長女に自分が書く文章を見て欲しいとお願いされ、もしかして頼られてる??と喜んでいた私です。

文章は留学にあたっての志望動機書。
4000文字くらい必要らしく、書いているうちによくわかんなくなってきたようです。

・何で留学したいのか
・留学する事でどんな短所を克服出来そうか
・どんな自分の長所が活かせそうか

色んな事を盛り込みつつ、制限文字数の中でまとめるもの。

私は十数年前、家族でアメリカに住んでいました。
長女の文章見ながら自分が海外に住んだ事でどんな事を得られたか思い出してみました。

アメリカに住んだ事で一番印象的な出来事が停電です。

昼、車で走っている時に停電が起こり、一気に町中の電気が消えました。信号もです。
日本じゃほぼありえない、突然町中の信号真っ暗状態。

うわっ!どうしよう!と思ったら十数人の人が車から出てきて周りの人と何やら話しながらそれぞれ持ち場を考え、手旗信号をして車を誘導し始めたのです。

そして混雑していた道は何ともなかったかのように車が進んでいきました。

これが日本だったらどうなるんだろうと思いました。

・大きな音のクラクション
・どうなってんだ!という怒鳴り声
・困惑してパニックになってる人たち
・周りの人とどうしましょうねと話す人たち
・電話をかけて文句言いまくる人たち

そんな光景が頭の中に出てきました。

なんとかしようとする人はいるだろうけど、この短時間では同じような状況は起こらないだろうと思いました。

もちろんアメリカでの停電は日常的にある事で、みんな慣れているのかもしれません。(住んでいる中ではこの一回しかなかったけど)

でも私はその時に外から日本を見たように感じたのです。

何か起こると人のせいにする。
何か起こると何かのせいにする
何かトラブルにあった人を見ると自己責任といい被害者を責め立てる

優しそうでいて、責任という名の重圧で人を縛りつける

いいところはいっぱいあると思うけど、自己責任というキーワードはよくも悪くも日本の特徴として感じます。

海外で暮らしてよかったのは日本という国に対して客観的に見ることが出来た事です。

これは当たり前、こうすべきという正しいと思っていた事が世界では違った。
それは旅行するだけではなく住んでみないとわからない事だろうと感じました。


特に私は自己責任って言葉を他者に使いたくありません。自分の事について自己責任だと思うのはいいと思います。

しかし辛い事、苦しい事が起こった人に対して、自己責任だ!というのは相手を責めているだけでなく、何にも出来ない自分自身に対しての逃げだと思ってるし、私は使いたくない言葉です。

長女の志望動機書、そして今世間で起こってる出来事を見て改めて色んな事を思い出し考えました。

誰かに迷惑かける?
周りの事考えろ?
自分の立場考えろ?

生きてちゃ誰かに迷惑かけているはずです。
そして支え合って生きて生きているのではないでしょうか。

完璧な人なんていません。

無責任だと言われても、自分が自分でなくなっちゃう出来事からは逃げてもいいと思っています。

立ち向かう事ばっかりしていた私。でも逃げるって事も大切だと今は思っています。

そうじゃないと壊れてしまう。
死んでしまう。

そして責任!責任!と言う人は本当に無責任です。

相手が死のうが傷つこうが、おかしくなろうが最後は"私は関係ない。悪くない。あなたの自己責任"でまとめてしまう様子を目にしてきました。

そんな人たちのために我慢して生きる事はないと今は思います。

まずは自分を大切にして、その残りで誰かに幸せ分けれればそれでいいと思うんですよ。