こんにちは。
前回は、大ベテランの先生の事務所で働いていたときのことを書きました。
今日は、その後現在に至るまでをまとめたいと思います。
【2014年】第一子妊娠~出産
この年の春までは、先生の事務所で働いていましたが、長距離の車通勤がつらいため、通えなくなりました。
夏前までは、厚労省系の助成金の実績報告や、先生の支援先の外部環境調査など、自宅で出来る作業を行っていました。
夏頃、切迫早産と診断され、自宅での安静生活が始まりました。
その後、妊娠33週の検診日に、切迫早産のため入院が必要と告げられ、そのまま37週まで自宅へ帰ることなく、総合病院に入院することになりました。
35週頃に早産予防の治療薬であるウテメリンの副作用により、妊娠糖尿病と診断されました。
不安な日々を送っていましたが、その後なんとか正期産で出産しました。
初産婦にも関わらず、2時間50分という超スピード出産であったため、退院時に、「次のお産の時に、病院の先生に必ずこの時間を伝えるように」と言われました。
出産後は、初めての育児に眠気と闘いながら、悪戦苦闘の日々を送っていました。
初めてママ友が出来て、慣れない土地で子育てをしていて寂しかった私にとっては、とても嬉しかったことを覚えています。
【2015年】 一人目:0歳→1歳
子供の首が座った頃から、子育て支援センターに通い始めました。
お気に入りの支援センターがあり、そこによく通っていました。
そこには保育士さんが2名常駐していて、その保育士さん達は、その場にいるママたちが会話に参加出来るように配慮してくれていました。
平日日中はずっと子供と二人きりで過ごしていたため、保育士さんやその場にいるママたちと話したりするだけでも、良い気分転換になっていました。
近隣の保育園や幼稚園の情報なども、そこで教えてもらっていました。
夏頃に近所の保育園に一時保育の登録をしました。
秋に子供が一歳になるため、一時保育を利用して仕事をしようと考えていました。
しかし、関東への転居が決まり、結局一度も利用しませんでした。
転居先は、主人の通勤のしやすさで決めたため、土地勘も無く、知り合いのいない場所でした。
再び、慣れない土地での生活がスタートしました。
引っ越した先の市役所に、保育園への入所について問い合わせたところ、近隣の保育園は、入所の最低ラインがフルタイム共働き以上、つまり両親がフルタイムであることに加えて、ひとり親世帯や認可外保育所に預けている等の加点が必要とのことでした。
また、一時保育はコンサートチケット並みに電話がつながらず、予約が取れないようでした。
我が家の状況では、認可保育園や一時保育に預けて働くことは難しいということが分かりました。
【2016年】 一人目:1歳→2歳 二人目:妊娠
年が明けてからも、主人や1歳の子供とともに、新しい環境に慣れることに必死でした。
この冬、子供が胃腸炎(ノロウイルス?)に感染し、一家で順番に感染するという経験を初めてしました。
胃腸炎にかかると、看病だけでなく洗濯や消毒が大変なんですよね。
新年度に入り、診断士の協会を移動しました。
移動先の協会で、新入会員向けの研修に参加しました。
興味のあるテーマごとにグループを作り、研究・発表するというものも発足していましたが、二人目の妊娠が分かったため、参加できませんでした。
二人目の出産については、一人目の妊娠・出産の経過から、NICUのある病院で出産することになりました。
冬ごろから、切迫早産と診断され、母に手伝いに来てもらい、寝たきり生活を送るようになりました。
【2017年】 一人目:2歳→3歳 二人目:0歳
妊娠の週数が進むにつれて、切迫早産が悪化してきました。
妊娠32週頃に入院を勧められましたが、一人目がまだ2歳のイヤイヤ期真っ盛りで、これ以上母に負担をかけられないため、出来るだけ家で過ごしたいと伝えました。
そこから、検診は週一回、プロゲステロンの筋肉注射を毎回接種、ウテメリンは6時間おきに服用、というさらなる厳重管理をすることになりました。
正期産の時期に入るまで、とても不安でしたが、なんとか無事出産できました。
家族の助けが無ければ、二人目はおそらく正期産まで持たなかったのでは無いかと思います。
本当に感謝です。
産後は二か月ほど実家に里帰りした後、自宅に戻りました。
その後は、イヤイヤ期と0歳の子供2人と24時間一緒という生活を送りました。
子供2人に泣かれて途方に暮れたり、色々なアクシデントが起きたりということが毎日のように起こっていました。
入園前で、友人もほとんど作れていない時期でした。
時々、両親や姉家族が手伝いに来てくれたことが救いでした。
翌年に上の子供が年少になるため、幼稚園探しとトイレトレーニングも必要でした。
この2017年は、私にとって記憶があまり無いくらいに、余裕が無く大変な1年でした。
【2018年】 一人目:3歳→4歳 二人目:0歳→1歳
春になり、上の子供が幼稚園に入園しました。
下の子供とは、24時間一緒の生活ではありましたが、一人預かってもらえるだけでもこんなに楽なのか、と驚きました。
親子ともにたくさん友達が出来て、楽しい日々でもありました。
上の子供は、入園前にほとんど病気をしたことが無かったため、入園後に毎月のように病気をもらって来て、たくさん欠席していました。
この頃は、以下のような日々を送っていました。
朝の準備
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幼稚園バスを見送る
↓
下の子供の遊びに付き合う
↓
スーパーで買い物
↓
家事
↓
幼稚園のお迎え
↓
公園遊びに付き合う
↓
料理、お風呂、寝かしつけ
秋になり、協会の秋のイベントに参加し、研究会の説明を聞きました。
この時点の私の生活スタイルでも参加できそうなものがありましたが、やはり子供が頻繁に病気をするため、参加を見送りました。
【2019年】 一人目:4歳→5歳 二人目:1歳→2歳
新年度に入り、協会の研究会に参加しました。
グループで半年に渡り、企業の診断を行う研究会です。
月一回、休日に主人に子供たちを預かってもらい、会合に参加していました。
普段、普通の主婦として、子供中心の生活している私にとって、診断士の優秀な方々とディスカッション出来ることは、とても新鮮でした。
会合の帰りに、一人でショッピングが出来る時間もとても嬉しい時間でした。
まだこの時は下の子供とずっと一緒で、上の子供も幼稚園に通っているとはいえ、15時頃には帰って来ていたため、一人でゆっくり買い物が出来る時間なんて無かったからです。
ただ、研究会の負担は、思っていたよりも大きかったです。
日中は家事と育児で時間を取るのが難しいため、夜中に色々と調べたり、資料作成をしたりしなければならず、とても大変でした。
秋以降は、体調も崩しやすく、また下の子供のトイレトレーニングも必要であるため、研究会はお休みしました。
その後、台風が酷かった時期に、下の子供の熱が続き、初めて入院する、という経験をしました。
この年度から、幼児教育無償化が始まり、新2号認定を取れば、預かり保育も補助が出るようになりました。
この時は1号のままでしたが、周囲の働いているママたちの話は、とても参考になりました。
【2020年】 一人目:5歳→6歳 二人目:2歳→3歳
春から、下の子供が入園し、幼稚園の年長と年少になりました。
下の子供が入園するため、やっと時間が出来ると思っていたところ、コロナが流行し始めました。
休園中は家事と育児のために、ほとんど自分の時間を取れない生活でした。
この年の秋に、私たちは同じ県内で転居をしています。
上の子供が卒園するまでは、二人ともこれまでの幼稚園に通い続け、翌年度に、下の子供が幼稚園を転園することにしました。
新居から通っている幼稚園までは車で片道40分程の距離があり、送り迎えで二往復する生活をしていました。
この当時は、以下のような生活を送っていました。
幼稚園へ車で送る
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車で自宅へ戻る
↓
家事や、引っ越しの手続き、仕事をする
↓
幼稚園へ車で行く
↓
幼稚園近くの公園に付き合う
↓
車で自宅へ戻る
↓
自宅近くの公園に付き合う
↓
料理、お風呂、寝かしつけ
↓
夜中:仕事や家事、手続きなど
この頃から、仕事の面では変化がありました。
以前から行っていた、補助金関連の仕事が急に増え始めました。
日中は、家事や子供中心の生活を送り、夜中に睡眠時間を削って、仕事等をしていたところ、身体がきつくなってきました。
【2021年】一人目:6歳→7歳 二人目:3歳→4歳
春から、上の子供が小学校に入学し、下の子供は幼稚園を転園しました。
私たち親子にとっては、再び新しい環境での再スタートとなり、頻繁に公園で遊ばせたり、友達作りに励みました。
新しい幼稚園への転園早々、くじ引きで本部役員となりました。
役員の負担が大きい幼稚園で、作業時間が毎月何十時間もかかりました。
この年も、日中は子供達に付き合い、夜中に仕事等をする生活をしていたところ、いよいよ身体がもたなくなり、学童への入所と新二号認定の手続きをしました。
【2022年】 一人目:7歳→8歳 二人目:4歳→5歳
幼稚園の役員も終わり、子供達も学童や預かり保育に通うため、これまでよりも、少し時間が取れるようになってきました。
そのため、診断士の集まりに顔を出したり、色々なセミナーに参加し始めました。
今は子供も成長してきたし、オンライン化が進み、Zoomで参加できるものも増えたため、助かっています。
少しずつですが、新しい仕事にもチャレンジしています。
これまでを振り返ると、私の働き方は、家族の状況や社会の状況、保育サービスの有無や金額等に大きく左右されていると思います。
まだまだ試行錯誤中であり、来年度もどうなるか分かりませんが、少しずつでもお仕事の幅を広げられると良いなと思っています。
