映画「牛首村」の舞台は富山県です。

 富山県に牛首村という地名は存在するのでしょうか?

 実はあります。いえ。あった、というべきでしょう。

 富山県から石川県の境目、県境に存在した村が「牛首村」です。

 ※あと中華人民共和国にも「牛首村」って存在しますね。ニュウ ショォ クゥン って発音かもしれません。村の発音、難しいです。

 

 牛首村は牛頭天王を祀っていた村で、現在だと石川県河北郡津幡町牛首になります。

 牛首紬という、石川県白山市の「伝統の織物」にも名前が残りました。

様々な伝承や逸話に彩られた牛首紬の要素も、小説を書く際の参考の一助としています。

 

 しかし、何故「牛首」村になったのでしょう。

 それは、奈良時代の修験道の僧侶・泰澄が、白山を開いたときの逸話に関係しています。

 開山時、牛頭天王と十二神将を祀ったことかららしいのです。

 牛頭天王は牛の頭を持った神です。

 日本では素戔嗚尊と習合され、八坂さんとして病を鎮める神となりました。

 八坂さん。そうです。京都の祇園祭です。

京都の祇園祭は〈行疫神を慰め、疫病を防ぐ〉祀りが原型になります。

今も続く祭ですから、ご存じの方は多いと思います。

 泰澄師は、白山を開いた後、麓に薬師堂を建立、そこに牛頭天王を祀った、という伝承が残っています(或いは白山を開いてそこに薬師堂を開いたから、という説もあります)。

 この牛頭の神・牛頭天王――牛首の神を祀る村だったから、牛首村。
 そのような伝承が村の名と関係しているようなのです。

 この牛首村ですが、平家の落人伝承もあり、財宝伝説が残っています。

 他にも様々な逸話が残る地であることは確かです。

 

 さて、牛頭天王・素戔嗚尊の本地仏(本地垂迹説にて言われる、神々の根本となる仏)は薬師如来になります。

 そう、泰澄師が開いた薬師堂に祀られた神は牛頭天王であることは、すでに書きました。

 本地仏のお堂に牛頭天王が祀られるのは、当然のことなのです。

 牛頭天王、素戔嗚尊の本地仏・薬師如来は疫病治癒、寿命を延ばし、災禍を消し……などの力を持つ仏様です。

 やはりここでも疫病が出てきました。

 疫病と言えば、牛頭天王・素戔嗚尊、蘇民将来説話の関係も見逃せないでしょう。

 蘇民将来説話に出てくる武塔天神(出自に諸説ある神)は「災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神」で、牛頭天王や素戔嗚尊と同一とされています。

では、蘇民将来説話とはなんでしょうか?

 

 蘇民将来は人の名です。弟に巨旦将来という人物がいます。二人兄弟ですね。

 この弟・巨旦将来の元に、粗末な身なりの人が訪ねてきて、一夜の宿を求めます。※北の海にいた武塔天神という神が、兄弟神のいる南の海へ旅する途中のこととされ、最初から〈神〉であることが明示されています。他、祇園牛頭天王縁起では蘇民将来が武塔天神になっているパターンも。

 ところが、巨旦将来はそれを無碍に断ります。

 次に粗末な身なりの人は、蘇民将来の家を訪ねました。

 蘇民将来は厭な顔一つせず、家に泊め、精一杯のもてなしをします。

 この粗末な身なりのひとは「身分を隠し、粗末な格好をして訪ねてきた牛頭天王(素戔嗚尊・武塔天神)」でした。

 牛頭天王を快く泊めたことで、蘇民将来は福を得、疫病を遠ざけます。

 対する蘇民将来の弟・巨旦将来はよくない態度で牛頭天王を追い返しています。そのせいで疫病に苦しめられ、最後には子孫が絶えてしまいました――。

 

 という話なのです(もちろん細部が違う話は数多く伝わっています)。

 ここで注視したいのは〈牛頭天王=素戔嗚尊=武塔天神〉であること。

・牛頭天王の別名が武塔天神

・北海の神・武塔天神が「吾は素戔嗚尊なり」と名乗った

・初期の祇園信仰は武塔天神信仰であり、後に牛頭天王となった

 などの理由が伝わっています。

 

 さて、牛頭天王はその名の通り、牛の頭部と角を持ちます。

 武塔天神も同じく、牛頭の太子であるようです。

 牛頭天王と武塔天神は背丈も大きいと伝えられています。

 ただ、素戔嗚尊は牛の頭も角も持ちません。

 でも、〈外つ国からやって来た神という説がある〉と言う部分で、牛頭天王・武塔天神と共通する部分も浮かび上がることも確かです。

 この辺り、調べ出すととんでもなく長くなるので、これくらいにしておきます。

 

 さて、この蘇民将来説話の中に、気になる言葉が出てきます。

 牛頭天王(素戔嗚尊)が、蘇民将来に言うのです。

「この先、疫病が流行るので、茅の輪を腰に下げよ。それで疫病を避けることが出来る」

 果たして、疫病が流行り、蘇民将来の家は生き残り、巨旦将来の子孫は死に絶えた……。

 牛頭天王の〈予言〉と言えるエピソードです。

 そういえば、泰澄師は疱瘡(天然痘。流行病)を収束させたという話が伝わっています。

 やはり牛首村と病を祓う神は深い繋がりがあるようです。

 

 しかし〈牛の頭を持つ姿と、予言〉と言えば……そう。

 思い出すのは「くだん(件)」です。

 有名な話ですし、詳細を書くとやはり長くなりますので割愛しますが、やはり牛と予言がセットになっています。

 

 富山県と牛について更に調べていきます。

 富山県には「くたべ」という予言する妖の伝承が残っていました。

 くたべの絵は、人頭に獣の身体を持った姿で描かれます。

 くたべは〈4~5年の後、名も知らぬ病が流行り、人々が死ぬ。我(くたべ)の姿を見たものは、  その疫病から逃れ、長生きするだろう〉と薬種取りに告げた、というものです。

 この後、くたべの姿を刷った御札が疫病除けになりました。

※疫病除けの御札にはこのようなパターンも多く見られます。

 

 ……更に「すかべ」という存在も語られています。

 すかべは、くたべの姿に似ています。が、鼻をつまんで、おならをするポーズで描かれます。

 このすかべも予言を残します。

〈4~5年の後、おならが流行り~〉というもので、深刻さはあまりありません。

 くたべのパロディだったのでしょう。パロディされるということは、それくらい「くたべ」の話が流布していた証拠とも言えます。

 

 更に各種書籍なども拾っていくと、〈牛の頭と神々、妖などの逸話〉は数多く目にすることが出来ますので、資料メモも増えていくという……。

 面白いですし、小説の様々なヒントに変わっていくのが楽しい部分ですね。

 

 因みに。

 牛首村の小説のためにいろいろ調査していたときのことです。

 行く先々で「祇園社」や「素戔嗚尊が祀られた神社」「薬師如来」に出くわしました。

 予想しない場所にある小さな社を除くと、祇園社だったり。

 目指した先にある土地の神社に素戔嗚尊さんが祀られていたり。

 訪れたお寺に薬師如来さんがいらっしゃったり。

 そしてデータ整理していたら、牛頭天王さんの御札画像が出てきたり。

 いやはや、御縁なのですかね、これって。

 

 おっと。

 思いつくままに書いてきましたが、富山県と牛首の関係を探っていくところから「疫病を避け、治癒し、寿命を延ばし、災禍を消し……」という御神仏の話に繋がりました。

 よくよく考えると、牛の頭を持つ、或いは牛と関係する存在は人々を助けてくれることが多いようです。

 牛頭天王や素戔嗚尊、武塔天神、薬師如来を祀る寺社へ足を運び、ご挨拶をして見てはいかがでしょうか?

 

 そうそう。武塔天神は広島県三次にある武塔神社で祀られています。蘇民将来説話は広島県の話なのです。

 そして、蘇民将来説話の舞台である地域には「吉備津神社」が存在しています。

 吉備津神社は鳴釜神事で有名ですが、吉備津彦命を祀った神社です。

 吉備津彦命は温羅(うら/おんら)という鬼を退治した人物とされ、桃太郎の原型と言われています。加えていうなら、お父様の孝霊天皇も鬼退治をしたようです。

 しかし、温羅は鬼とされていますが、〈渡来人の大男で蓬髪だ〉程度で角の有無は伝わっていません(鬼と言えば、頭に牛の角が生えているとされています。ただし、これは後年に構築されたイメージのようです)。

 温羅は人に危害を為す反面、製鉄などの文化を伝えたとも言われます。

 どうもこの辺り、勝者が作り上げた歴史が関係しているパターンのようですね。

 

 この温羅ですが、吉備津彦命に退治され、首だけになっても声を上げ続けました。

 気味が悪いので犬飼部に命じ、犬に肉を食わせますが、それでも止みません。

 そこで吉備津彦命は温羅の夢を見ます。

 夢の中で温羅は吉備津彦命に言います。

「吾の妻に命(吉備津彦命)の釜殿の釜を焚かせよ。もし、世の中に何かがあれば、釜の前に来い。釜を焚いたとき、幸あれば裕(ゆとりがある、ゆたかの意)に鳴り、禍(わざわい)あれば荒々しく鳴ろう。命は世を捨て、霊神となれ。吾は一の使者となって、四民(あらゆる人々)に賞罰を与えん」

 言うとおりにすると、温羅の首は唸ることがなくなったと言います(※釜の下に温羅の頭蓋骨を埋めたという伝承もあります)。

 以来、吉備津神社の鳴釜神事は、この世の吉凶禍福を判断する神事となりました。

 

 ここでも「首(鬼)」「予言(占い)」「渡来人(外つ国)」が出てきました。

 偶然とは言え、非常に気になる点です。全てが繋がっている可能性を想像してしまいます。

 吉備津彦尊、孝霊天皇の時代は紀元前とされます(ここは諸説あります。どちらにせよ日本の古代です)から、全てはまず広島県から始まったと考えるのが妥当かもしれません。

 例えば、吉備津彦命の伝承が北上していく最中、関西方面にも伝播していき、変形して残った。それが時代と共に更に変化して後の世の富山県に……とか。

 それと泰澄師の伝承を加えると――いやはや、新しい物語を書けそうです。

 というか、書きたい! どこかで書かせて!(野望)

 

 さて、話は尽きませんが、今回はここまでです。

 ではまた次回をご覧あれ!

 

 

                                           久田樹生

 

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2022年 1月20日 発売! 是非、ご予約下さいませ。