こんにちは。数あるブログの中からご訪問あ りがとうございます。このブログは私の個人 的感想や経験なので1例として参考にしてい ただけたら幸いです。

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相当前のことになりますが私が大学生だった頃大学の先生というのはとてつもなく怖い存在でした(私の大学がそんな先生が多かっただけかもしれませんが、、)。怖いだけではなく凄まじい専門知識を持った人で気楽に話しかけることなどできなかったものです。先生というより憧れの大人、遠い存在、昭和でいうなら「銀幕のスター」のように遠い存在に感じる人が多かったように思います。


先生によっては質問をされ間違えようものなら理論攻めにされ、生きた心地のしないものもありましたし、必死で徹夜で予習をしても抜けている箇所があれば「学問の焼きを入れられる(当時の私はそうボヤいていました笑)」と震え上がって熟睡できないこともよくありました。朝が来ると休みたい、辞めたいとよく思ったものです。


ただ、一旦仲良くなって懐に入れてくれた先生に対しては保護者のように慕ったものです。

人生相談があるときは数人で突然研究室に押しかけても快く受け入れてお茶やお菓子を出してくださったり、こちらが落ち込んでいる様子なら「ご飯にいきましょう!」と誰からということもない音頭で先生含め学生たちでワイワイ食事やカラオケに夜中まで行ったりもしました。一人暮らしの若者にとっては保護者のようにありがたい存在でした。


今は先生と学生があまりに近づきすぎないように取り決めや法律などでガードされている気がします。たしかにとんでもない問題に発展しないようにそういったガードは必要です。個人的にはとても良いことだと思います。


ただ、必要以上に先生方が学生に気を使っているのも事実で、見ているこちらが気の毒になります。別に学生さん側も気を使えと先生にプレッシャーをかけているわけではないのですが、先生側は「念には念をさらに念を」いれて丁寧に対応されている気もします。


先日ボスも面談訪問の他大学の学生さんの対応をされていました。ボスの専門についてその学生さんと話をされていて、学生さんも一生懸命関心があることをボスに説明していました。

できるだけ対等に相手の自尊心や意欲を削ぐことのないようにボスは会話を進めていました。

最初はとても緊張していた学生さんも次第にリラックスしてボスに熱心に自分の考えを伝え始めました。


相手の肩の力を抜いてあげられる雰囲気や話しやすい空気を作るのはそれはそれは骨の折れる作業です。ましてや専門の知識や経験が学者と学生では違いすぎます。それでも目線を相手に合わせて会話を進める面倒を嫌がらない学者さんにお会いしたときには尊敬の念しかありません。うちのボスも学生を相手するとき「こちらが大人なんだから気は使ってあげないと」といつも相手を気遣っておられるのが会話でもヒシヒシと伝わってきます。


学生さんの退室後、気を使いすぎてぐったりしているボスを見て気の毒に思いましたが、ふと、自分の学生時代に面倒をみてもらった先生と重なり懐かしくなりました。社会のルールやスタンダードが変化してやり方は変われど、真摯に向き合ってくれる先生は今も昔も変わらないんじゃないかと思いました。いきなりの訪問でも快く時間を作ってくれる先生は今もいるものです。


若かった時は「大人はやってくれて当たり前」のように思っていたこともあり、お世話になった時にはお礼のひとことを言いもしなかった(正確にはそれを気づきもしなかった)自分を今ひどく後悔しています。


孝行したいときに恩師はいずこへ、もことわざに追加してほしいほどです。