犬鳴村。

 いや、犬鳴村伝説、と言った方が、通りがいいだろう。

〈北部九州・旧犬鳴トンネルの近く、法治が及ばない恐ろしい集落「犬鳴村」が存在する。そこに立ち入ったものは、決して生きては戻れない〉

 なんともおどろおどろしい内容だが、これはいわゆる、都市伝説のたぐいである。

 類似した内容の「杉沢村伝説(青森県)」にも「入ったら最後、命の保証はない」という警告が付きまとう。

 北と南で似たような伝説がまことしやかに囁かれ、人々の間で生き生きと語り継がれる。

 とても面白いと思ったのは私だけだろうか?

 

 さて、「犬鳴村〈小説版〉」である。

 基本的に映画のストーリーをなぞっているのは何度も語ってきた。

 もちろん清水崇監督たちと打ち合わせをし、加筆した部分もある。更に私自身が書き足したパートもいくらか存在している。

 だから、小説を読んだ後に映画をご覧下さっても構わない。いや、映画そのものの説得力、凄みと小説は違うのだから、小説を読んでから映画、映画を見てから小説でも大丈夫だ――という事も繰り返しお話ししてきた。

 監督たちの鼎談も入っているので、副読本として楽しむことも出来る。

 だから、安心して楽しんで頂けたら、と思う。

 

 ――と言いつつ、ここでしか読めないことをひとつ書こう。

 実は、小説版には〈幻の第零校〉というものがあった。

 分量にして五十ページないくらい、か。

 監督たちどころか、担当編集氏すら知らない(何故なら話したことがないから)バージョンである。

 プロットと同時進行でパイロット版を書いてみたのが、それだ。

 上手くいけばそのまま使おうという目論見があったのも確かなのだが……。

 冒頭で予想も付かない文章を打ってしまった。

 まるで自動書記モードのごとく。

 書いている最中、ラストの文章が浮かんできて、ああ、ここへ着地すればいいのだな、と思ったことを覚えている。

 この零校はすでに消去してしまったのだが、こんな始まりだった。

 

 ――風が強く吹きつけている。

 飛ばされないよう、痩せ細った身体に力を込め、必死に蒼天を見上げていた。

 甲高い風音の隙間を縫うように、遠くから何かが聞こえる。

 視線を下げ、辿った先に海の碧が広がっていた。

 遙か遠い天と海の境は曖昧で――。

 

 ここから始まったのが、何故か弥生時代の湊の話、という謎展開である。

 多分、舞台である北部九州の古代を描こうとしたのだと思う。

 数ページのプロローグとして構成した後、現代に戻って本編が始まるのだが、こちらもなかなかおかしな展開だった。

 詳細は省くが、作劇としては禁じ手だったと思う。

 まるで取り憑かれたように書き続け、ふと気づけば五十ページに届きそうなほどの分量になっていた。

 モニタにはみっしりと文字が詰め込まれている。

 読み直して見ると、意外なほどしっかりした内容だ。

 が。ここで、はた、と気がついた。

 これ、ピュア・ホラー小説じゃないじゃーん! と。

 時間を返して! この無駄な時間を! と呻きながらデリートしたのは言うまでもない。

 何故消したか?

 こんなもん残していても、何の役にも立たないからに過ぎない。

 割とこの辺り、ドライな私であった。

 

 どうせ書くなら、映画の時系列の前に当たる小説「犬鳴村〈前夜〉」とか、フィクション・ドキュメンタリー・ルポルタージュ「ドキュメント・犬鳴村」のような犬鳴村ワールドを広げるもののほうが書きたいところだけれども。

 

 おっと、話を戻そう。

 その後、第一校を書き上げ、そこから……ということで、何とか上梓する運びとなった。

 2020年 116日 ――本日、「犬鳴村〈小説版〉」発売である。

 是非お手にとって頂けたら、と思う。

 

  それでは皆様。いろいろ宜しくお願い致します。

 

   久田樹生事務所 Musth 久田樹生