「素晴らしい私」になるのが恥ずかしい!? | 恋と仕事の心理学@カウンセリングサービス

「素晴らしい私」になるのが恥ずかしい!?

もう一度、その仕事を「好き」になってみませんか?


こんにちは。カウンセリングサービスみずがきひろみ です。
水曜日のキャリアアップのテーマを隔週で担当しています。


前回は、「期待に応えたくない」心理に潜む「怖れ」について解説しました。


私たちは、一つ成功すると、それを「繰り返したい」と思います。ところがキャリアアップは「役割」が変わることなので、それまでの成功体験がそのまま生きない、それどころか全く逆のことをすることが新しい「役割」では求められたりします。ちょっと大げさに言えば、それはある自分の「あり方」がいったん死んで、新しい自分の「あり方」を探す、という経験でもあります。そう考えると、確かにキャリアアップはとても「怖い」ですね。ドクロ


でも、この「怖さ」、子供が大人になろうと「自立する」ときの「怖さ」に似ている気がしませんか?


今回は、「成功する」ことがなんとなく「気恥ずかしい」という、「素晴らしい私」を「受け取れない」心理について考えてみます。


私がまだ20代半ば、キャリアウーマンを夢みて外資系の証券会社で働き始めた頃のことです。経験豊富なアナリストのアシスタントとして走り回っていましたが、「この業種を担当してみないか?」と上司の目にとまり、やっと自分が投資意見を書かせてもらえる会社を3社ほどもらいました。クラッカー一生懸命に会社やその業界を調べ、リポートにまとめ、先輩アナリストとともに、顧客にプレゼンテーションをするために相手先の会社の受付で不安な気持ちで相手が出てくるのを待っていると、


“Don’t look cute. You want to look intelligent!”
(「カワイ子ぶりっ子はやめなさい。知的な女性に見られなくちゃ」)


と先輩アナリストにピシっと言われました。ショック!


駆け出しの未熟さを、なんとか「若くて、かわいい」ことで免じてもらいたい、という気持ちを見透かされ、「その戦略は間違っている」と指摘されたのでした。しょぼん


(今の私なら、「『若くて、かわいい』も好印象を勝ち取るための武器のひとつ。それだけじゃないけど、それもあるよ、くらいにしたたかに意識して使いなさい」と、当時の自分に言ってやりたいところですが。)


私だって、知的でデキるとまわりから一目おかれているような先輩キャリアウーマンたちをカッコイイと思っていたし、自分もそう見られたいと思っていました。目


それには、自分が用意してきた仕事を自信をもって相手に提供しなければならないのに、自分よりも格上の、偉い人たちに対した時には、マインドは自動的に「小さな子供」に逆戻りするかのように、「何もできません。でも、かわいいから愛して!」になってしまっていたのです。クマ


何だか、そんなカッコイイ、オトナなビジネスパーソンのフリをするのは、大層、おこがましく、気恥ずかしいことのように感じられたのです。あせる


確かに、実力が伴っていないし、実績もないから、「自信をもて」と言われても難しい、ということもあります。

しかし、まがりなりにも、その場には「仕事をするため」に呼ばれているのです。「かわいい」娘役をやって場を癒すためにいるのではない。ダウン


当時の私にとって、仕事をきちんと評価されているカッコイイビジネスパーソンというアイデンティティは、まったく未知のものでした。UFO大人としての生き方を知らない思春期の子供が、「子供の特権」を失うことを怖れるように、つい、慣れ親しんだ「子供としての愛され方」に頼りたくなってしまい、一人前のアナリストとして席を用意してもらっているにもかかわらず、「かわいい子供」の着ぐるみの中に逃げ込もうとしていたようです。クマ


心理学では、父親は「社会」を、母親は「親密感」のシンボルだ、と考えます。赤ちゃんにとって初めて「親密感」を経験するのが母親とであり、最初の他人が「父親」だからです。子供にしてみれば、父親と母親に愛されるということは、「親密感」がある中で、「社会」に守られる体験になります。これは「安全」な感じがします。天使


ところが思春期に入り、私たちがオトナになるにつれ、父親や母親との関係性が微妙に変わってくるように感じます。オトナが3人、というのは心理的に三角関係になってしまうことで、居心地の悪さが出てきます。あせる女の子ならば、女になってしまうと母親から父親をとってしまうような怖れだったり、男の子ならば、男になると父親から母親を奪ってしまいそうになる怖れが潜在意識に出てくる、と言われます。だから、オトナになることに抵抗してみたくなります。だって、これまで「安全」だった関係性に危険な匂いが漂うとしたら、めちゃくちゃ怖いし、自分がオトナになったことを親に知られるのは、なんとも照れくさく、恥ずかしい感じがするものです。叫び


この不安定な心情を乗り越える方法として、未開部族では、割礼のようなイニシエーションでけじめをつけたりします。現代社会でも、節目節目で「儀式」を執り行うのは、人工的な「線」を引かないと、人はつい、もといた関係性に戻りたいという誘惑になかなか打ち勝てないからではないでしょうか。


とはいえ、現代文明に生きる私たちは、いっせいに「今日からオトナ」という覚悟をもつ機会はあまりなく、ひとりひとりが自分で、「親と子供」というよく知った関係性に終わりを告げ、オトナとして歩きださなければならないというやっかいさがあります。あし


役に立たない新人が、周りの暖かい目に育まれながら、いっぱしの仕事ができるようになる。自分はもちろん、人の食べる分まで稼ぐ責任を担えるようになるというキャリアアップのプロセスは、「子供」として享受していた安全な関係性をあきらめて、「大人」として生きることを選ぶ思春期の自立の心理的プロセスの追体験という側面がありそうです。


社会的に「素晴らしい私」になるためには、親の庇護をあきらめて、責任を自分で引き受ける覚悟がいるのですが、これはどうも「孤独の道」のように感じられるようです。しょぼん


でも、責任をとるからこそ、裁量権が増えて、仕事においてもより「自分」を表現できるフィールドが広がりますアップ


同じように責任を引き受ける人たちと目線が合うようになります。ニコニコ


あなたが「素晴らしい私」を生きると決めたら、「素晴らしい人たち」があなたを仲間として迎え入れてくれますグッド!


「恥ずかしさ」の向こう側には、パートナーシップという自由で豊かな関係性が広がっていますラブラブ


新しい仲間が待っていることを信頼して、孤独を怖れずに、あなたの「最高」になってくださいね。合格





ベルみずがきひろみの心理学ワークショップのお知らせ


少し先のことですが、7月4日の18:30-20:30に、五反田のゆうぽーとで、心理学ワークショップを開催します。


テーマは、「魂の声を聴く~そのままの『自分』と出会うために~」です。


自分の魂が何を願い、どう生きようとしているのかを尊重したい、というのは、私自身の「生きる」上での一番のテーマです。私にとっての「自分らしく」は、自分の心の声をどう大事にしていくか、ということだとも言えます。

そのために、私自身がくりかえしている「自分を知る」ためのエクササイズのいくつかをご紹介したいと思います。


ちょうど7月に入ったばかりで2010年も折り返し地点になりますので、心をリセットして、生まれ変わった気持ちで、今年の後半、皆さんがさらに先に進めるように応援したい、と思っています。

どうぞ楽しみにしていてください。ドキドキ



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