第1次世界大戦の勃発から110年に… | 尾張エクセルの「日々精進ブログ」

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木曽の清流に映え、心触れ合う躍動都市;愛知県一宮市に活動拠点を置く、尾張エクセルです。保守政権を応援しつつ、経済・社会・軍事防衛まで、地域や国内、海外の気になる出来事や話題を、独断と偏見溢れる一味違った目線でブログ提供します。

この夏は、第1次世界大戦勃発から110年にあたる。「現在の東アジアは、大戦前の
欧州に似てきた…」との見方もあり、改めて振り返ることは今日の世界を考える上でも
有益だろうと思う。
第1次世界大戦は1914年6月28日に、オーストリアのフェルディナント大公夫妻
がサラエボで、「セルビア」のテロリストに暗殺されたことが切掛けである。
この事件を、オーストリア政府は「オーストリア=ハンガリー帝国の低落」に歯止めを
かける好機と見てセルビア攻撃へと動き出し、7月6日にドイツから外交・軍事支援の
白紙委任状を取り付けた。その時ドイツは「英国の介入はない」と予想していた。
一方で、セルビア側に立つロシアは、ドイツの介入を抑止するために軍隊を戦時態勢に
移す動員の準備に入った。
 
英国介入の動きを知ったドイツは、オーストリアに「ベオグラードで停戦させる」との
案を送ったが間に合わず、7月29日に「オーストリアとセルビアは交戦状態」に入っ
たのである。更に8月1日には、ドイツがロシアに、8月4日に英国がドイツに対して
宣戦布告した。
これらの過程で、 「各国が事態の展開と相手の出方を読み誤った」と思われる。
ドイツは「英国の不介入」を前提に、オーストリア支援を決定したが、英国が介入に動
き出して、更にはロシアが7月25日~26日に予備的動員を、7月30日に総動員を
発令したことで、殆んどパニック状態に陥った。
ロシア側は、動員で「ドイツの介入を抑止しよう」としたが、逆にドイツの先制攻撃を
招いた。このように、「
各国は相手国の出方を読み誤り、事態の収拾がつかなくなって
戦争にもつれ込んだ
」のである。
事態のコントロールを失うな」こそが、1914年7月危機の最大の教訓ではないの
だろうかと思う。
他方でえ、大戦の原因には国際政治学でいう セキュリティー・ジレンマ問題がある
と小生は思う。
例えば、「A国の軍事力強化」に対応して、「B国が不安を感じて 軍事力を強める」と、
「結果的には両国の安全保障が弱まる」のをいうが 「1914年のドイツ・ロシア関係
がこれにあたる」というべきであろう。
さらに「大戦勃発の背後」には、19世紀末以来のパワー・バランスの変化があった点は
否定できまい。ドイツ・ロシアの台頭と、かつての大英帝国の相対的なパワーの低下だ。
このような変化があるときには「パワーを拡大した国は自国の力を過大評価して、他国を
過小評価しやすく、更により多くを得ようとする傾向がある」のだ。
そして、「成功した側は 傲(おご) って、力を失った側や政策に失敗した側には 焦りが生
まれやすく、セキュリティー・ジレンマを生む要因となる」のである。
ドイツは、国力を増強したのに、「露仏同盟」と「英仏露三国協商」によって、外交的・
軍事的に孤立に追いやられて、
仏露の両国と戦う事実上の二正面作戦;「シュリーフェン・
プラン」
をたてて、その誤った戦略に自らを引張り込んだ。 
21世紀の東アジアに目を転じると、中共の台頭と米・日の後退などによって 「パワー・
バランスの変化」が見られる。しかし、「パワー・バランスの変化そのものが戦争を起こ
す」という訳ではない。
戦争になるかどうかは、「その変化が 各国での戦略利益の計算や相手国の出方の読みに
どのような変化をもたらすかによって決まる」
のではないだろうか。
現在のアジアには勢力均衡を作り維持するための 規範・経験・外交文化が殆んどないの
が問題なのであるが、日・米・中・韓が時代の流れや相手の動きを読み誤らないように、
「対話を重ねて 認識のズレを小さくして、何をどこまでやってよいのかについての了解
や合意を作っていく」ことが重要だろう。