こんにちは。数あるブログの中からご訪問あ りがとうございます。このブログは私の個人 的感想や経験なので1例として参考にしてい ただけたら幸いです。


パワーハラスメントが起きる要因は色々あると思います。会社の体質だったり上司や先輩の人柄に難ありだったり、一筋縄ではいかない要因が潜んでいるので根絶が難しいのでしょう。


私個人的に(以下本当に個人的な意見なので賛否あると思いますがご容赦ください)その要因の1つに「任す」と「やらす」の混同があるように思います。


あからさまに「やらしてやってるんだぞ!」と怒鳴られたりすればわかりやすいパワハラでしょうが、「任す」と言われて結局パワハラになっているケースの方が問題が深刻化しやすいと思います。


なぜ「任す」と言われたのにパワハラになるのか。それは「任す」という言葉を使用しているだけで実際は「やらす」気持ちが指示側に潜んでいるはずだからです。


「やらす」というのは「やらせてやる」に近いニュアンスがあります。「わたしでもできるけれどやらせてやる」といったかんじでしょうか。「君の成長のため」などの綺麗事をプラスされたとしても受け取り手にすれば「面倒くさいからやらせるんだ」となりかねません。まあ、実際に「やらす」と言う場合は往々にして言う側に「面倒くさい」気持ちがあって相手にも伝わるものです。「やらす」「やらされる」には明らかに上下関係が生まれている気がします。


一方の「任す」には信頼の意味があります。本当に任せてくれる人は任す相手を信頼しているはずです。そうでなければ「任す」ということはできません。「任す」には「一任する」という意味も含まれると思うので簡単には使えない言葉なのです。万が一任せた結果ミスが起こった場合、共同責任にもなりかねないのですから「任す」側も覚悟がいります。もしミスが置きて任せた側が知らんぷりするなら、それは「任せた」わけではなく「やらせた」だけなのです。そうすると、「やらされただけでなく責任も押し付けられた」としてパワハラ問題が起こります。


実はこれに気づいたのはボスからの指示を通してです。私はボスから命令されたり「やらされた」という思いをしたことがありません。必ず「相談」があり意見を交換し、しばらく考えて「お任せします」か「自分でやります」かどちらかのお返事をくださいます。「任す」といわれた場合、相談の段階で私の意見を知っておられるので「あなたの思うようにしてみてください、一任しますから」という意味でおっしゃっているのだと理解できます。万が一私にミスが置きてもボスは知らん顔せずに一緒に対策を考えてくれます。これが「任す」と「やらす」の違いなのだと気づきました。


そう考えると、以前に1人だけボスと同じように「任す」と「やらす」を区別してくれた上司がいました。ご自身でやるほうが数段速く処理できる業務も私に任せてくれて見守っていてくれました。ミスが起こりそうな時はさりげなく状況報告を促しアドバイスをくれ、その後また任せてくれました。こういう上司こそ「君の成長のため」を本当に実践しているのだと思います。「君の成長のため」とわざわざ言葉に出さなくても実践できる人はいますし、そういう方は部下からの信頼も厚いです。


とはいえ、学生と先生との間には研究上師弟関係があるので全てを学生に「任せる」ことはできません。私とボスのように職員というある程度対等な身分ではないから難しいのです。それでも学生の研究を見守りながら「任せ」そして適宜アドバイスしまた見守り、最終的に監督者して責任はとるという先生としてのボスの姿勢は社会人として私も院生も見習うべきところが多々あります。