通り魔事件がありました。
死刑になりたくて、たくさん人々を殺そうと思ったと言います。



悲劇的な事件だと思います。


でも、この加害者の男性は
死刑になったことがないからそういう考えがうかんだのでしょう。


本当の死刑宣告が
どれほど恐ろしい体験であるか、

また執行を待つ時間の
恐怖がどのようなものかは
体験した本人にしかわからないのです。


言葉で説明することはできません。


私は死刑宣告された
本人のその実際の気持ちや

死刑囚の家族の
いたたまれない感情に接する機会を与えられたことがあります。


そして
極刑もまた、恐ろしい殺人であることに変わりはないことを

身を持って感じました。

大罪を犯すとき
人は邪気に憑かれてしまっています。

本人の弱さの隙間を邪気に狙われてしまうのです。


一番の問題は

多くの加害者が
自分でしたことを覚えていないことです。


なぜなら
邪気に操られていたからです。


そしてみな、反省できないまま

わけもわからず
刑の執行を受けてしまっているという点です。


それがまた新たな怨念を生み出し、悲惨な事件につながっています。


邪気のせいとはいえ
事件を起こしたのは、あくまで加害者本人です。

自分のしてしまったことを見つめ、どれほどの人々を傷つけ悲しませてしまったかを
まずわからせなければなりません。


それは加害者本人が一番知りたがっていることなのです。



そして罪のない
被害者や
裁判員の人たちが


感情で人を死に追いやり

そのことで一生
罪悪感を持ち続けて生きることだけは

絶対にあってはならないと
強く思います。