色も異なるので、一卵性ではなく二卵性の双子です。
キルヒアイスは元々は人間からヴァンパイアへと変異を遂げたのですが、彼の生まれもっての特質である「水」の性質が、人である時から誰よりも強くあったということです。
その為、ヴァンパイアになった際には、闇の力も加わり、水の力が暴走してしまうのです。
...自分でもコントロール出来ないほどに強く、時には記憶を失うことも少なくありません。
歌詞の「口を拭い目が覚める」という部分は、無意識に不快に感じた人物を殺め、自我の目覚めと共に現実を知る場面ですね。
(例えば、女性に対して乱暴をしている人物を見かけた、仲間に対して陰口を叩いていた人物が、その対象となっていました。)
ヴァンパイアになると、すべての能力が長けることに加え、元々の抱えていた感情が増幅されることがあります。
よって喜怒哀楽、何かをきっかけに、その気持ちが想像以上に強く表れたりもするのです。
幼少期の悲しみを抱え続けて来たキルヒアイスもまた、苦悩し続けてきた結果、反動的に力が制御できなくなりました。
このままでは大切な人(仲間や姉であるマルツィショル)までも、肉体的にも精神的にも傷つけてしまう...。
無意識のうちに自分の中で生まれた闇が、増大しつつあることを自覚し始め、キルヒアイスは自分自身を恐ろしく思うのです。
本来の自分を覆い尽くすほどになってしまえば、もうどうすることもできない。
実際のところ、決め手となったのは、不安定なキルヒアイスを心配するマルツィショルに対し、軽く手を払ったつもりが、深手の傷を負わせてしまったことです。
勿論マルツィショルもヴァンパイアなので、傷は治癒します。
ですが自らの制御不能な力、そして行為に対し、ひどく嫌悪してゆくのでした。
自らの力を抑える為、そしてコントロールできる精神力を身につける為。
自身の闇と立ち向かう為の孤独な戦いを挑みます。
消えかかる意識の中、力を振り絞り、他に誰も溶かすことのできない氷の牢獄を自ら築き上げ、やがてコールドスリープに入ります。
コールドスリープをすることによって、自分自身を抑えることはできても、その後、生きて戻れる保証はどこにもありません。
闇に捕われてしまえば、本来のキルヒアイスは消失してしまいます。
奇跡的な確率でしか、戻れないことを承知した上での試みだったことが伺えます。
最中の苦しみに耐えるイメージは、またいずれ別の曲にて描きたいと思っています。
コールドスリープ中も意識がすべて消え失せることはなく、自分自身との孤独な戦いが何十年も繰り広げられました。
普段はクールなキルヒアイスですが、この曲ではとても繊細な部分を描いています。
見識高く、表に本心を出さない性格としているので、「怖い、本当は...」といった感情は決して言葉にはしません。
ですが心底では誰かに助けてほしいという気持ちもあったのだと思います。
けれど自分自身との決着をつけることができるのは、最終的に他のだれでもなく、己自身なのだと悟ります。
硝子細工は氷細工と似た部分もありますし、澄んだ心や、繊細な部分を持つキルヒアイスの人間性を示しています。
誰しもが心の闇と葛藤しますが、ヴァンアパイアになると闇はさらに強大なものとなります。
その壊れた硝子細工の欠片を手にして、それが変化し、氷の槍(スピア)になるイメージです。
氷獄を築く時も、氷のスピアを手にし、その切先から水や氷を生み出して作り上げるのです。
ランスでも良いかと思いましたが、ランスは騎上で用いられるものなので、キルヒアイスのイメージ的にも「氷のスピア」という言いまわしの方が素早いイメージだったり、性質的にも合っていると思いました。
曲が増えるごとに、各々の人物像もはっきりと見えて来るので、僕自身楽しみな部分でもあります。
人自身も常に光と闇の天秤の中央に座しているのではないでしょうか。
様々な経験を重ねて感情は生まれます。
不完全な人間の心が全て、光に鎮座し続けることは大変難しいです。
完全に闇に捕われてしまえば、中々抜け出すことはできません。
顕在意識に闇が生じても、潜在意識に僅かでも光があればきっと抜け出す方法は見つかるでしょう。
人であれヴァンパイアであれ、己の闇と戦う姿は誰よりも勇ましく、そして美しいのです。

次は生粋のヴァンパイアとして生まれたカーバンクルの物語「紅の蝋涙」になります。
勿論カーバンクルことツネの作曲です。
情熱的な楽曲が多いですが、まさにカーバンクルらしい一曲になりました。
両親共にヴァンパイアに変異した後に生まれた子であることから、生まれながらにしてヴァンパイアなのです。
カーバンクルはツネに合わせて3月生まれ、という設定があります。
ヨーロッパの3月は寒く、雪が降ったりすることもあるようなので、雪が降り積もる白い世界、そして赤子ながらに選ばれし存在であることを明確にした場面、また幼くして亡くした母を思う情景を描いています。
歌詞の随所に「蝋燭」を彷彿させる表現を用いているのは、炎を司るヴァンパイアならではの表現として描いています。
蝋涙という言葉がありますが、これは蝋燭が溶けて流れ落ちる雫のことを指します。
「Rosenstrauss」にもあるように、この世界観でのヴァンパイアの涙は赤い血の涙なので、それにもリンクさせています。
始まりのヴァンパイアのドライツェンも本来は人間であったように、ほとんどのヴァンパイアは人であった時代、および記憶と感情が残されています。
これはヴァンパイアに変異した後も、それぞれ個々による増減のばらつきはありますが、そのすべてが失われるわけではありません。
ですがカーバンクルは生まれた時からヴァンパイアである為、本来備わっているはずの人間性は皆無なのです。
非常に気高い彼女は常に凛としたイメージが強いです。
ですが根柢では豊かな感情を持ち、故に深い孤独感に陥ることもあるのでした。
四騎士の中でも最年少であり、ヴァンパイアとしてはまだ幼さの残る、少女らしい部分も見え隠れさせています。
時には朧げな記憶の中の母親と対話することもあるのでしょう。
もし自分が人間として生まれていたら、どんな風に時を重ね、どんな気持ちで人を愛することができたのだろうか。
カーバンクルではなくとも、人は分岐点で選ばなかった道を想像することがあります。
あの時、こうしていたら、今の自分はどうなっていただろうか...と考えることは珍しくはないですよね。
カーバンクルが持つ素顔は、現段階では決して誰にも見せることはありません。
とはいえ、そういった気持ちを巡らせることができるということは、とても人間らしい気がします。
ですが、本人はこの感情を誰に悟られることのないよう、内に隠しているので、いまだ気付けずにいるのです。
普段、涙を見せず気丈に振る舞う人ほど、心にはかり知れない悲しみを秘めていることがあります。
幼き頃から周りの大人達に合わせて生きて来たカーバンクルは、いつしか本当の自分の心に鍵をかけてしまったのかもしれません。
約10歳のときにカーバンクルは両親を失い、その後は叔父であるドライツェンが養父となっています。
彼女の父母は実際には亡くなってはいないのですが、とある事情によりカーバンクルは事実を知らずにいます。
ドライツェン達もこの悲劇の真相はまだ知りません。
母はドライツェンの妹、名はダリエ(Dahlie)。
ここでひとつ、大事なことを書き加えなければなりません。
「赤き羊による晩餐会」でのカーバンクルのことです。
カーバンクルの存在が明らかになった、一番最初の曲です。
炎をイメージした情熱的な女性のヴァンパイア。
当初のイメージとしては上記くらいのもので、深い部分までは考えておらず、描写的にはツネをイメージしていました。
またMVを撮るにあたり、この時点でカーバンクルを演じたのは僕自身でした。
ですがその後、何曲にも渡ってカーバンクルの曲を描いていく中で、絶対的なカーバンクル像が出来上がっていきました。
炎を操り、情熱的であることに変わりはありませんが、深層部分が露になったことにより、「赤き羊による晩餐会」のカーバンクルに少しずつ違和感を感じ始めていました。
追い追い話や設定を変えることは、本来であれば好ましくないのですが、「赤き羊による晩餐会」でツネがカーバンクルを演じてなかったことが、後に功を成すことになったのです。
この曲で歌詞を書き、世界を広げる中でようやくたどり着けたこと...。
それは「赤き羊による晩餐会」で僕が演じたヴァンパイア像は、カーバンクルの母、ダリエであったということ。
いろいろ考えた結果、配役がツネに変わっただけというよりも、僕が演じたことに意味を持たせ、より物語の真相を深く掘り下げることができた気がします。
また、ダリエはドライツェンの妹なので、ドライツェンと顔が同じ(似てる設定)なのも納得かなとも思えます(笑)。
小説であれば、実はカーバンクルだと思われていた人物は母親のダリエでした、という感じで話の収束もうまくいくのですが、何せ曲であり、歌詞であるので、中々変更し難い部分もあったのですが、歌詞を書き進めていく中で、これだ!と思えたので、ここはひとつご理解頂ければと思います!
また、カーバンクルの持つ「炎」の力は母から受け継がれたものであり、元来はダリエがその力を備えていました。
また父親はヴァンパイア化した後に、理由があり闇の主側に属しています。
ダリエは夫に「赤き羊」の武器である「炎の矢」で封印されてしまったのでした。
これはカーバンクルの父親が、炎の力を恐れた闇の主に「ダリエを殺さないと娘を殺す」と脅され、ダリエの同意のもと行われました。
自身の一部とも言える「炎」によって封印されたのでかろうじて死は免れましたが、力は失われ、深い眠りの状態です。
この時点で闇の主と悪しきヴァンパイア軍は、ダリエから娘のカーバンクルに炎を司り、軍を率いる力が受け継がれている事を知りません。
...時は流れ、約110年後、従事する4人の側近によって救出されます。(赤き羊の晩餐会の時の黒装束のメンバーのイメージです)
ダリエの棺桶は闇の主の軍に隠されていましたが、ついに場所を特定し、ようやく救出に成功します。
蝋燭の火は一度消えても、もう一本の蝋燭(火種)があればまた何度でも灯すことができますし、溶けた蝋と蝋が混じり合うことで、より大きな蝋燭(強大な力という意味で)となることも可能です。
歌詞のプロローグではダリエに突き刺さった矢が抜かれ、血が通いだす部分を、そしてエピローグでは一度死んだとされていたダリエも、娘のカーバンクルの為にもう一度生き返る(火を灯す)という場面を描いています。
闇の主と悪しきヴァンパイア軍をダリエはひどく憎み、夫を救出し、娘にも協力するために動き出します。
悪しきヴァンパイアを狩る際には、勿論ダリエも炎の力を使うのですが、親子であるため戦闘法は酷似しています。
ダリエが出没した後には必ず、炎の痕跡が残されています。
カーバンクルは無論、身に覚えがありません。
同じ特性を持ちつつ、自分ではない誰かの存在...カーバンクルに疑念が残ります。
居ても立ってもいられず、カーバンクルはこの人物を追うことになりますが、この曲ではまだそこまで進行していません。
同じ時間の流れの中で、ダリエの復活とカーバンクルの母を思うシーンをリンクさせています。
ダリエがカーバンクルに逢いたくてもすぐに逢わない理由としては、自分が一度死んだものとなっていること、そして事情により闇の主に従事する父親のことなどでショックを与えたくなかったからです。
また、カーバンクルの「赤き羊」の異名も、炎と同じく母親から引き継いだものとします。
四騎士の頭となる人物の体には、それぞれの紋章が浮かび上がっています。
ダリエが封印されたことにより、炎の紋章もカーバンクルに受け継がれました。
復活後もダリエは炎の力は使えますが(元々「炎」の素質が強く備わっていたので)、現在の炎の軍の頭がカーバンクルであることに変わりはありません。
カーバンクルの曲は増えつつありますが、彼女の幸せな部分はいまだないので、いつか2人が出逢う曲や、家族で共に力を合わせるシーンも描けたらいいなとも思っています。
ちなみにゲームでもダリエは登場する予定です!

そして最後は風のヴァンパイア、ラファーガことヒデゾウくん作曲の「Mement~風のレイピア~」です。
過去に先述してあったように、ラファーガの持つ武器は王家に伝わるレイピアです。
物語はドライツェンからレイピアを受け取るシーンを中心に、手紙の返事についてや、ラファーガの出生の秘密を描いています。
ラファーガにおける様々な空白を埋める部分が、凝縮された曲とも言えます。
序章としては、ドライツェンから明かされる真実をストーリーテラーが語るのかように始まり、サビに向けて徐々にラファーガの感情へと流れて行きます。
ここで明かされた一番の謎はラファーガの父が、実はドライツェンの弟であったという事。
よってラファーガはドライツェンから見て甥にあたり、(ラファーガ、カーバンクル、ジャスティス)は従兄弟同士になります。
「メメント」という言葉には「形見」や「想い出の種」という意味を持つので、タイトルから推察できる部分あったかと思います。
ドライツェンの実弟であり、ラファーガの父、フリューゲル(Flügel)。
城下に住まう、心優しい美しき町娘と愛し合うも、身分の違いから、父王(ツヴェルフ)に反対されます。
同じ赤き血を流していながら、人の定めた身分など、どんな意味を持つのか。
フリューゲルは父の反対を押切り、婚姻することを望みますが、国中の誰もが父王に逆らうことはできません。
よって正式な婚姻を結ぶことができないまま、二人は神の御前にて誓いを立てます。
その後、二人の間には息子が生まれます。それがラファーガだったのです。
戸籍上では未婚のままとなっているので、私生児として生まれています。
ツヴェルフには事実を隠蔽していた為、ラファーガは王族の血筋でありながら、母と共に人里離れた地で育ちます。
これは戦渦から逃れる為の秘策でもありました。
フリューゲルはしばしば愛する家族に会いに来ますが、質素な身なりに着替え、ラファーガには身分を明かさずにいました。
まもなく国家は戦渦に巻き込まれることになります。
年代としては近隣諸国に攻め入られ、ドライツェンが始まりのヴァンパイアへと変貌する辺りです。
ドライツェンの実妹であるダリエ、また従弟であるキルヒアイス、そして砂漠の国の貴族であり、遠縁でもあるウィルダネス...次々とヴァンパイアとなり、共に戦うことを決断しました。
...ですがフリューゲルはヴァンパイアの血を最期まで拒み続けました。
ヴァンパイアとなった兄を、決して侮蔑の目で見ていたわけではありません。
激しい戦いが繰り広げられる中、人で在り続けることは遠からず死を予感させました。
それでもフリューゲルは人であることを望んだのです。
人生を選ぶ権利はその人物にあります。
身内とて、強引に引き入れる権利はありません。
ドライツェンは最期までフリューゲルの変異を願っていましたが、ほどなくしてフリューゲルは帰らぬ人となりました。
戦場の最前線で戦った彼は、人間のまま命を落としてしまったのです。
ドライツェンに抱かれ目を閉じる彼の表情には、一片の悔いもないように見えました。
人として生まれ、人としての死を迎えることは、彼の強い意志でもあったのです。
ドライツェンは過去に何度か、幼きラファーガと対面したことがありました。
ですが数年ぶりに会ったラファーガは精悍な青年へと育ち、その姿があまりにも弟と酷似していることに驚きを隠せませんでした。
また、ラファーガがドライツェンに強く惹かれたのも、目に見えぬ血の結びつきだったのかもしれません。
最期まで人間であることを望んだフリューゲル、そして息子であるラファーガ。
ドライツェンは、弟と生き写しのラファーガに、弟の想いを重ねてしまいます。
ラファーガは自らの願いでヴァンパイアになることを望みましたが、どうしても頭を過るのは、それを拒んだ弟の姿でした。
これがラファーガの懇願(手紙)に応えられなかった大きな理由なのです。
ドライツェンと会話を重ねるうちに、母親にも訊くに訊けなかった、自分の出生や父についての空白が埋まっていきます。
父の意志とは真逆となる自分の意志。
それでも今まで知ることのできなかった父親の話を聞き、一層父との絆、そして一族の血の繋がりを感じるのでした。
意志を曲げぬ強さは、まさに父親譲りとも言えます。
レイピアは王弟のものであることは既に明かされていますが、それは父、フリューゲルの形見だからこそなのです。
元来、風の因子を持っていたフリューゲルは、人間でありながら風の軍を率いていましたが、フリューゲル亡き後は、ラファーガの体に痣のような風の紋章が浮かび上がっていたのでした。
ラファーガは剣術に優れた人物であることも先述していましたが、これは幼き頃から、父に剣技を習っていたのが始まりです。
誰よりも憧れ続けた父の姿、そのフリューゲルは、家族を守る為に戦いました。
そして奇しくも息子であるラファーガも、今、家族を守る為に力を得て、戦おうとしています。
人生の大きな分岐点を目の前にした父と子、愛の形は違えど、守りたい気持ちは同じであったのです。
不死者となることの堪え難い苦しみ、そして深い深い悲しみ。
「それでも選ぶのか」ドライツェンは最後にもう一度問いかけます。
ラファーガは父であるフリューゲルとは異なる結末を望みました。
人であることにより失うもの、ヴァンアパイアとなることにより失うもの。
ただ、その先に望んだ未来には、変わらぬ愛の姿が在ったのです。
父が選んだ過去が存在することで、今が在り、そして未来へと繋がるのでしょう。
フリューゲルは命を落としましたが、父としての希望は叶えられたのです。
父から子へ...ラファーガに託された希望が今、新たな風になろうとしていた。
...そしてエピソードとして、もうひとつ!
以前ラファーガの雲孫であるゼファーの顔はASAGI顔だと書いたことがあったと思うのですが、ドライツェンとフリューゲルには、共通の親である、わりとASAGI顔のツヴェルフが存在しています(笑)。
フリューゲルはHIDE-ZOU顔の設定なのですが、その息子であるラファーガの八代目の子孫がゼファー...ということは、ゼファーの顔が僕であっても、隔世遺伝ということでつじつまが合いますね!
相当遡るかんじですが...(笑)

...とまあ、長くなりましたし、もはやセルフライナーノーツとは一体何を指すのか?というほどの文体になりましたが、曲に込められたおおよその内容は掴んでもらえたかと思います。
これでも一応かい摘んで書かせて頂いているわけですが、メンバーには歌詞ができる度に、このような感じでメールを送付しています。
これらは文章として記述するのはさほど難しくはないのですが、楽曲に基づいた上で凝縮し、メロディーにうまくはめ込んでいくというのは少々骨を折る作業なのです。
とはいえ、完成した時のことを考えたり、メンバーも真摯に受け入れてくれるので、喜びは一入ではあるのですが!
そして何より、ファンの皆さんが待ち望んでくれていることが嬉しいですね。
さて、そんな本日は「Rosenstrauss」ツアーの最終日、皆で有終の美を飾りましょう!
渋谷AXにて、白き薔薇の申し子の皆様のご来場を、心よりお待ちしております!