blogを書けと言われたので「神様とシコ」の話 。

 

 さて、シコ。 

 タイトルを見て「神様とシコ。四股を踏むの四股で、相撲(すまふ)との関連性。ひいては日本古来の武道、武術について書くに違いない。野見宿禰の使った技術とかさ」というパターンがありそうな気がしてきましたが……。

 今回は違うシコについてです。

 

 シコ。

 神話の中にシコという名が含まれた神がいらっしゃいます。 

 「アシハラノシコオ(ノカミ)」ですね。  

 漢字表記ですが、古事記では「葦原色許男神」、日本書紀では「葦原醜男」になっています。  

 意味は「葦原中国の頑丈で強い男神」です。  

 葦原中国はアシハラナカツクニで、日本を表します(正しくは、高天原と根の国の間。地上世界。日本を指している、ってことで。「いやいや出雲周辺のことだ、とか、奴国じゃい!」 とかやり始めるととっても長くなるのでここでは割愛)。  

 よって、葦原色許男神は、日本国の頑丈で強い男神を指すわけです。  

 また建速須佐之男命の娘・須勢理毘売に「甚麗しき(普通の度合いを超すほど美しい)神」と言われていますから、「美丈夫」の意味もあるのでしょう。

 

 Tips! :頑丈で強い男&美丈夫 = シコオであるわけで、古代日本のイケメンの定義がここで見えてきます。多分、古代のイケメンは細マッチョじゃないです。当時は肉食もしておりましたから、筋骨隆々で男臭いメンズがモテていたのでしょう。美丈夫ってのも、今風のお顔じゃないはず。立派な髭を蓄えた、男臭さ爆発タイプ。  ぶっちゃけ、生命力に溢れた男がモッテモテだったのでは?  イケメンの定義は時代ごとに変わりますから、面白いところです。その証左として、建速須佐之男命が高天原から追放されるときに〈髪を切られ、髭も剃られ、手足の爪も剥がされた〉状態にさせられることがあるのではないでしょうか。これは髪と髭、爪に霊(チ)があるのを削り取るためという側面と共に、当時の男性が長い髪を美豆良に結い、立派な髭を蓄えているのが立派である・美丈夫であるという証だったからこそ執られた処置だったのでは? そう考えると短い髪とつるつるの顔の男性はイケてない! 恥ずかしい! ってことで建速須佐之男命を辱める意図もあった可能性も感じますね。

 

 この呼び方は、建速須佐之男命が大国主神を呼ぶ際使われます。  

 言わば「高天原や根の国という異界から現世の者を呼ぶとき」に使われる表現です。

 

 Tips! :大国主神と葦原色許男神は別の神という説もあるとか。更に葦原中国を象徴する神名である葦原色許男神でありますが、民俗学的に隻脚神として印象があるとも。

 

 ここでちょっと疑問なのは日本書紀の「葦原醜男」。  

 醜、という漢字が用いられていることです。  

 読みはシコですが、文字そのものが持つ意味は〈みにくい〉なんですよね。  

 それでも美丈夫の意味がある、とされています。  

 同じく日本書紀で「泉津醜女(ヨモツシコメ)」が出てきますが、古事記だと予母都志許売(豫母都志許賣)。やはり古事記と日本書紀で使う文字が違います。

 

原文:於是伊邪那岐命 見畏而逃還之時 其妹伊邪那美命言「令見辱吾」 遣豫母都志許賣此令追~  訳:これに伊邪那岐命、恐れ逃げ帰ろうとしたときである。妹・伊邪那美命が「よくも吾に恥を掻かせたな」と言い、予母都志許売にその後を追わせた。

 

 予母都志許売ですが、古事記では特に説明がされていません。  

 黄泉国の鬼女であるとされています。  

 ただし、角が生えた鬼ではなく、単に禍々しく恐ろしいものと考えた方が良さそうです。  

 だからここでの「シコ(志許)」は恐ろしい形の、醜い、の意味になります。  

 日本書紀で「醜」という漢字を当てはめるのも分かる……?  

 しかし、「葦原色許男神」が「葦原醜男」になるのは納得いかない気がします。  

 正味の話、国内向け変体漢文の歴史書・古事記から、海外向けの漢文歴史書・日本書紀に編纂するとき、書き間違えた(或いは文字チョイスを変えた)ような気もするんですよね。

 

 Tips! :変体漢文は〈表意文字たる漢字と、表音文字として日本が開発した万葉仮名の両方を混合させたもの〉で、日本語混じりの漢文。古事記はこれで書かれています。日本書紀は漢文。神々の名前などは音を再現する形で記載されていまして、現代で言うなら英文の中にヘボン式ローマ字で記載する感じでしょうか。「アシハラノシコオノカミ」なら「Ashihara no shikoo no kami」のように。 ※余談:ただし英文の場合、川などの固有名詞を記載するときには最後に英語で「river(川)」を入れます。だから日本の神々の名を英文で表記する場合「deity(多神教の神)」を何処かへ入れるべきかも知れない。GOD所謂神と分けて書かなくてはならないはずだから。

 

 古事記から日本書紀、日本語から漢文へ変換する際、シコという音を置き換えるときに起きたミスというか。    

 頑強で強い・美しいのシコと、醜いのシコ。  

 同じ音ですが、当時は何らかの使い分けルールがあったのではないかと思います。例えばイントネーションとか。  そもそも音に意味がありますからね。

 それでもミスった・書き換えた結果が、この漢字表記なのかも知れません。    

 

 古事記は国内向けに書かれたもの。  

 日本書紀は海外へ向け書かれたもの。  

 音を漢字に換える際、意味を持たせつつ、音を大事にした古事記。  

 音を漢字に換える際、とにかく国内で遣われる音が伝われば良いとした日本書紀。  

 シコから見えるのは、それぞれの特徴ではないかと思います。 

 

 なので、日本の神話を読む場合、まず古事記からをお勧めしたい今日この頃。  

 綺麗に締めようと思いましたが、妄想をもうひとつ。  

 醜男って、もしかしたら「美醜は表裏一体」から来てたりして。  まさかね……。