あっという間に10月ですね。

北海道は、すっかり秋らしい涼しさですが、みなさん、体調など崩されていませんか?

 

ブログの更新が滞りがちな私を心配して、クライエントさんの方から、自分のことを書いていいよと言ってくださることがよくあるのですが。

どれだけニュートラルであろうとしても、どれだけ相手を尊重する気持ちがあったとしても、立場が違うと、感じ方の違いやことばの解釈の違いで、人と人は、簡単にすれ違ってしまうことがあるもの。特に短い文章の中に、すべての思いを詰め込むことはなかなかできません。

なので、せっかくのお申し出があっても、ありがとう、そのうちに、、とお答えして、しっかりことばになるのを待ってから、、と思っていたのですが。そういうのらりくらりの姿勢も、相手を大切にしているようで、実際はせっかくのお気持ちを逸らしているだけなのかもしれない、、とも思い、ぜひ公開を、、と言ってくださっているクライエントさんについて、少しづつお伝えすることにトライしていってみようと思います。

 

仮にRちゃんとしておきます。

 

Rちゃんは、内科的にも外科的にも、非常に難しい病気を抱えています。20代始めにそれがわかりましたが、もっとずっと前から、体調が優れているということがほぼなくて過ごしていたのだろうと思います。楽しいはずの学生時代を、熱や身体の痛みと戦いながら、でも伝わり切らないその苦しさを、笑顔で乗り切ってきましたが、とうとう、倒れこんでしまいました。

割愛しますが、苦しさを表現できないのは、もともと持っていた深いこころの傷のせいもあったのではないかと思います。誰も自分を大切に思うはずがない、、とRちゃんは、ずっと自分のことをそう考えていたので、もっと明るく元気でいよう、誰かに心配をかけたら、自分は嫌われてしまうと、そう信じていました。

 

お医者さんや看護師さんたちが、全力で治療とケアにあたってくれて、少しづつ良い方には向かっていましたが、病気や薬の副作用で、いっとき激しい苦しみ中にRちゃんはいました。

「当時、自分は人間ではなかったと思う、、」とぽつりと今でも話すことがあります。そんな苦しさを経てきた彼女に対して、よくここまで頑張ってきてくれたと、本当に胸が熱くなってしまいます。

 

はじめて会った時、Rちゃんは、信じられないくらいがりがりで、背は高いのに、小学生くらいに見えました。カウンセリングには拒否的だと聞いていましたが、挨拶に行くと、愛想良くてとても良い子で、でも、色んな意味で渇き切っていて、嵐を抱え込んでいて、その嵐に応えてくれるのかと、全身で問いかけているように見えました。

自己紹介後、何度か話してみてからカウンセリングをするかどうか決めてみてはどうかとお伝えしたものの、正直その時私には、継続は難しいのではないか、、という思いがありました。

この人はこんな状態で、こんな対応をすれば、このくらいで良くなるかも、、などという見通しが出来る場合はあまり困らないのですが。Rちゃんの場合、その時の私には、それが出て来なかったのです。Rちゃんが少し楽になる手助けが、自分なら出来ますよ、、と言えるような器ではないし、もろもろ状況も整っていないように思いました。そうなると、Rちゃん本人や家族、周囲の職員さんたちにも負担を強いることになるのは目に見えていました。でも一方で、Rちゃんをケアしようと腹をくくる医師やスタッフがいるこの場所じゃないなら、どこなら?と考えた時、どうしても他の選択肢が見えて来なかった。

 

世界を信頼できないRちゃんと向き合うならば、私が世界を信頼するところから始めなくてはならない。

その渇きがほんの少し癒えるまで。

 

(つづきます)