気力がない、動けないの正体は | 写真家yukko*のVIVIDにゅ~す!

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写真家でファッションコンサルタントのyukko*です。

わたしは、人は幸せでいるために生きていると思っています。
お洋服や写真を通じて自分を見つけ、あなたの幸せをVIVID(イキイキと鮮やかに)に生きようぜ♪

これまでもやってきたけれど、

このところは、さらに時間をとても丁寧に過ごすチャレンジをしていて。

 

その丁寧さはどういう感じかというと、

例のアレですよ。

 

「すべて心に聞く」。

 

行動しようとするとき、

ここまで何十年とやってきたやり方が

顔を出さないわけはなく、

 

ついついこれまでのやり方でやってしまう。

 

トレーナーに、立ち方や歩き方のバランスを変えてくださいね、

こうですよ、と言われたやり方を心掛けていても

疲れていたり気を抜いていたりでふと気づくと元の立ち方になってる、

みたいな感じですよね。

 

心って、こっちの都合とか考えちゃくれなくて、

いろんな外部刺激が入るとき、

けっこうに遠慮なく「えー・・・それは・・・」と思うようなことを言ってくるんですよ。

 

例えばメールやメッセージやお手紙や。

 

頭は、「いや、いただいた連絡にはすぐお返事を書かなきゃ失礼でしょ」

 

心は、「うーん・・・まだ書きたくない」

 

なんて平気でいう。

 

で、そこで心に従うわけです。

頭が結構にうるさいので

おかーちゃんに怒鳴られながらいうこと聞かない、みたいな感じで

 

おげーーー

 

と思うんですけど。

やってみる。

 

で、これをかなりやってきてみて思うのは、

「ちゃんと『その時』はくる」ということ。

 

気になりつつも行動はせずに待っていると、

ある日ね、「あ、今日」って思う時がくる。

なんかほんとにね、ぽくん、と

「あ、今日だ」とか「今日はオッケーだ」

みたいに思う日が来る。

 

それでやってみています。

(かなり時間がかかる案件もあります)

 

たぶん、実際に行動にうつす前に、

自分の中ではいろんな化学反応が起こっているのだと思うし、

 

うまく言えないけど、

心に従って、やっとタイミングがきて行動できると、

なんともこう、清々しい。

心に従ったあとに、心に「どうだった?」と聞いてみると

すごーーく満足そうな感じが伝わってくるんですよね。

 

きっとこれが、あとの自分を変えていくんだと思います。

 

私はこのブログで何回も何回も

「心は自分の進む方向を指してくれるコンパスだ」ということを言ってきているけど、

 

多分、このやり方で生きていったとき、

「自分を生きる」ことができるんだと思います。

 

これまでの親のいうことや学校で教わることで

「こうしなきゃいけない」って教え込まれたこといっぱいあるけど

それは、実はそうじゃない。

 

社会で生きるために、他人に迷惑をかけないために、こうしなさい。

空気を読んで、周りに合わせて、和を乱さないように。

 

みたいに言われてきたけど、

 

自分の心より大事なものなんて、ない!

のですよ。

 

一番怖いのは、自分の心の声を聞かないことを

反射でやり続けてしまうこと。

 

そうなるとどうなるかというと、可能性がどんどん小さくなるんです。

 

シャーレ(入れ物)に入れられたノミの話って聞いたことあります?

 

ぴょんぴょん高く飛んでいるノミを捕まえてシャーレに入れる。

もちろんシャーレには天井があるから、ノミはその高さまでしか飛べない。

 

で、しばらくそこで過ごしたノミをシャーレから出しても

もう、シャーレの高さでしか飛ばなくなるんですって。

 

それを人間に置き換えると、自分が持っていたはずの可能性を

自分で小さくしてしまうということになるでしょ?

 

自分の心を大事にするからと言って、

それが全部自分勝手な迷惑行動になるかというとそうではない。

 

ちゃんと少しずつ、伝えてみることをしていくといいと思う。

(最初は、理解されないかもしれないけど、それに負けないで)

 

ついつい周りに合わせてしまうとか

こうしなきゃいけないだろうからこうする、

 

っていうのが習慣になっちゃってるところから、

ちょっと待って、私の心はなんて言ってる?

 

ってストップをかけて考えてみるところから始めてみる。

それだけでいろんなことに気づくし、いろんなことが見えてくる。

 

私の心はこう言ってるけど、

ちょっととても、いまのあの人には言い出せない。

ちょっとまだ、行動にはできない。

ってんでもいいんです。

 

いきなり全てを行動にできなくても、

「心を聞く」ことを始めてみるだけで、何かが必ず変わるから。

 

こんな小さなステップがなぜ大事かというと、

心の声を無視して、

世間の「こうしなきゃ」に従っていくと

いつか、心(潜在意識)が完全ストップのカードを出してくる。

 

うつになったり、病気になったり、

(状況がどうにも立ち行かなくなったりってのもそうだと思う)

 

どうしていいかわからなくなっちゃうんですよ。

 

まだ動けるうちって、

心が嫌だと言っても、やろうと思えばできますよね。

いわゆる「根性」で。

 

でも、それをやり続けた後に

ある日やってくるのは、

どうしようもない虚無感と脱力感。

 

「動けない・・・」

「もう気力がない・・・」

「どうしちゃったんだ・・・」

 

となる。

そして自己嫌悪で泣けちゃったり

何もできない罪悪感で押しつぶされそうになる。

 

そういう時に人のあたたかさに触れると

号泣しちゃったりするけど、

それは根本的な治療にはならないんですよね・・・。

 

多分、多くの人は

ある程度のところで心をまひさせるとか

周りと一緒だからと自分を安心させてやっていっているけど、

 

それで生きていこうと思えば・・・まあ、生きていけなくはないけど。

 

それで生きていって老人になったとき、

 

「果たして私は、なんのために生きてきたんだろう・・・」

 

っていうことが起こりかねないと思う。

 

きっとこのブログを読んでくれている人は

「どうやって人生をよりよく生きていこうか」って思っている人が多いと思うから、

 

ちょっと年月を多めに生きてきた人からの言葉が、

すこしでも、縁があってここをみてくれた人の心に響いて欲しいなあ、って思っています。

 

 

 

気づき始めるときって、夜明けにすごく似ている。

周りが暗くて見えなくて。

 

だけど、光は少しずつ、必ず大きくなってくるから。