昨年勤めていた会社を辞め、フリーランスに戻りましたRIEです。
もともとフリーの研修講師だったから、また舞い戻った感じだけど、
やっぱり会社勤めじゃない身分は不安定・・・って本当にそうなんだろうか?
私が勤めていた会社は、辞める半年前から給料未払いが続いていた。
・・・と言うとみんな「それって訴えられるレベルだよね?」「よくやってたね!」と言うけど、
訴えても払えないものは払えない。 よね?(笑)
まあもともと残業代なし、ボーナスなし、もちろん退職金もなし。
どんなに残業しても、終電で帰っても、徹夜しても、家に持って帰って夜中の3時にメールのやり取りしてても、
まったく関係なく一定の給料が続いてた。
それこそ訴えられるレベルだ。
まず最低賃金に違反。
36協定ももちろん提出してない、となれば、
労働基準法第32条で1週間40時間、1日8時間と決まっている勤務時間の上限にはもちろん違反。
先日ハローワークでその会社の求人を見つけたんだけど、堂々と退職金アリとなってたなぁ。
就業規則は変更したんだろうか・・・???
しかし、その当時の私はそれをおかしいとは思わなかった。
知識があれば、その頃の労働状況を記録しておくぐらい気の利いたことをやったと思う。
しかしタイムカードも無し、日報も無しだった頃のことだから・・・
と書くと、なんか未開の地の奴隷のような働き方だったような気がする。
これがよその会社を教育する仕事をしている会社の実態。
となると、ほかにもそんな会社がウヨウヨしていそうな気がする。
本当に会社に勤めたほうが安定してるのだろうか?
実際はどこにいても安定でも安心でもない。
それは、「どんな大企業でもいつ潰れるかわかんないから」といった話ではなく、
どんな会社に勤めていたって、雇われる側の人間の意識が依存的だったら安定も安心でもないってことだ。
雇用されている身分であっても、「会社とは対等」という意識と知識を持って、常に相手が正しく立ち振る舞っているか確認し続ける必要がある。
ここで大事なのは、会社に雇ってもらってる、と自分を下に置かないことだ。
私は、仕事は「等価交換」だと思っている。
(もちろん昔はそんなこと考えてもいなかった)
自分がした仕事と等価な給料をもらっているのだ。
だから上でも下でもない。等価なのだから。
会社は人がいないと成り立たない。
反面、社員の誰がいつ辞めてもビクともしないものでもある。例えそれが社長であっても。
だからこそ、どちらの立場が弱いとか強いとかではなく、対等に見て、対等な立場で自分の義務と権利を知らなければならない。
つまり、すべての労働者は「知るべき」なのだ。
自分たちがどのような法律に従って雇用状況にあるのか?
どんな扱いがNGで、どこまでが権利となるのか?
労働法の基礎くらいは知っておいて損はしない。
というより、労働法の知識は仕事する人間にとって必要なものだ。
不必要にブラック、ブラックと呼ばせないためにも、企業側は新入社員には労働法の研修くらい受けさせたほうがいい。
大学や高校でも、キャリアの授業の一環として労働法について叩き込んでおくべきだ。
と、偉そうなことを言ってる私も、以前の職場でズブズブ、グダグダの働き方をしてきた。
給与未払いという大変な事態に陥ってからようやく、「これではいかん」と勉強を始め、そこから現在のキャリアコンサルタントという仕事に結びついている。
だから、今ではあり得ないほどひどい半年間の未払いをやってくれて感謝している。
あきらめが悪く、頑固な私は、そこまでされないとあきらめなかったし行動しなかった。
でも、そこまでのことがあったから、いまこうして別の人生を生きていけてる。
あのまま会社に残っていたら、いまだに毎朝体が固まって起きられなかったと思う。
(それほど体にまで影響が出ていたのだ・・・)
体が動かない問題は辞めたらスッカリ治ってしまった(笑)
人生塞翁が馬とはよく言ったもので、何が幸いするかわからない。
いまは金銭的に不安定?とはいえ、精神的には楽になった。
以前は金銭的にも精神的にもヤバかったのだから、会社に頼っていた自分が悪かったのだ。
人間関係も雇用関係も、依存心があっては絶対うまくいかない。
人はすべからく対等。人と企業も対等。
だからこそ、いい仕事をする義務があり、賃金をもらい、休暇を取り、幸せな人生を送る権利がある。
依存とは、自分の価値判断を他人に委ねることである。
依存から本物の信頼が生まれることは無い。
これに気づかせてくれた前職のヤバさ加減には大感謝である。
心からありがとう!と言いたい(笑)