blogを書けと言われたので「卯」の話。
blogを書けと言われたので「卯」の話です。
4月と言えば、卯月。
卯の花が咲く時期だから、うのはなづき。でウヅキだとか。
ただし、これは旧暦でのことです。卯の花は5月から6月が時期ですから。
とは言え、今は4月が卯月。
こういう点からも、太陰暦と太陽暦の違いが浮かび上がってきますよね。
卯とは。
卯には幾つか意味があります。
時刻だと、午前5時から7時。或いは午前6時。
そして当然ながら、干支の卯。兎。
兎。
古事記で兎と言えば、出雲神話に出てくる〈稲羽(稲葉)の白兎〉です。
ってことで、出雲の神話=現在の島根県の物語、となっています。
が、本当は因幡の話ではないかも、とか。
古事記表記だと、因幡=稲羽。
ここらは出雲神話の成り立ちが関係するようです。
建速須佐之男命からの流れで、島根県を舞台にせざるを得なかった。
なんて言いつつ、実は違う理由があるのではないかと思います。
最初から島根の神話であった可能性の方が高いように感じるのです。
神話の元になったものがあって、出雲地域の出来事と融合されたのではないか、と。
この辺りは格と長くなるので割愛。
古事記での表記。
一度、古事記でのエピソードを見てみましょう。
故 此大國主神之兄弟 八十神坐
然皆國者 避於大國主神
所以避者 其八十神 各有欲婚稻羽之八上比賣之心 共行稻羽時 於大穴牟遲神負岱 爲從者率往
於是到氣多之前時 裸菟伏也
爾八十神謂其菟云 汝將爲者 浴此海鹽 當風吹而 伏高山尾上
故 其菟從八十神之教而伏
爾其鹽隨乾 其身皮悉風見吹拆
故 痛苦泣伏者、最後之來大穴牟遲神 見其菟言 何由汝泣伏
菟答言 僕在淤岐嶋 雖欲度此地、無度因
故 欺海和邇(此二字以音、下效此)
言 吾與汝競 欲計族之多小
故 汝者隨其族在悉率來 自此嶋至于氣多前 皆列伏度
爾吾蹈其上 走乍讀度
於是知與吾族孰多
如此言者 見欺而列伏之時 吾蹈其上 讀度來 今將下地時 吾云 汝者我見欺言竟 即伏最端和邇 捕我悉剥我衣服
因此泣患者 先行八十神之命以 誨告浴海鹽 當風伏
故 爲如教者 我身悉傷
於是大穴牟遲神 教告其菟 今急往此水門 以水洗汝身 即取其水門之蒲黄 敷散而 輾轉其上者 汝身如本膚必差
故 爲如教 其身如本也
此稻羽之素菟者也
於今者謂菟神也
故 其菟白大穴牟遲神 此八十神者 必不得八上比賣
雖負岱 汝命獲之
上に貼ったリンクの内容と思って頂いて差し支えありません。
こちらでも一度意訳的なものを書いてみます。
いろいろ足してますが、御容赦を。
さて、この大国主神には沢山の兄弟神がおりました。
彼らは大国主神を国から追いだしてしまいます。
それは、稲羽の八上比賣を娶りに向かう道中、大穴牟遲神(大国主神。まだ国造りをしていないので、大国主神ではない時期になります)を荷物持ちとして使うためだったのです。
(大穴牟遲神より先んじて)兄弟神が氣多(稲羽国 氣多郡)を通りがかったとき、皮を剥かれ倒れ伏せている兎に出会いました。
兄弟神たちは兎に教えます。
「お前は、この海の水を浴びること。そして高い山の上に横たわり、風に当たることだ」
神々の言葉を信じ、兎は言うとおりにします。
塩を含む海の水が乾くにつれ、兎の皮が突っ張ってきます。それでもと我慢していると遂には皮膚が裂けてしまいました。
兎が痛みと苦しさに泣き伏せっているところへ、大穴牟遲神が遅れてやって来ます。
「兎よ、お前は一体どうした訳で泣いて伏せっているのだい?」
苦しい息の下から、兎は答えます。
「わたくしめは、淤岐島におりました。ですが、この地に渡りたかったのです。しかし渡る方法がありませんでした。そこで海の和邇(わに。鮫のこと)を騙してやれば、と思ったのです」
それはこのような話でした。
浜へ渡りたかった兎は和邇に声を掛けました。
「わたくしの一族と、あなたがた和邇の一族、どちらの数が多いのか比べてみませんか? あなたの一族がこの島から氣多の浜まで並んでくれたら、その背を踏みつつ数を数えてあげます。そうやってわたくしの一族とどちらの数が多いか調べられますよ」
それは明暗と和邇たちは海の上に並びました。
兎はその背を跳びながら、一応数えていきました。
あと少しで浜へ辿り着く刹那、兎はうっかり口を滑らせてしまったのです。
「和邇の皆さんは騙されたのですよ。ふふっ。わたくしはただこの浜へ渡りたかっただけです。そのためにこうやって数を数えるためだと背を踏んで――」
騙されたことに気付いた最後尾の和邇は、兎を捕らえ、その衣服(皮)を剥ぎ取りました。
「――皮を剥かれ苦しんでいるわたくしを哀れに思ったのか、通りがかった沢山の神々が〈海の水を浴び、高い山の上で風に吹かれればよい〉と教えてくれたのですが、その通りにしたところ余計に傷が悪くなったのです」
大穴牟遅神は兎に助言を与えました。
「すぐにそこの河口へ降り、真水で体中を洗いなさい。河口近くに生えている蒲黄(ほおう。蒲の花粉。止血効果など薬効がある)を敷き詰め、その上に寝転がるのです。そうすればお前の身体の皮膚は治るよ」
教えられたとおり、兎は真水で身体を洗い、蒲黄の上に寝ました。
すると身体が元通りになったのです。
すっかり回復し、元の白兎となったこの兎。今では兎の神となりました。
白兎は大穴牟遅神に申し上げます。
「あの沢山の神々は八上比賣を得られないでしょう。荷物持ち(袋を背負った姿)だとしても、比賣はあなたを選びます」
ということで、兎の言うとおり八上比賣は大国主神を選びます。
ある種預言的ですよね。
で。
当の八上比賣は「八十神(大国主神の兄弟神)たちの言うことは聞きません。わたくしは、大穴牟遲神を選びます」と明言しちゃうんですね-。
兄弟神の面目丸つぶれです。何故かって? それは単なる荷物持ちとして国から追いだした大穴牟遲神に全てをかっ攫われるんですから。
当然この後、怒り心頭の兄弟神に大穴牟遲神は酷い目に遭わされます。
その度に大怪我を負ったり、死んだり(!)する大穴牟遲神ですが、女神たちの力添えもあって再生を繰り返します。
それだけではなく、その後も大穴牟遲神の周りには危険と助け、そして薬や治療という要素が大量に絡んでくるのです。
そう。
稲羽の白兎のエピソードから始まる大国主神の物語には〈死と再生。知恵と薬〉が深く関わってくると言っても過言ではないでしょう。
そしてそれだけではなく、大国主神には沢山の女神たちが味方します。
女神と大穴牟遲神。
詳細は省きますが、大穴牟遲神を助けるのは大体に於いて、女神です。
後にスクナビコナが大穴牟遲神に合流して国造りを共に行います。
性別的には男性神のようです。大穴牟遲神を助ける存在に男性神が関わってきました。が、存在時代が謎というか結構特例的というか。もしかすると――これもまた調べがいのあるテーマになり得ますね。
さて、女神。
八上比賣は「八十神(大国主神の兄弟神)たちの言うことは聞きません。わたくしは、大穴牟遲神を選びます」と言いました。
これはちょっと面白いことだと思います。それは何故かと申せば、八十神らは八上比賣の言うことを素直に聞いちゃうんですよ。あれだけ多人数で押しかけていたのにもかかわらず。
「あんたらのモンにはなりません。自分が選んだ大穴牟遲神がいいんです!」って八上比賣から無碍に袖にされたら、それを渋々ながらも受け入れている。
物語のパターンとして、断った相手を武力などで制圧し、無理矢理にでも言うことを聞かせるとかあるじゃないですか? でも、神々はそれをしない。ある意味平和的に対話で物事を決めていると言えます(その後、大穴牟遲神に対し、結構ウルトラバイオレントな行動に出るけれどもだ)。
彼らが逆らえない理由は多数考えられますが、ここでは割愛しましょう。
ただし、兄弟神が大穴牟遲神を殺害しようとしたのは妬みだけではなく「大穴牟遲神を亡き者にすれば、我々にも機会がある」なんて目論んだからじゃないかなぁ。
そうそう。
八上比賣は稲羽の豪族の娘かつ、巫女だった説もあるんです。
古代、巫女は神の声を聞き、王へ伝えました。
王はその神託により政を行います。
だから巫女は結構重要な役回りです。王より権力はないにせよ、何らかの決定権は持ち合わせていたのではないでしょうか?
大穴牟遲神を選んだことに対し、他国の八十神は逆らえなかったのは巫女・八上比賣の発言だったから、なのかも知れません。
「於是八上比賣 答八十神言 吾者 不聞汝等之言 將嫁大穴牟遲神(八十神たちの言うことは聞きません。わたくしは、大穴牟遲神を選びます)」と古事記内ではサラッと表記されていますが、これだけではなかった可能性も。
で、王と巫女。
古代「男は武力で女性を護り、女性は呪力で男を護る」と言われていました。
王と巫女の関係性に少し似ています。
また、大穴牟遲神のエピソードには随所にそれを感じさせる場面が出てきます。
男は身体が丈夫で力も強いわけですから、物理的に皆を護る、或いは力仕事を主に行う。
女性は呪力が強いので、目に見えない力で皆を護りつつ、各種仕事をこなす。
もちろん全てがその通りだったわけでもないのでしょう。
ただお互いに「自分がやれることをやって、相手を護る、思いやった」結果のような気がします。
現代においても、大事なことだなぁと思います。はい。
あ。現代も女性の呪力についての話がありますですヨ?
これに関しては、そのうちどこかで語るか、本で書くかなぁ……。
新年度がやって来た。
ってことで4月。
社会では新年度の始まりです。
旧暦だと2月にお正月でしたが、4月もある意味で新しい年の始まりなのでしょう。
去年が卯のうさぎ年で、今年は辰年。
わたくし個人的な感覚だと、兎のジャンプ力から龍の飛翔で〈大きな飛躍〉の流れになっている、ということにしています。
卯月であるこの四月。
春の始まりですから、思い切っていろいろ飛び出してもいいのかも知れませんね。
え? わたくし?
今年は沢山出かけることを心がけていこうと思います。
いやー、ほら。まあ。ねえ?
……いろんな所へ遊びに行きたい……ッ。
だけですけれども!
えーっと。新年度からも久田樹生をご愛顧下さいますようお願い致します。
皆様の応援あってこそ、小説を書いたり、取材に行けたりしています。
いつもありがとう御座います。
より一層頑張ります!