――「患者を生きる」には、同じような経験をされた
親御さんから感想が寄せられました。
今まさに食物アレルギーの治療中のお子さんがいる方、
治療経験を経て成長されたお子さんをお持ちの方。
治療に不安や苦しみを味わい、支えや助けに
感謝した経験をお持ちの方たちです。
寄せられた感想には、共感できることがたくさんありました。
特に、周囲の言葉が気になったり、傷ついたりというのは、
アレルギーのあるお子さんのお母さんたちが通る道なんだな、と思いました。
――田野さんも、ちなりさんが幼稚園に上がる前は、
敏感だった時期があったのですね。
はい。周りは励ましや応援の気持ちで言ってくれていると思うのです。
今思うと、不安が大きいときの方が傷つきやすいのかなと思います。
――不安というのは、どこからくるのでしょう。
食物アレルギーの治療はこの10年ぐらいですごく進みました。
でも、ちなりが小さかった10年前は、今のような診断や
治療の考え方はほとんどありませんでした。
今は診療ガイドラインで、必要に応じて
「食物経口負荷試験(少量を数回に分けて食べ、
症状が出ないか調べる試験)」で診断して食べられないものを判断し、
原因食物を口にしない「除去」は最小限にする、とされています。
でも当時は、血液検査でアレルギーが疑われる食べ物は
一切食べない「完全除去」の考え方が当たり前でした。
そのような時期に、本やインターネットで治療情報を得たり、
ブログで体験記を読んだりしましたが、改善が見える情報が
ほとんどありませんでした。
患者会などで、ある程度の年齢になった子を持つ親御さんの
話を聞き、「そんなに大きくなっても、まだ悩んでいるんだ」と
ショックを受け、先が見えず不安になったこともありました。
――ちなりさんの治療にあたっては、葛藤し、苦しい
思いをされた時期があったのですね。
はい。最初は、少しずつ食べて耐性をつける
「経口免疫療法」を始めようという主治医の方針が信じられなくて。
「食べて、またアナフィラキシーショック(血圧低下など生命に
危険が及ぶこともある激しいアレルギー反応)が出たら」
という不安がすごくあり、怖かった。
当時はそうした治療の情報が本やインターネットでもまったくなく、
お母さんたちの間でも「食べたらあかん」という情報ばかり。
でも主治医は勧めるし、私の主人も積極的な考え方だったので、
2人が敵のようにみえました。そして、すごく孤独になりました。
――どんなきっかけで、受け入れられるようになったのですか。
ちなりが小学校に入学した後、主治医が学校の先生たちに、
食物アレルギーの基礎知識やアナフィラキシーショックを
起こした際の対応の仕方などを講義してくれました。
一方、主治医は、アレルギーの子を持つ親を支え、
正しい治療法を広めるNPOの方を、この研修会に呼んでくれました。
その出会いを機に、関東での勉強会などに参加するようになると、
「経口免疫療法」(※注釈)の経験が豊富な複数の先生たちの
お話を聞くことができました。
まだ研究段階の治療ではありますが、その治療を受けると
少しずつ食べられるようになることを知り、そうしたお子さんを
持つお母さんたちにも出会いました。
「完全除去」しか知らなかった私にとって、食べて良くなる未来がある、
という具外的な例を見せてもらったことが大きかったと思います。
そうした情報に触れて、主治医がこれまで進めてくれたことを
初めて理解でき、治療に前向きに臨めるようになりました。
治療に対する「不安」や「不信」は、良くなるという先が
見えないから募るものなのだ、と思いました。
※注釈) 経口免疫療法は現在も、専門医が安全体制の整った環境で行う研究段階の治療です。
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――食物アレルギーのある子が、宿泊を伴う学校行事や
家族旅行などで苦労している。
そんな声も寄せられました。
ちなりさんも林間学校があったと聞きましたが、
事前の備えやご苦労はありましたか。
9月に1泊2日で、奈良県へ行きました。
1年前から、学校と話し合いを持ってきました。
もしアナフィラキシーショックが起きた場合に、救急搬送される
病院までの時間や、その病院に小児科医がいるかなど
救急態勢を確認しました。
状況に応じて、ふだん受診している大阪の病院まで
搬送してもらうことも検討しました。
山間地で病院も遠かったため、学校の先生たちの不安な
思いも伝わってきました。
そこでこの夏、一度現地を見ておこうと、林間学校と
同じルートを家族でたどりました。
オリエンテーリングや鍾乳洞などの野外行事で
かぶれたり、ぜんそくの症状が出たりするリスクがないか、
初めて食べるアマゴの塩焼きを実際に食べて
症状が出ないか確認しました。
――食事は特に気を遣われたと思います。
宿泊する旅館にも伺いました。
出されるメニューを教えてもらい、その原材料を
みせてもらいました。
食べられないものは代替メニューを用意してくれるなど
協力していただきましたが、山間地で入手が難しい食品もありました。
そうしたことも顔を合わせて確認でき、旅館の方には
「来てもらって良かった」と言われました。
学校の先生たちに少しでも安心してもらいたいと思い、
実際のメニューと、ちなり用の代替メニュー、使っている原材料の
写真を表にまとめて写真を撮り、担任の先生と養護教諭、
校長先生、教頭先生に資料として渡しました。
ちなりは当初、「自分は林間学校は行かれへんのやろ」と
言っていたんです。「行けるんだよ」と言うと、すごくうれしそうだった。
いつからそんな不安を持っていたのか……。
アレルギーでも、親としてできることはできるだけやろうと夫婦で決めていました。
林間学校でも、代替メニューをつくってもらえないときは、
代わりのメニューを冷凍して持たせようと思っていた。
寄せられた感想にもあったように、今はアレルギーの人向けの
レトルトやインスタント食品もいっぱいあります。
そういうものも活用していけばいいと思います。
――緊急時の対応として、学校や自宅では事前に何をしましたか。
学校では、出発の前日、担任の先生と養護教諭が
ちなりと一緒にエピペン(激しいアレルギー反応が出たときに
症状を緩和させる自己注射)を使う練習をしてくださいました。
自宅では、親子で話をしながら薬の準備などをしました。
そのとき、「薬は何種類もあるので、1回分を小分けにして
入れたい」「薬袋はポーチのこの位置に入れる」など、
本人が初めて意思を伝えてきました。
意識が変わってきた、自立心が出てきたと思います。
――その後、ちなりさんの治療は進んでいますか。
(連載で取材した)今年春の時点では、
卵、牛乳、甲殻類などがまだこれから、といった具合でした。
卵は、主治医と相談しながら自宅で少しずつ食べる量を
増やした結果、今ではちゃんと焼けば食べられるようになりました。
夏休みが終わった頃から本人が関心を持つようになったので、
卵焼きの作り方を教えました。
今では毎朝、家族4人分の卵焼きを、ちなりが焼いてくれます。
それをとても楽しんでいるので、家族の分を焼くための、
ちなり専用のフライパンを買ってあげました。
本人は、卵焼きの味付けの違いに興味を持っていて、
色々工夫して味の変化を楽しんでいます。
今は、だし醬油を卵液に混ぜて焼くのが好きなようです。
我が家の冷蔵庫に卵が常備されるようになりましたね。
甲殻類も、家族全員分のカレーの鍋にエビ1匹を
細かくして入れるといった具合から始め、エビ入り菓子や、
かにもかに缶の少量から始め、少しずつ食べられるようになってきています。
最終的に食べても症状が出ず、治療を卒業できるかどうかは、
「食物経口負荷試験」で確認することになります。
小麦は、食べた後に運動するとアレルギー症状が出る
「運動誘発」のような症状を2度経験し、今は主治医と
相談しながら様子をみています。
これからも、治すことを目標にしていきます。
――田野さんは「大阪狭山食物アレルギー・
アトピーサークル Smile・Smile」
(http://sayamasmile.jimdo.com/)で、
アレルギーの子を持つ親御さんと、治療や学校生活の
悩みを共有したり、情報を伝えたりする立場でもありますね。
はい。今、困っている人に、正しい情報を、正しいツールを使って
どうゆき渡らせるか。難しいことだと実感します。
アレルギーは治療法が急速に進んでいる領域です。
専門の学会にも参加するなどして、常に新しい情報を得るようにしています。
最終的には、みんな治って、この会が必要なくなることが目標です。
――同じ経験をするお母さんたちが集まって、大切にしたいことは。
私たちは、自分たちの経験を通じて、言葉や表現を大切にしていきたいです。
お母さん、お父さんには「うちもそうだったよ」「大丈夫だよ」と声をかける。
たとえば、食べて耐性をつける治療の段階では、どうしても
アレルギー症状が出てしまうことがあります。
そういうときも「あかんかったね」「ダメだったね」とは言わない。
以前と比べて、少しでも前進したところを見つける。
これは「宝探し」なんです。
お子さんにも、お母さんお父さんにも、その「宝」を伝えたいね、
とみんなで話しています。
子どもも大人も、魔法の言葉で救われることがあると思います。

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