たとえば、江戸時代の武士の生活だ。「五公五民」の税制で農民から米を取り上げることを制度的に認められた武士階級は特権階級として農民を搾取しつづけたが、商業経済の進展で生活が華美になったことから借金が増え、最後には何度も徳政令を出して救ってもらうほかなかった、云々。これがわれわれが普通に抱いている武士のイメージである。
だが、磯田道史の『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』を読むと、たしかに上面はそうだが、そこに至る本当の道筋はかなり違っていることがわかる。
まず、武士は自分の知行地がどこにあるかさえ知らず、ただ給料の形式として知行を拝領していた。とくに微禄藩士は、「生々しい現実の『土地と人民』を与えられているという感覚を持ちにくかった」。「近世武士にとって領地とは、結局、紙のうえの数字と文字のようなところがある」。明治維新で武士階級が簡単に崩壊したのは、ここにあったのである。
また武士が貧乏したのは、贅沢をしたからではなく、構造的に貧困化する用になっていたからだ。つまり、お家断絶のための「保険」として養子を確保する必要から、親戚付き合いが濃密となり、その結果、交際費が家計で突出した。また、交際費負担で生じた家計のマイナスを補うために、親戚から借金しなければならなくなるため、親戚付き合いをさせに濃密にしなければならなかった。ひとことでいえば、武士の借金は階級的必然であったのである。
ドナルド・キーン『明治天皇を語る』は、明治天皇が世界中の君主の中で最も禁欲的(ただし、女性関係を除く)な君主であったことを教えてくれる。皇居での華美を戒めるため改築もせず、衣服も修繕ですませたし、旅行中の苦痛には超人的な忍耐で耐えた。また、人間的な弱さを示すことを恐れて、子供たちには、とくに世継ぎの嘉仁親王(大正天皇)には、親密さをほとんど示さなかった。好きだった臣下は西郷、大久保、伊藤で、嫌いだったのは山県有朋、陸奥宗光、それに乃木希典だった。
坂本多加雄『新しい福沢諭吉』は、福沢諭吉が社会の仕組みを説明するために使った「独立」と「情愛」、「智恵」と「徳義」が、われわれが想像するのとはちがった、現在の思想水準からしても、相当にユニークな理念であったと主張する。たとえば、福沢は儒教は情愛や徳義に基礎を置いているからダメなんだと批判する。なぜなら、「情愛」を支配理念として受け入れている限り、貸し借りの関係が生まれ、上位者と下位者の差が出てくるから、「同等同権」の「独立」は確保できない。同じように、「徳義」の及ぶ範囲は一家の内に限られるが、「智恵」の働きは広大な範囲に及ぶ。ゆえに、「徳義」に拠る政治よりも、「智恵」による政治のほうが優れている。
このように、本物の歴史を学ぶことで、自分の教科書的な偏見が崩されていくのを見るのは、シャクだけれど、気持ちがいい。この気持ちの良さが歴史書を読む醍醐味なのである。
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