おしえて!アトピー性皮膚炎&食物アレルギー脱出ROUTE!!! -6ページ目

おしえて!アトピー性皮膚炎&食物アレルギー脱出ROUTE!!!

乳幼児のアトピー性皮膚炎と食物アレルギーの関係について
カンタンにできるアレルギー対策と予防・原因と解決方法を綴っています。
息子が重度の多品目アレルギーで乳児期は大変苦労しました。
現在、『卵』経口免疫療法中☆
乳・小麦・魚・大豆は解除です♪

――「患者を生きる」には、同じような経験をされた
親御さんから感想が寄せられました。
今まさに食物アレルギーの治療中のお子さんがいる方、
治療経験を経て成長されたお子さんをお持ちの方。
治療に不安や苦しみを味わい、支えや助けに
感謝した経験をお持ちの方たちです。

寄せられた感想には、共感できることがたくさんありました。
特に、周囲の言葉が気になったり、傷ついたりというのは、
アレルギーのあるお子さんのお母さんたちが通る道なんだな、と思いました。


――田野さんも、ちなりさんが幼稚園に上がる前は、
敏感だった時期があったのですね。

はい。周りは励ましや応援の気持ちで言ってくれていると思うのです。
今思うと、不安が大きいときの方が傷つきやすいのかなと思います。


――不安というのは、どこからくるのでしょう。

食物アレルギーの治療はこの10年ぐらいですごく進みました。
でも、ちなりが小さかった10年前は、今のような診断や
治療の考え方はほとんどありませんでした。

今は診療ガイドラインで、必要に応じて
「食物経口負荷試験(少量を数回に分けて食べ、
症状が出ないか調べる試験)」で診断して食べられないものを判断し、
原因食物を口にしない「除去」は最小限にする、とされています。
でも当時は、血液検査でアレルギーが疑われる食べ物は
一切食べない「完全除去」の考え方が当たり前でした。

そのような時期に、本やインターネットで治療情報を得たり、
ブログで体験記を読んだりしましたが、改善が見える情報が
ほとんどありませんでした。
患者会などで、ある程度の年齢になった子を持つ親御さんの
話を聞き、「そんなに大きくなっても、まだ悩んでいるんだ」と
ショックを受け、先が見えず不安になったこともありました。


――ちなりさんの治療にあたっては、葛藤し、苦しい
思いをされた時期があったのですね。

はい。最初は、少しずつ食べて耐性をつける
「経口免疫療法」を始めようという主治医の方針が信じられなくて。
「食べて、またアナフィラキシーショック(血圧低下など生命に
危険が及ぶこともある激しいアレルギー反応)が出たら」
という不安がすごくあり、怖かった。

当時はそうした治療の情報が本やインターネットでもまったくなく、
お母さんたちの間でも「食べたらあかん」という情報ばかり。
でも主治医は勧めるし、私の主人も積極的な考え方だったので、
2人が敵のようにみえました。そして、すごく孤独になりました。


――どんなきっかけで、受け入れられるようになったのですか。

ちなりが小学校に入学した後、主治医が学校の先生たちに、
食物アレルギーの基礎知識やアナフィラキシーショックを
起こした際の対応の仕方などを講義してくれました。

一方、主治医は、アレルギーの子を持つ親を支え、
正しい治療法を広めるNPOの方を、この研修会に呼んでくれました。
その出会いを機に、関東での勉強会などに参加するようになると、
「経口免疫療法」(※注釈)の経験が豊富な複数の先生たちの
お話を聞くことができました。

まだ研究段階の治療ではありますが、その治療を受けると
少しずつ食べられるようになることを知り、そうしたお子さんを
持つお母さんたちにも出会いました。
「完全除去」しか知らなかった私にとって、食べて良くなる未来がある、
という具外的な例を見せてもらったことが大きかったと思います。

そうした情報に触れて、主治医がこれまで進めてくれたことを
初めて理解でき、治療に前向きに臨めるようになりました。
治療に対する「不安」や「不信」は、良くなるという先が
見えないから募るものなのだ、と思いました。

※注釈) 経口免疫療法は現在も、専門医が安全体制の整った環境で行う研究段階の治療です。


写真田野ちなりさん(左)と母の成美さん=2014年11月、大阪府大阪狭山市



――食物アレルギーのある子が、宿泊を伴う学校行事や
家族旅行などで苦労している。
そんな声も寄せられました。
ちなりさんも林間学校があったと聞きましたが、
事前の備えやご苦労はありましたか。

9月に1泊2日で、奈良県へ行きました。
1年前から、学校と話し合いを持ってきました。
もしアナフィラキシーショックが起きた場合に、救急搬送される
病院までの時間や、その病院に小児科医がいるかなど
救急態勢を確認しました。

状況に応じて、ふだん受診している大阪の病院まで
搬送してもらうことも検討しました。
山間地で病院も遠かったため、学校の先生たちの不安な
思いも伝わってきました。
そこでこの夏、一度現地を見ておこうと、林間学校と
同じルートを家族でたどりました。

オリエンテーリングや鍾乳洞などの野外行事で
かぶれたり、ぜんそくの症状が出たりするリスクがないか、
初めて食べるアマゴの塩焼きを実際に食べて
症状が出ないか確認しました。


――食事は特に気を遣われたと思います。

宿泊する旅館にも伺いました。
出されるメニューを教えてもらい、その原材料を
みせてもらいました。
食べられないものは代替メニューを用意してくれるなど
協力していただきましたが、山間地で入手が難しい食品もありました。
そうしたことも顔を合わせて確認でき、旅館の方には
「来てもらって良かった」と言われました。

学校の先生たちに少しでも安心してもらいたいと思い、
実際のメニューと、ちなり用の代替メニュー、使っている原材料の
写真を表にまとめて写真を撮り、担任の先生と養護教諭、
校長先生、教頭先生に資料として渡しました。

ちなりは当初、「自分は林間学校は行かれへんのやろ」と
言っていたんです。「行けるんだよ」と言うと、すごくうれしそうだった。
いつからそんな不安を持っていたのか……。
アレルギーでも、親としてできることはできるだけやろうと夫婦で決めていました。

林間学校でも、代替メニューをつくってもらえないときは、
代わりのメニューを冷凍して持たせようと思っていた。
寄せられた感想にもあったように、今はアレルギーの人向けの
レトルトやインスタント食品もいっぱいあります。
そういうものも活用していけばいいと思います。


――緊急時の対応として、学校や自宅では事前に何をしましたか。

学校では、出発の前日、担任の先生と養護教諭が
ちなりと一緒にエピペン(激しいアレルギー反応が出たときに
症状を緩和させる自己注射)を使う練習をしてくださいました。

自宅では、親子で話をしながら薬の準備などをしました。
そのとき、「薬は何種類もあるので、1回分を小分けにして
入れたい」「薬袋はポーチのこの位置に入れる」など、
本人が初めて意思を伝えてきました。
意識が変わってきた、自立心が出てきたと思います。


――その後、ちなりさんの治療は進んでいますか。
(連載で取材した)今年春の時点では、
卵、牛乳、甲殻類などがまだこれから、といった具合でした。
 

卵は、主治医と相談しながら自宅で少しずつ食べる量を
増やした結果、今ではちゃんと焼けば食べられるようになりました。
夏休みが終わった頃から本人が関心を持つようになったので、
卵焼きの作り方を教えました。
今では毎朝、家族4人分の卵焼きを、ちなりが焼いてくれます。
それをとても楽しんでいるので、家族の分を焼くための、
ちなり専用のフライパンを買ってあげました。

本人は、卵焼きの味付けの違いに興味を持っていて、
色々工夫して味の変化を楽しんでいます。
今は、だし醬油を卵液に混ぜて焼くのが好きなようです。
我が家の冷蔵庫に卵が常備されるようになりましたね。

甲殻類も、家族全員分のカレーの鍋にエビ1匹を
細かくして入れるといった具合から始め、エビ入り菓子や、
かにもかに缶の少量から始め、少しずつ食べられるようになってきています。

最終的に食べても症状が出ず、治療を卒業できるかどうかは、
「食物経口負荷試験」で確認することになります。
小麦は、食べた後に運動するとアレルギー症状が出る
「運動誘発」のような症状を2度経験し、今は主治医と
相談しながら様子をみています。
これからも、治すことを目標にしていきます。


――田野さんは「大阪狭山食物アレルギー・
アトピーサークル Smile・Smile」
http://sayamasmile.jimdo.com/)で、
アレルギーの子を持つ親御さんと、治療や学校生活の
悩みを共有したり、情報を伝えたりする立場でもありますね。

はい。今、困っている人に、正しい情報を、正しいツールを使って
どうゆき渡らせるか。難しいことだと実感します。
アレルギーは治療法が急速に進んでいる領域です。
専門の学会にも参加するなどして、常に新しい情報を得るようにしています。
最終的には、みんな治って、この会が必要なくなることが目標です。


――同じ経験をするお母さんたちが集まって、大切にしたいことは。

私たちは、自分たちの経験を通じて、言葉や表現を大切にしていきたいです。
お母さん、お父さんには「うちもそうだったよ」「大丈夫だよ」と声をかける。

たとえば、食べて耐性をつける治療の段階では、どうしても
アレルギー症状が出てしまうことがあります。
そういうときも「あかんかったね」「ダメだったね」とは言わない。

以前と比べて、少しでも前進したところを見つける。
これは「宝探し」なんです。
お子さんにも、お母さんお父さんにも、その「宝」を伝えたいね、
とみんなで話しています。

子どもも大人も、魔法の言葉で救われることがあると思います。


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日新聞の医療連載「患者を生きる」で、
2014年6月に連載した「
子に希望を 食物アレルギー
(6月3~8日掲載)には、多くの反響が届きました。

 そのほとんどが、同じようにアレルギーを持つ子と
向き合っている、お母さんたちでした。
毎日の食事への気遣い、アナフィラキシーショックへの不安、
子育てのプレッシャー……。切実な思いがつづられていました。

 ()(中)の2回に分けて、その一部を紹介します。
)では、連載で紹介した、大阪府大阪狭山市の
田野ちなりさん(11)の母成美さん(38)のインタビューを掲載します。

写真「いつか家族でハワイへ」。ちなりさん直筆の目標を、食卓の横に張っている=2014年4月、大阪府大阪狭山市


●差別ない対応を願う

 10歳の息子は、1歳のときの血液検査で、
小麦、大豆、卵、トマト、ゴマ、グレープフルーツなどに
アレルギーがあることが分かりました。
それ以来、完全除去食を続けています。

 幸い、アレルギー反応は重度ではないようで、
保育園で間違えて小麦の食品を口にしたときは
じんましんが出ましたが、アナフィラキシーを起こす
ほどの事故にはなりませんでした。

 かかりつけの小児科医はアレルギー専門では
ありませんが、生まれたときからアドバイスをもらっています。
その先生が保育園や小学校の校医であるので、
しっかりと給食にも対応してもらっています。

 学校給食は、アレルギー用の食材や調味料を学校に預け、
できるだけほかの友だちと同じメニューになるように
作ってもらっています。
調理器具も息子専用に用意してもらっているようです。
ここまで対応してもらえるのは、行政の指導ではなく、
通っている学校の善意によるものです。

 友だちにも恵まれ、同じものが食べられないことについて
からかわれることは無いようです。
おかげで、体格も平均より良く育っており、
助けてもらっている方々にはとても感謝しています。

 夜眠れないほどだったアトピー性皮膚炎も、
小学生になってからずいぶんよくなりました。
「アトピーなの?」と思うほど、肌がきれいな状態を保っています。
親子ともに夜ぐっすり眠れるようになりました。

 ただ、苦労や悲しいこともたくさんあります。

 昨年、初めて学校のお泊り遠足がありました。
食事の対応ができないとのことで、3日分の食事を冷凍して
宿泊先に送らなければいけませんでした。

 普通の食事では外食ができないので、どこに行くにも
弁当持参となり、私は一日中食事のことを考えています。
でも、本人はもっと苦しい思いをしています。
ところが、息子は少し特別扱いされることを前向きに考えてくれています。

 車のレース観戦やスキー、海へと、年間に何度も旅行に出かけますが、
滞在先のホテルでアレルギー対応食を作ってもらっています。
息子には「お子様メニュー」ではなく、「息子特別のスペシャルメニュー」
を用意してくれるのです。

 料理長直々にあいさつに来てくれたりと、息子は
「アレルギー治らなくていい」とまで言うぐらいです。
この発言で、どんなに私の気持ちが救われたことかと思います。

 もちろん、滞在先はアレルギー対応可能であるかが条件になります。
今では滞在先がほとんど決まっていますが、対応できる宿を
決めるのには大変苦労しています。

 宿を選ぶときに「アレルギー対応可」のはずなのに
「アレルギーの食材が多いのでアレルギー対応はできかねます」
と言われると、とても傷つき差別扱いされた思いがします。
その一言にどれだけ傷つくか、分かっていただけないのでしょうか。

 お弁当持参で、横浜にあるグレードの高いホテルのレストランに
入店しようとしたとき、アレルギーであることを伝えたにもかかわらず、
「持ち込みはできません」と断られました。
「アレルギーを持つ人には食べる場所も与えられないのか」と
怒りがこみ上げました。そのホテルには、二度と足を踏み入れません。

 アレルギーをわがままと言われたこともあります。
小学生の海外派遣の枠にも入れません。
選択肢がないのです。全てが満たされるとは思っていませんが、
もう少し、アレルギーでも差別されない対応が浸透していったらいいなと願うばかりです。

(東京都 40代女性)


●光が当たると信じて

 心が震えるほど、同じように子育てをしていらっしゃる方が
いることに共感しました。

 我が家の5歳の娘も、アレルギーを持っています。
かなりレベルが高く、そのことが判明した日から生活が変わった気がしています。

 生後半年で判明したのですが、私は保育園で栄養士をしていて、
アレルギー対応については知識もあり、子どもの成長などに
不安はありましたが、特に食事面での大きな不安はなかったように思います。
「ただ、除去食をしたらいいだけだから……」という感じでした。

 しかし、アレルギーを持つ娘の日々の食事、当たり前のことですが、
365日3食用意しなければなりません。

 そして、買い物をするときも常に成分をチェックしなければなりません。
そのうえ、アレルギーがない、ほかのきょうだいの食事の偏りが
あってはならない、との気持ちを常に持ちながらの日々。

 ぜんそくを持っていて、発作で救急車で運ばれ、入院したこともあります。

 夫にはもちろん日々のことは伝えますし、ほかのお母さんにも
言って、自分なりにガスを抜いていたつもりでした。
その際、常に返ってくる言葉は「大変だねー」と。ありがたい言葉ですが、
なんだか空虚な感覚を持ってしまい、そのように感じる自分を責めたり、と。

 しかし、私だけではなくアレルギーを持つお母様方と仕事柄、
たくさんお会いしてきましたし、皆さんいろいろな気持ちを
お持ちになりながら生活されている、と思い、「私だけではないんだ」と
心に強く持ち続けて暮らしていました。

 そのような、日々を送っているなかで、3年半前のある日、
たまたま行った歯科医の治療中、倒れてしまいました。
結局、心療内科での診察の結果、パニック障害の発作でした。

 現在も治療中です。

 歯科医から治療中、「親知らずを抜くにはここではできなから
大学病院で入院しなければならないかも」と言われ、その瞬間、
娘の食事のことが頭をよぎり、その直後に息ができなくなりました。

 娘のアレルギーのことが私の現在の病気の原因とは、
自分でも思いたくありません。
それはほかのお母さんたちも日々をこなしていらっしゃるからです。

 しかし、娘がベッドに行くと、強い安堵感を覚えるのは確かです。
そのように思ってしまう自分が弱いのか、と毎日のように自分を責めてしまいます。

 病院でアレルギー検査をする度に、「あー、まだあかんのか……」と
思い落胆し、そのうえ医者からは「まだまだやねー」と軽く笑われ……。

 一度、病院を変えて検査に行ったとき、たまたまですが
(アレルギー検査は、体調で数値が微妙に変わることもありますので)、
少しレベルが下がった結果が出たとき、そのときの先生に
「お母さん、頑張りましたね。少し光が見えてきましたよ。
大丈夫ですよ」とおっしゃっていただき、病院内では必死に
我慢していましたが、車に乗った瞬間、声を出して泣きました。
運転ができないほど、涙が出ました。

 まだまだ除去食が続く日々です。
そしてもう一つ、私の病気とも一緒に暮らしていかなければなりません。

 光が少しでも我が家にも当たってきていると信じ、日々を暮らしています。

(大阪府 38歳女性)


●今は大変でも大丈夫

 私の息子は現在27歳です。生後2カ月で湿疹がひどく、
風邪も常にひき、ほとんど眠らないで泣いてばかりいました。

 離乳食の卵でアレルギーショクを起こして、
全身チアノーゼになり、10日間入院しました。

 当時、離乳食の卵について医師に相談したのですが、
「湿疹があっても神経質にならないでどんどん食べなさい」と
言われ、食べさせたらショクを起こしました。
その後、食物アレルギーの指導を受けるため、
横浜市から群馬県まで通う日々が続きました。

 小学校の時には、持参したお弁当に給食の
マヨネーズをかけられるなど、それはそれはいろいろありました。

 今もアレルギーは治っていません。
卵、乳製品、ピーナツは除去中です。

 「こんなひどいアレルギーがあったら、就職は出来るだろうか」
「結婚は出来るだろうか」と不安でした。
でも、そんな親の心配は無用でした。

 食物アレルギーと健康状態を書きましたが、第一希望の
会社から内定をもらいました。
そして今は、可愛いお嫁さんに弁当を作ってもらい、通勤しています。

 今は大変かもしれませんが、大丈夫です。
困難は自分で切り開いていけるようになります。
もう少しだけ、がんばってください。

(横浜市 59歳女性)



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日新聞の医療連載「患者を生きる」で、
2014年6月に連載した「
子に希望を 食物アレルギー」(6月3~8日掲載)には、多くの反響が届きました。

 そのほとんどが、同じようにアレルギーを持つ
子と向き合っている、お母さんたちでした。
毎日の食事への気遣い、アナフィラキシーショックへの
不安、子育てのプレッシャー……。
切実な思いがつづられていました。

 (上)()の2回に分けて、その一部を紹介します。
)では、連載で紹介した、大阪府大阪狭山市の田野ちなりさん(11)の母成美さん(38)のインタビューを掲載します。

写真姉の雅さん(右)と一緒に夕食を楽しむ田野ちなりさん=2014年4月、大阪府大阪狭山市

 

●感謝の気持ち、持てるように

 私にも15歳になる食物アレルギーの息子がいます。

 先日、中学校の修学旅行があったのですが、
全行程10食分の除去食の依頼をホテルや旅行会社と
打ち合わせしました。

 とても手厚く対応していただき、すべての食事の準備を
してくださいました。とても感謝しています。

 感謝の気持ちがようやく持てるようになってきたのは、
息子の食事を私以外の人がつくっても大丈夫だ、という
信頼感が芽生えてきたからだと思います。

 小学校の宿泊行事では、学校から「宿舎での除去食は
用意できない」と言われて、クーラーボックスに毎回の
食事分を冷凍して入れて持たせていました。

 現在の息子のアレルギーは以下のとおりです。

  • 命に関わるアナフィラキシーを起こすもの
     → 卵、ピーナツ、そば、マンゴー
  • 食べて顔面紅潮、のどの苦しさを訴えるもの
     → 大豆、甲殻類、タコ、イカ、青背の魚、桃、パイナップル、リンゴ
  • 食べたらのどがかゆくなるもの
     → タケノコ、ナス、山菜、バナナ、貝類、トマト
  • 食後2時間以内に運動するとアナフィラキシーを起こすもの
     → 小麦

 生まれて6カ月のときに離乳食で豆腐を与えたときに
アナフィラキシーになりました。
すぐに病院に連れて行き処置してもらい、一命をとりとめました。
以後、除去食の生活でした。

 保育園に入り、除去食の給食を提供すると言われたのですが、
アレルギー体質で家でも食べさせたことのない食品が
献立にたくさんあるので、追いつかない気がして
「お弁当を持参したい」と言うと、「今までのお母さんたちの
戦いが無駄になる」と否定され、給食を食べることになりました。

 保育園の看護師からは「別室で食事させようか?」などと
言われ、私は何度も泣きました。

 「2歳になったらアレルギーは治るんだから」などとも言われ、
4歳になっても除去食を食べていたら「小さい子に育つ」
「お母さんの勝手な思い込みで除去してかわいそう」と
言われ、傷つきました。

 2歳までに治る子が多いかもしれないけれど、
治らない子もいると知らない、保育園の看護師の無知に
腹が立ちました。

 当時はアトピーもひどく、シーツが血みどろになることも
多かったです。公園で遊ばせていたら、近所の子どもから
「この子、なんでこんなに汚いの?」と言われて泣いたこともあります。

 私は仕事をしています。
4歳まで診ていただいた主治医には「アレルギーのきつい子の
お母さんは、仕事を辞めるものだ」と言われたこともあります。

 当時は仕事に生きがいを感じていたので、夫にも除去食の
協力を求めたこともありますが、「僕は料理はつくれない」と
冷たく断られ、息子の除去食は私1人の肩にのしかかっていました。
スーパーで買い物をしたら何を買ったらよいかわからない……。
まさに大根とにんじんぐらいしか食べられない状態のころもありました。
アクの強いものは顔が腫れるなど、アトピーが強く出ていました。

 夫の失業中も私が仕事を終えて、疲れて家に帰ってきて
「今日、料理できない。疲れて……」と言うと、「じゃ、外食しよう」と
夫が言い、そういう日には必ず、息子は外食先でアナフィラキシーを
起こしました。
私が疲れて料理できない日は、息子が救急搬送されて、
その付き添いで余計に疲れてしまう。
そんなことの繰り返しでした。

 除去食を一人でつくっていて、まったく協力しない夫のことが憎くなり、
いないほうがあきらめられる、と離婚しました。

 息子が小学校に入ってからは、給食では対応できない
アレルギーの多さだったので、6年間お弁当を持参しました。
給食で除去食をつくってもらうようなことは考えたことがなかったです。

 家の近くに経口療法をする病院があれば、
私も行ったかもしれませんが、仕事をしながら病院に通うことは、
私にはできませんでした。

 15歳になって、周りの人からは「大人になったら治るんでしょ?」
と言われるのですが、大人になるにしたがって、魚介類や果物の
アレルギーが増えてきています。
大豆製品は、しょうゆや薄めたみそ汁が少しずつ口にすることが
できるようになってきましたが……。

 食物アレルギーの子どもを持つ母親は、手抜きできない
料理を毎食続けないといけません。
そういうとき、夫の協力がなければよけいに追い詰められます。
食物アレルギーの子どもが生まれたから母親が仕事を辞める
というのも、夫の協力があれば克服できるように思います。

 食物アレルギー子どもの料理は、限られた食材で
栄養バランスを考え、子どもの「みんなと同じものが食べたい」
という欲求を少しでも満たせるように、食べられる食品を使った
「コピー食」の知恵を絞らなければなりません。

 「小さい子に育つ」「親の勝手でかわいそう」といった
偏見に勝つために、どれほどの努力をしてきたか。

 息子が15歳になってようやく、私以外の人がつくる料理を
安心して食べさせることができる。
そんな思いが芽生えてきました。
そして、つくってくれる人たちへの感謝の思いも、持てるようになりました。

(大阪府 46歳女性)


●ずぼら母さんでも大丈夫

 小学生のうちの子は、生後10カ月で初めての
アナフィラキシーショックを起こしました。
その後の血液検査で、卵、牛乳、小麦、大豆、エビ、カニ、ナッツ類、そばの
アレルギーがあることが分かりました。

 何を食べさせればいいのか分からず、離乳食も思うように進みません。
周りにアレルギーのことを相談出来るようなお母さんもいませんでした。

 アレルギーに関する本を読み、ネットで情報を集めました。
アレルギーのお子さんを持つお母さんたちのブログを見つけては手あたり次第読みました。

 お母さんたちの奮闘ぶりを読んで「うちの子だけじゃないんだ」と
ホッとすると同時に、同じくらい不安も感じました。

 「私にはここまで出来ない…」

 結婚するまで家事らしい家事をしたことがなかった私。
中でも一番苦手で苦痛なのが料理でした。

 ブログで読むアレっ子のお母さんたちは、子どもが他の子と同じように
食事を楽しめるようにと、様々な工夫を凝らしています。
食べられるもので味気ない離乳食をなんとか作り、それを食べないと
子どもに拒否されて腹を立ててしまう自分とは、違いすぎる。

 離乳食でもつまずいているのに、幼稚園のお弁当、学校給食の
コピー食なんて「絶対に無理!」と、先の先まで考えて気が遠くなりました。
自分は母親として愛情不足だ、母親としての能力がない、と深く落ち込みました。

 しかし落ち込んでいても子どもに何か食べさせなくてはいけません。
アレルギーはいつまで続くか分からない。
「長期戦を覚悟して私なりのやり方で向き合うしかない」と腹をくくりました。

 私が決めた「アレっ子育児」の方針は一つだけ。
「死ななきゃOK」でした。そのために一番最初にしたことは、
緊急受診出来る医療機関の確保でした。

 かかりつけの小児科に紹介状をもらい、夜間、休日も受け入れてもらえる
専門病院を受診しました。
また、急な受診に備え、保険証とそれまでの経過を書いた母子手帳、
タクシー代や着替えなどを入れた救急受診バッグを作りました。

 食べることについては「頑張らない」。
離乳食は自分でいくつも作るのが大変だと思えば、アレルギー用の
ベビーフードもガンガンつかい、アレルギー用のミルクも
空腹感を満たすために食後に飲ませました。

 同じ食材が続くのは当たり前。体にどうなのかな、と思っても
「ファストフードよりましなはず」と自分に言い訳していました。
2歳を過ぎても、副菜のひとつとしてベビーフードも食べ続けていました。
うちのおふくろの味はキューピーさんです。

 そんないい加減な私でしたが、子どもは食べることが大好きで、
今では食アレがあるとは思えないくらいのぽっちゃりさんです。

 その後も、誤食によるアナフィラキシーがありましたが、
経口免疫療法で食べられるものが増えました。

 わが子は食アレ、ぜんそく、アレルギー性鼻炎、見事に
アレルギーマーチを突き進んではいます。
でも、予防接種はなるべく受けて、避けられる病気は避けるなど、
今も頑張らない私のアレっ子育児は続いています。

 わが子にアレルギーがあると分かると
「さびしい、つらい思いをさせたくない」とほとんどの親は思います。
すぐに治ると分かっていれば、全力疾走できますが、
長期戦の場合を考えて余力を残しておくことが必要です。

 今、子どものアレルギーがあると分かって、不安の
真っただ中にいるお母さんに伝えたい。
「ズボラな私でも出来たんだから、大丈夫。自分のペースで頑張って」

 もう一つ。周りのお母さんたちに、子どものアレルギーについて
話すとよく言われます。「えらいわ、私には絶対出来ない」という言葉。
悪気がないのも十分分かっているし、逆に「よく頑張っているね」という
ねぎらいの意味も含めての言葉だということも分かっています。

 でも、違和感を感じるのです。「絶対出来ないって、しなかったら
子どもはどうなるの?」。その言葉で、ポーンと向こう岸から話をされているように
私は感じてしまいます。

 その立場に立たないと、絶対に分からないことはあると思います。
私もほかの人に同じように言ってしまっていることがあるのかもしれない。

 この言葉が気にならないお母さんもいると思います。
ただ孤独を感じているお母さんはより孤独感を深めているかもしれません。

 どういう言葉が正解なのかは本当に難しいけど、そういう気持ちになる
お母さんもいるってことに少し心を向けてもらえたらいいな、と思います。

(大阪府 41歳女性)


●私だけで、守ることはできない

 10歳の娘に食物アレルギーがあります。
学校でアナフィラキシーショックを起こし、エピペン注射を
養護教諭に打ってもらったことがあります。

 私が救急搬送先の病院に駆け付けた時は、養護教諭が
冷静に状況を説明してくれ、アレルギーの内容などを
救急隊員の方に説明してくれました。
また救急車が到着するまでも多くの先生たちが対応してくれたことを知りました。

 先生たちがエピペンの講習を受けてくれていることは知っていましたが、
現場で対応できたのは、先生たちの意識の強さ、協力体制の強さのおかげ
と思いました。本当にありがたかったです。

 呼吸困難になり危ない状況だった娘は、翌日には普通に生活しています。
学校に行かせるのが心配で怖かったのですが、普通に生活して
みんなと一緒に笑っていられる時間をアレルギーだからといって
奪ってはいけない、と私は自分に言い聞かせています。
「娘を私だけで守ることはできない」、そう考えています。

 娘が給食を食べられるよう、除去食を考えてくれる栄養士の先生はもちろん、
先生たちが娘のために協力してくれています。

 他学年の先生が「明日うどんの実習があるのでこの教室には
近寄らないほうがいいですよ」など娘を気遣って連絡をくれることもあります。
クラスの子たちも、娘が一緒に家庭科の調理実習ができるよう、配慮してくれています。

 学校の授業が娘のことで滞ることは、絶対あってはならない。
こちらから娘だけを特別扱いしてもらう要求はしない。
これらを肝に銘じながら、娘が学校で生活できるように話し合い、
今後もアレルギーに立ち向かいたいと思っています。

(埼玉県 37歳女性)



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