まずは本日の高田馬場AREAでのライヴ、皆さんお疲れ様でした。
来月リリースする「UNCROWNED KING」の全曲を新衣装で初披露させてもらいましたが、如何だったでしょうか?
「Deadly sin」「狂王」の流れからは約10ヶ月を空けてのヴァンパイアストーリーです。
絶体絶命の危機の中、隠されていた秘密が解き明かされていき、更に物語は佳境へと進んでいきます。
詳しいことは浅葱、Ruiza、Dの3マン体制で行われる冬ツアー「Artistic Radiant Dream」から発売されるパンフレットにセルフライナーノーツとして書かせていただきますね。
また春にリリースした「開眼」の分もそちらにまとめさてもらいます。
メンバー全員でライヴに向けての熱い気持ちを固めていたので、その気持ちが皆さんにも伝わっていたら嬉しいです。

そして重大発表でもなく、大切なお知らせでもなく、今回は敢えて「決意表明」という形を取らせていただいたので、ライヴに来られたファンの方も来られなかったファンの方も何を発表するのか気にされていた方もいらっしゃったかと思います。
過剰に心配させたいわけではないのですが、現実的に今の気持ちを伝えたいという思いでした。
Dは来春で結成17周年を迎えます。
人生の半分近くをDとして過ごしてきましたが、愛に満ちた濃厚な時間をあっという間に駆け抜けてきた印象です。
核となる部分は結成時から何ひとつ変わっていません。
自分を偽りながら歌うことはできなかったし、そんな自分は想像するだけで許せなかった。
だから何があっても心に情熱の炎を燃やしながら今日までやってきました。
この音楽シーンは、ここ数年で目に見えて分かるほどに変化が起きました。
今回の「UNCROWNED KING」はGOD CHILD RECORDSから発売するのですが、avexさんからは今まで通り、メジャーからリリースしましょうというお言葉を頂いていました。
ですが、メジャーのレコード会社を通すには様々な行程などが必要なので、皆さんの想像以上に早く楽曲を提出しなければなりません。
Dの現状で行くと、新曲をリリースした頃には既に次作のメイン曲が仕上がっていなければいけないのです。
作り終えても作り終えてもすぐに締め切りがやって来て、制作ペースが追いつかないという観念から今回はギリギリまで制作し、GCRからリリースすることを選びました。
avexの担当の方は「またうちで出したくなったらいつでも相談してね」と仰ってくれて、気持ち的にも助かりましたし、Dとの付き合いも長い方なので理解してくださって有り難かったです。
今の時代は配信がメインとなり、誰もがすぐに各媒体に音楽メディアを流すことができます。
昔のようにインディーズ、メジャーという大きな垣根は無くなりつつあるのでしょう。
それでもDを始めた当初の夢はメジャーデビューだったので、5年目にこの今の5人で叶えられたことは本当に心から嬉しかったし、僕は一生忘れないです。
avex、Victor、そしてまたavexとメジャーを渡ってきました。
様々なことがありましたが、この出逢いがなければ今のDはありませんでした。
またいつかお世話になることもあるかもしれませんが、時代はどんどん移り変わって行きます。
アーティストは時代に抗いながらも、その時々の状況に応じて踏ん張っていくしかないのだなと感じています。
ちなみにGCRでリリースする件に関しては決意表明とは関係ありません。
決意表明するということを告知した後に、お手紙などで訊かれることがあったので書かせて頂きました。
また、皆さんも既にご存知の通りこのシーンは、出版業界、記録媒体でいう音楽メディア、それらに伴うファッションの全てが縮小してきました。
馴染みの書籍もショップもどんどん無くなっていき、同期のバンドも解散や脱退などが続きました。
それでもファンの子達から頂くあたたかい言葉やDがあるから救われているという想いなど、数々の支えがあったからこそDはここまで来られたのだと思います。
それでも最近は、いつも全力で頑張りたいと思う自分とは異なる、もう一人の自分の気持ちが徐々に強くなってきました。
大好きだった歌を辞めてしまおうと思うことも度々あり、今月に入ってからも悩んでいました。
なぜならば、心と体のバランスがうまくとれなくなってきたからです。
昼夜に加えて深夜と早朝、皆さん僕を「早起きですね」と言います。
ですがここ数年、少し眠っては目が覚める状態が続き、深く眠ることができないのです。
結成7年目の名古屋公演で倒れてしまったのも、精神的なものから来ていたのだと思います。
二十代の頃から過度のストレスからくる不整脈があるので循環器内科に通っているのですが、思えばあの頃も休むことができませんでした。
自宅で療養している時も次作における仕事が次々と舞い込み、仕事があって嬉しい気持ちと休養したい気持ちがせめぎ合っていました。
また数年前に活動休止をした時は顎関節症が悪化したのもありましたが、精神を休めたいという気持ちも強かったです。
9ヶ月ほどの休止期間だったので、ファンの方の中には意外と短かったなと感じた人もいたかと思います。
正直なところ、もっと休んではいたかったのですが、活動休止中もメンバーやスタッフのお給料は発生していたので、物理的にあれ以上お休みするわけにはいかなかったという部分もあります。
時間が永遠にあればいいのですが、時はあまりにも残酷ですからのんびりとはいかなかったのです。
休んでほしい、ゆっくり活動をしてほしいと言ってくださる優しいお気持ちはとても感謝しているのですが、現実問題ゆっくりと活動できる余裕は、金銭面的にも時間的にも、様々な面から考えてないのです。
活動ペースを抑えれば、メンバーの生活面はおろか、今のクオリティの音源や映像制作、衣装やメディア、また全国ツアーさえも叶わなくなるでしょう。
なんとかそれらを維持するには、がむしゃらに活動し続ける他ありません。
誤解のないように言うと無理しているからと言ってライヴが楽しくないと言うことではありません。逆にライヴ、そして音楽に支えられてここまでやって来れました。
この17年で僕やメンバー、それぞれの中でも環境の変化はありました。
勿論、変わらない人なんていないでしょう。
ファンの皆さんの中には長く応援してくださっている方も多いので、この長い時間の中で様々な変化があったと思います。
僕やメンバーの環境の変化、それに加えて思うように自分の心と体のバランスがとれなくなり、2019年いっぱいで終わりにしようかと何度も考えました。
1年の内の365日の昼夜問わず、こんなにも踠きながら頑張っても、思うように成果が出せなかったり、心が伝わらなかったり、報われることがないのならば、何故自分は歌い続ける必要があるのか。
勿論応援してくれる人がいるのは充分わかってるけれど、もう誰も自分の歌など望んではいないのではないだろうか?そう思ってしまうこともある。
Dを続けたいという意思を持っているのは自分だけなのだろうか?
考えれば考えるほどに気持ちが強まり、最近は本当に何をしてもその考えが拭えなくなってきました。
けれど、いざ終わりを遂げようとすると、今までの想い出やみんなの表情、声が思い出され、数多の言葉が胸に突き刺さりました。
それもあって今まで最終的な決断を下せずにいました。
あともう少しだけ頑張ろう、明日になればまた気持ちも楽になるかもしれない、そう思って無理やり気持ちを奮い立たせてきたというのが正直なところです。
命には必ず終わりがあるように、バンドにもいつか終わりはやってきます。
勿論どんな形になろうとも、Dの魂が滅ぶことはありません。
ですが肉体とい形状の滅びは残念ながら存在します。
このブログはDの生前遺書です。
いきなり今年で終わりにします、来春で終わりにしますと言ったら、ずっと応援してきてくれた皆さんの心の整理がつかないかもしれません。
だから今の僕やDの気持ちや意思を正直に話そうと決めました。
メンバーとも何度もミーティングを重ね、みんなの意思を確認して今日に至りました。
この16年半で、活動休止の時と先日のミーティングの時のたった2回だけ、メンバーの前で涙が流れました。
僕はDの先導者でありGCRの代表ですが、血も涙も通った人間です。
これまではメンバーには一切弱さを見せてはいけない、完璧でなくてはいけないと思っていました。
ですが、今はたとえその涙を見せた弱さが不利になると思われようとも、真実を伝えていくこと、心に素直であることに意味があると思うのです。
Dは好きで始めたことですが、今となっては仕事です。
それはビジネス的であり、仕方なくやっているという悪い意味ではなく、プロ意識を持っているという意味です。
Dが好きだからこそ中途半端には向かい合えない。
それでも背負っているものを独りで抱え込むにはキャパオーバーになりすぎました。
発言と行動が伴わなければ、この先何も見えてこない。
霧に包まれ、出口のない深き森のように。
3年半後には結成20周年を迎えます。
辛い現実から目を背けて、半端な17周年で終わりを告げるのか、それともあと3年半の間、死に物狂いで命を削って歌い続けるのか。
それを考えた時にやっぱりどうしても20周年を迎えたいという結論に至りました。
同じバンドを20年続けられるというのは奇跡のようなものです。
勿論諸先輩の中には更に長く続けていらっしゃる方々もいらっしゃいますが、20年という期間は誰もが成し遂げられるものではありません。
でも、この音楽シーンが大好きであったにも関わらず、避けられぬ理由で去っていった人の気持ちは痛いほど理解できます。
そういう人達はきっと、本当に心からこのシーンが好きだったと思います。
泣くほどに好きで好きで、叶うのならばずっと音楽を続けたかった人達です。
それでも自ら決断を下し、また物理的に決断が下されたのでしょう。
正直3年半後の、20周年を迎えた時に、僕らがDを終わりにするか続けるかは僕にもメンバーにもわかりません。
今は僕でさえ決断はできないのです。
当たり前のようにずっと側に在った存在がDであり、どんな時も航路を突き進んで来たのがDだったので現実味を感じられないのですが、それでも決断の日は必ずやってくるのです。
それでもこのままどんどん下降していくであろうシーンで光なく闇雲に彷徨うよりは、僅かでも希望を持ち、最後まで自分らしく心を燃やしたいと思いました。

結論からいうとDは結成20周年を目指し、D史上最大領域に挑戦します。

お金を出せば過去最大キャパでライヴができるかもしれない。
でも中身が伴わなければそこに真意はない。
過去最高動員に挑戦という言い方も考えましたが、それだと同じ会場で動員を記録しても達成したことになるし、それは僕らにとっても素晴らしいことですが、外部には伝わりにくいかもしれません。
Dの初期から、ライヴではいつも「Dの領域へようこそ!」と言って来ました。
だから「D史上最大領域」と打ち出しそこに到達することが、最も僕らに相応しい言葉だと確信しました。
沢山悩んで、頭の中がぐちゃぐちゃになりながら導いた答え。
ああすればいい、こうすればいい、そう思う人もいるかもしれない。
けれどそれを実際に行動して、結果を生んでいくことの難しさは誰にもわからない。
幾つもの選択がある中、誰も将来を見通すことはできない。
どんな完璧に見える人が存在したとしても絶対的な正解を選んでいくことは不可能だから。
でも、それを自分たちが成し遂げることによってシーンに対しての恩返しができればとも思うし、若い世代に向けての1つの指針になればとも思います。
20周年に向けて何をどこまで、そしてどれだけできるかはまだ不明ですが、これを僕らのひとつの到達点、終着点としたいです。
20周年をメンバー、スタッフ、ファンのみんなで無事に迎えられるように、どうか力をお貸しください。
ファンの皆さんもDの一人として、この想いを、楽曲を、まだDを知らぬ人の元へと届けてください。
ASAGI、Ruiza、HIDE-ZOU、Tsunehito、HIROKI、僕らの名前を呼んでください。
声と心をもっともっと聞かせてください。
この16年半に紡いで来た楽曲を何度も聴いて心を通わせてください。
一度でもDを愛した過去がある人は未来を少しだけDにください。
まだ僕らを知らない人は是非Dの領域で出逢いましょう。
あと3年と少し、今までの感覚でいえば全国ツアー6本、Sg、Al含めリリースが6~7枚といったとこでしょうか。
終わりがないと思っていた16年半前と、3年半後へのカウントダウンが始まった今。
それでも20周年のライヴが、Dの20年間の中で最も輝ける瞬間であるように頑張りたいのです。
人生を振り返った時に、Dを誇らしく思えるように。
たとえこの先向かう未来が暗闇だったとしても、僕はこれまで信じてついて来てくれたみんなを光差す世界へ導きたい。
頭上に輝く冠はないけれど、最後まで先導していくことが自分にできる使命だと思うから。
これは最初で最後の賭けです。
「UNCROWNED KING」は今、自分達が置かれている現実と世界観の中の物語を重ねて描きました。
これは僕、総じてDが未来に遺す生前遺言です。
“A will”
の意味が「遺言=最期の言葉」であるのに対して
“The will”
は「決意」を指します。
だから遺言は決して悲しいものではない。
限りある命を今、懸命に生きる者の決意が
“Will”
という未来に繋いで行くのだから。
僕はDを愛しています。
生きる理由のひとつです。
だから僕はDの最後の日まで共に生き、そしてDのヴォーカルとしての死を迎えて塵に返ります。
読んでくれてありがとう。



ASAGI