blogを書けと言われたので「神様とシコ」の話 。
さて、シコ。
タイトルを見て「神様とシコ。四股を踏むの四股で、相撲(すまふ)との関連性。ひいては日本古来の武道、武術について書くに違いない。野見宿禰の使った技術とかさ」というパターンがありそうな気がしてきましたが……。
今回は違うシコについてです。
シコ。
神話の中にシコという名が含まれた神がいらっしゃいます。
「アシハラノシコオ(ノカミ)」ですね。
漢字表記ですが、古事記では「葦原色許男神」、日本書紀では「葦原醜男」になっています。
意味は「葦原中国の頑丈で強い男神」です。
葦原中国はアシハラナカツクニで、日本を表します(正しくは、高天原と根の国の間。地上世界。日本を指している、ってことで。「いやいや出雲周辺のことだ、とか、奴国じゃい!」 とかやり始めるととっても長くなるのでここでは割愛)。
よって、葦原色許男神は、日本国の頑丈で強い男神を指すわけです。
また建速須佐之男命の娘・須勢理毘売に「甚麗しき(普通の度合いを超すほど美しい)神」と言われていますから、「美丈夫」の意味もあるのでしょう。
この呼び方は、建速須佐之男命が大国主神を呼ぶ際使われます。
言わば「高天原や根の国という異界から現世の者を呼ぶとき」に使われる表現です。
ここでちょっと疑問なのは日本書紀の「葦原醜男」。
醜、という漢字が用いられていることです。
読みはシコですが、文字そのものが持つ意味は〈みにくい〉なんですよね。
それでも美丈夫の意味がある、とされています。
同じく日本書紀で「泉津醜女(ヨモツシコメ)」が出てきますが、古事記だと予母都志許売(豫母都志許賣)。やはり古事記と日本書紀で使う文字が違います。
予母都志許売ですが、古事記では特に説明がされていません。
黄泉国の鬼女であるとされています。
ただし、角が生えた鬼ではなく、単に禍々しく恐ろしいものと考えた方が良さそうです。
だからここでの「シコ(志許)」は恐ろしい形の、醜い、の意味になります。
日本書紀で「醜」という漢字を当てはめるのも分かる……?
しかし、「葦原色許男神」が「葦原醜男」になるのは納得いかない気がします。
正味の話、国内向け変体漢文の歴史書・古事記から、海外向けの漢文歴史書・日本書紀に編纂するとき、書き間違えた(或いは文字チョイスを変えた)ような気もするんですよね。
古事記から日本書紀、日本語から漢文へ変換する際、シコという音を置き換えるときに起きたミスというか。
頑強で強い・美しいのシコと、醜いのシコ。
同じ音ですが、当時は何らかの使い分けルールがあったのではないかと思います。例えばイントネーションとか。 そもそも音に意味がありますからね。
それでもミスった・書き換えた結果が、この漢字表記なのかも知れません。
古事記は国内向けに書かれたもの。
日本書紀は海外へ向け書かれたもの。
音を漢字に換える際、意味を持たせつつ、音を大事にした古事記。
音を漢字に換える際、とにかく国内で遣われる音が伝われば良いとした日本書紀。
シコから見えるのは、それぞれの特徴ではないかと思います。
なので、日本の神話を読む場合、まず古事記からをお勧めしたい今日この頃。
綺麗に締めようと思いましたが、妄想をもうひとつ。
醜男って、もしかしたら「美醜は表裏一体」から来てたりして。 まさかね……。