いよいよ9月26日(木)の開催が近づいてきた山口瑠美ちゃんのデビュー25周年記念コンサート「居酒屋瑠美~その先へ」に先駆けて、瑠美ちゃんの「25周年コンサート」への想いを綴ったスペシャル・インタビューをこちらのブログで大公開させて頂きます
1999年7月にデビューしてから、満25周年を迎えた山口瑠美。節目となる今年、9月に東京・渋谷で、そして11月には念願だった地元・山口県岩国市で記念コンサートを開催する。本番に向けた決意を聞いた。
感謝の気持ちをお伝えしたい
――デビュー25周年を迎えた気持ちを、あらためて聞かせて下さい。
これまで歌い手として歩き続けてこられたのは、25年もの間、私を見守って優しさや愛を教えて下さったお客様のおかげです。
そして、ずっと育てて下さったテイチクレコードの6人の歴代ディレクターさんにとても感謝をしています。皆さんのおかげで様々な引き出しを作って頂きました。
――記念コンサートはどんな内容に?
長尺で台詞入りの「歌謡物語」を真剣に演じる場面もあれば、遊び心たっぷりの楽しい場面もある構成になっています。
私にはヒット曲と呼べるものがなく、オリジナル曲ばかり歌ってもほとんどのお客様は知らないと思いますので、皆さんよくご存知のカバー曲を歌うコーナーもあります。
そしてミュージシャンの皆さんによるバンド演奏で、躍動感あふれる、生の音楽の良さを楽しんでもらえたら嬉しいです。
25年の集大成をお見せするというよりは、「来て下さって有難う!」という感謝の気持ちをお伝え出来たらと思います。
東京と山口では、構成や演出を一部変えてお送りする予定です。
自分の意志だけでは踏み出せなかった
――ついに、生まれ故郷の岩国市で、初めてのコンサートが実現します。
いつかは岩国でコンサートをやりたい、という気持ちは以前からありました。
でも15歳で母と一緒に上京する時、父に「成功するまで帰ってくるな」と言われ、それを頑なに守ってきた私。知名度もないのに、岩国でコンサートをやるなんて無理だと思っていました。
そこへ、岩国の方々から「ぜひコンサートをやりましょう」とお声がけを頂き、実行委員会が立ち上がって、やることが決まったのです。
本当に有難いお話で、とても私の意志だけでは踏み出すことは出来ませんでした。
――東京よりも先に、山口公演をやることが決まったんですね。
小さい頃から慣れ親しんだ、伝統ある岩国市民文化会館でコンサートをさせていただくことは大きな喜びであり、身の引き締まる思いです。
会場となる大ホールは1000人入ります。集客のため、そこに向かって全力で準備しないと間に合わない状況でした。なので、山口公演だけやるつもりで進めていたのです。
ところがある日、お世話になっている山野さと子さんやスタッフの方と話している時に「東京ではやらないの?」と聞かれまして。
「いや、そんな余裕は…」と答えたら、「東京でもやらないと!。きっとみんな待ってるよ?」と(笑)
あわててマネージャーさんに電話で相談して、「やります!」と決心し、伝承ホールに予約を入れたのでした。
山口公演だけで自分の力は限界だと思っていたけれど、楽な道を歩かない選択をさせてくれた先輩の言葉がとても有難かったです。
実行委員の皆さんの熱意を受け止めて
――岩国で実行委員を務めているのはどういう方たちなのですか?
それぞれご商売をなさっている、有志の方々です。
その中のお一人が、カラオケ喫茶「ほの華」のママさん。
以前、私が山口県和木町の敬老会に呼んで頂いて務めたステージをご覧下さり、それからずっと応援して頂いています。
ママさんはとても優しくてほわっとした方なのですけど、その雰囲気からは想像もできないほどの熱意で「25周年で、瑠美ちゃんに岩国でコンサートをやってほしい!」と、地元の皆さんを巻き込んで、開催に向けて動いて下さって…そして「横井鍼灸整骨院」の横井さんが実行委員長の大役をお引き受け下さいました。
――瑠美さんを知る方たちがつながって、大きな輪になっていったんですね。
いくら応援して下さる気持ちがあっても、1000人規模のホールでコンサートをやろうなんて、普通は考えないじゃないですか。
でも実行委員の方々は、空港、駅、商店街など、岩国市内の至るところにポスターを貼って下さったり、チラシを置いたりして、皆さんお仕事がある中、集客のために日々奔走して下さっています。
先日、実行委員長の横井さんに電話して「ものすごく大変でしょう? しんどい思いをされてるんじゃないですか?」と尋ねたら、こう言ってくださったのです。「このコンサートは、僕らの夢なんですよ」「僕らは、瑠美ちゃんがここで気持ちよく歌ってくれることだけを願ってるんです」って。…もう涙が出てきてしまって、感謝しかありませんでした。
実行委員をはじめ、地元の方たちの誰が欠けてもできなかったコンサートです。
自分はまだまだと思っていたけれど、皆さんの熱意をしっかり受け止めて、最高の舞台をお届けしたいと思います。
皆さんのおかげでようやく帰らせ頂ける
――岩国に一人で残っていたお父様が亡くなってから既に11年。今の瑠美さんにとって、岩国はどういう場所なのでしょうか。
なぜか、父が亡くなってからのほうが、故郷と心の距離が近いように感じるのです。人間は生まれた瞬間に吸った息を、死ぬ間際に吐いて終わる…という話がありますよね。呼吸する時、息を吐いても肺に少し空気が残るから、赤ちゃんが生まれて最初に吸った空気も、ごくわずか、肺の中にずっと残り続けているんだって…。
不思議なもので、今でも岩国錦帯橋空港に降り立つと「ああ、故郷の空気だ」と感じるんですよ。東京で暮らす年月がはるかに長くなり、東京の空気のほうが馴染んでいるはずなのに、岩国の空気の方が呼吸が深くなるんですよ。
やっぱり自分を作っているのはこの空気なんだ、という感覚があります。
――「成功するまで帰ってくるな」という言葉を、今はどう受け止めているのですか。
父がそう言ったのは、おそらく「歌手として売れるまで、ヒット曲を出すまで帰ってくるな」という意味だったと思うのです。でも、そしたら私は一生帰れそうにない(笑)。
生前の父は、私が東京から電話するたびに、ヒットの気配もなく、歌番組にも出られない私に向かって、文句ばかり言っていました。「もっとみんながカラオケで歌えるような曲を出さにゃあ」って。
一番身近な人にそう言われるのはつらかったですよ。亡くなった翌年、岩国を題材にした「雨の錦帯橋」という歌を出した時、あともう1年生きてくれていたら…と思ったものです。
父が旅立った後も、帰りたくても帰れなかったのは本当です。「私はまだ帰っちゃいけない人間なんだ」という思いがあって。
でも…、実際に舞台を終えてみないと分かりませんが、たぶん今回の山口公演が転機になるのではないかと思っています。
――岩国の街じゅうにコンサートのポスターが貼ってある様子を見たら、お父様もきっと喜んだのでは。
そうだといいですね。ずっと「まだ帰れない」と思っていた私が、手を貸して下さる皆さんのおかげで、ようやく岩国に帰らせてもらえる感じです。
父は厳しい人でしたが、常々「好きなように生きりゃええ」と言ってくれる、大らかさも持っていました。
だから、今は胸を張って父に伝えたいと思います。「帰ります。25周年コンサート、させてもらいます」と。
(取材・文/寺本タカノリ)