フレームアナリーゼのMALIKAです。
今日は「迷うこと」について考えてみます。
外出の前や
旅行に行く前や
結婚式・発表会など
公的な場におよばれしたときなど
何を着ようか「迷う」とき
ありますよね。
その時間は、
そのときにピンとくるお洋服がないときには
憂鬱のタネではあるものの
少し楽しいものでもあります。
どれにしよう?
どっちがいいかな?
そんなふうに選んでいるとき、
私たちは、イメージを広げています。
着ていく場面や、
そのときの気持ちや、
過ごす時間のこと。
そして
美味しそうなレストランで
メニューを見て迷うときや
旅行先を考えるときにも
いくつかの選択肢がある中で、
どれにしようか考える時間は、
どこか心地よいものですよね。
それは、
「選べる選択肢がある」
という「豊かさ」の中にあるからだと思うのです。
でも…
迷う時間が長くなりすぎたときには
少し様子が変わってきます。
どれがいいのか分からない。
決められない。
何を基準にしたらいいのか分からない。
そうなってしまうと
迷うことは楽しい時間から、
疲れる時間へと変わってきます。
もうだいぶ昔の話になりますが
骨格診断を初めて知ったときに
私は、なんと!
「似合わない服」と
「似合わない服」の間で
迷っていたという自分に気づいたのです。
それに気づいたときは、本当に衝撃でした!!!
と、同時に、
悩んでいた自分が可笑しくて
笑ってしまいました…
その後は
似合っているから
好きだから
など
「理解した上で選ぶ」
という明確な基準が生まれたことで、
「選ぶこと」は
以前よりもずっと楽になりました。
そもそも
迷うこと自体が悪いのではなかったのです。
どこを基準に選ぶのかが
見えなくなっていること
基準があることも、
それを探そうともしなかったこと
それが
悩みの原因で本質だったのです。
「選べること」は、
本来とても自由で、
豊かなことです。
迷えるということもまた、
その中にある一つの幸せなひととき
なのですよね!
それを
「悩み」と捉えるのか?
「幸せ」な時間と思えるのか?
自分に基準の軸があるのか
ないのかで
違ってくるのです。