「あいのりの桃ちゃん」という方が綴った離婚ブログを目にした。
自民、二階氏の、子供を産まないだの…の発言。
本来ならこの様なデリケートな課題はスルーだが、
以前受講したセミナーの講師より届いたメルマガに
この二階氏を、正確な発言とする記載があり、今回は、つい書いてしまった。
更にメルマガは、「子供を産まないことは、幸せでもなければ、誇れることでもない
子供を産むことで失う現実を計算すると、子供を産まなくなるのである。」
とあった。
私は子無組 である。
そして、しばしば子無しと知りつつ、子有者から
「子供いない方が幸せよぉ~自分達の好きなように生きれるし、金もかかんないし、苦労無いし」 とか、
「いいわね~子供いないと、いつまでも若々しくって」…
大体が、中高年から発せられるこの言葉を、子無しに対する慰か、それとも見下しか…と思いつつも
面倒なので 「うんうん、そうだね。」 と笑顔で返していた。
更年期の時期は、この配慮の無い言葉に食ってかかり、
「じゃあ貴方は、子供産まなきゃ良かったと、思っているの?
本当に子供はいない方がいいと思ってるの?」
と、真顔で聞き返したものの、
返答は、「い、いや~、う、う~~ん、」 だった。
「当然子供はいた方がいい」 と子無組も根底では思っているんではなかろうか。
何故なら、子無組(既婚、未婚、共) に「子供はどちらでも…と思いつつも、授かったら産んだ?」
との問いに、ほぼ100% 「勿論産んだよぉ~当然じゃん。」と返ってくる。
それは本能的なものであり、
大半の人が、自然に授かることを望んで。
産む、産まないの前に、授からなければ産めないのだ。
生も死も、医療の発展と共に、ある程度はコントロールが可能となった。
しかし、万能ではない。 何処まで発展しても、やはり最期は訪れる。
どれ程の人力を尽くしても、子を授からない事も。
死のみならず、やはり生も
「天命は人力の及ばざるところ」 なのではないか。
産む、産まない、は選択の結果であり、授かりを飛び越して、勝手だとか個人の自由だとか
論ずる人たちは、難なく子が授かり、悩みはあれど家族の大切さも慶びも噛み締められた人たちの
「驕り」なのではとも感じてしまう。
そして、公人や、権力者ほど、天命的な部分を差し置いて、他を支配したがる結果からか
このような発言になるのでは?と思える。
だからと言えど、
「子供がいないのも学びです。」
などとも思ってはいない。
現、必死で治療を受けている人達にしてみれば、それどころではない。
ナースの頃、産婦人科にも3年程勤務したが、不妊治療は、何もかも辛そうだった。
生理がまた始まったと、処置室で涙を堪える患者達には、かける言葉さえ無かった。
人には努力で何とかなる部分と、努力だけではどうにもならない部分とがある。
先日、子無しキャリアウーマン達とランチをした。(たまたま全員が子無しだった。)
大手企業にに努める一人が、
「うちの部署に、入社9年なんだけど、産休育休で7年休んでる子がいるわぁ」
と、笑いながら カラリと言った。
そして続けて、「私もさぁ、妊娠したら退職しようとずっと思ってたのに、気付いたらこうなってたわ。」
それに皆が、「いや~私もだわ、ホントホント、気付いたら、もう無理だった。
こうなったらさあ、ママ達に協力するだけだね。」
と、笑った姿には、何かを吹っ切ったような感じさえした。
話は変わるが、以前何かの特集で、ホームレスの人たちに、
「あなたはいつからホームレスになったのですか?」と、質問していた。
大部分の人が、「気付いたらこうなっていた…。」 と。
あいのりの桃ちゃんが、ブログで綴っていた。
「気付いた時には、お互いその行為が考えられなくなり…」
気付いたら……。
桃ちゃんが、いつかその手に、愛おしい我が子を抱けることを
心から願っています。