日曜日は実家の草抜きと畑の耕耘をしにいった

改めて、父がやっていた農業未満家庭菜園以上のすごさに感心する

 

なんといっても自作の倉庫に整理されている農具の多さ

軽く見積もっても新車1台買えるぐらいはある

耕運機の乗るタイプ、手押しタイプ

卓上鋸、チェーンソー、発電機

農機具はイセキ、工具類はマキタが多い

 

これらは目に見えるものだけで、他にも工具のはいった箱がいっぱい

所せましと積んであった

 

おそらく倒れる直前まで作業してたんだろうね

脱ぎ捨てた帽子と軍手、ビニールのヤッケも

毎日乗ってたシニアカーの充電器はコンセントに挿したまま

やっぱりそのへんでまだ生きてる感じがした

 

何か植えようと思っていたらしい畑は草が生えてきたので

ダンナに頼んで耕してもらった

 

その間、叔母と昔のことを話してた

 

ウチの家ってこの辺り一帯の地主で

少なくとも叔母や父が幼少期は裕福でバイオリン習ってたという

ピアノじゃなくて?(笑)

 

父の兄弟は、女2人、男3人

長男は60代で病死、三男は自死、唯一残っていたのが父

で、父の子どもは私と弟

 

弟は未婚で子どもがいないから

もうこれで家系は途絶えることになる

 

あと、私が知らなかった祖母の話も

ぶっちゃけばあちゃんは愛想がなくて

子どものころ苦手だった

 

しかし、実は家計を支えたのはばあちゃん

じいさんは浮気者で家にお金を入れない自由人

ばあちゃんが畑や着物仕立てで5人の子を育て

昭和の30年代にちゃんと大学まで出してる

 

いやー、私にはできないわ・・・

 

ばあちゃんすごかったんだね

誤解していてほんとに申し訳ない

 

弟でこの家は終わるかもしれないが

ご先祖様がつないできてくれた命を

あと残り少し、頑張ります