「父の日」に 「国父」を考える | 尾張エクセルの「日々精進ブログ」

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本日;6月18日は「父の日」である。父の日は毎年;6月の第3日曜日で、今年;2023年は
6月18日である。「母の日」に隠れて 些か影の薄い日ではあるが、家族一同が「父の日」を
祝ってくれたので、喜ばしい限りである。本日のブログでは、「国父」を綴ることにしよう。

 
「建国の父」や「独立の父」とは 専ら「建国や独立そのものに多大な貢献をした人物」を指す
呼称であるが、必ずしもそうではなく、国家の発展に貢献した人物を指すこともある。
「祖国の父」及び「国家の父」は、後述のするpater patriae」の訳語として使われるほかに、
一般的な呼称としても用いられる。
日本語や中国語では、漢語;「国父」がしばしば使われる。「国父」は「藩主の父」を表す称号
として島津藩主「島津久光」が用いたが、後には「Father of the Nation」の訳語として使わ
れるようになり、特に中国語からの影響で、中華民国;「孫文」を指す用例が最も多く、定着
しているようだ。
その生涯から読み取られる「英雄らしさ」や「道徳的権威」としてのありかたによって、これら
の人物は 国家や国民が国史を記述する際の「キーパーソン」にされ、「愛国心の源」に また
「尊敬や崇拝の対象」にされる。国父の肖像は、国家の象徴となり、「紙幣や切手、記念碑や
或いは 地名や空港名、大学名」などもに使われる。
いくつかの権威的な国家では、国父に対するカルト的な個人崇拝が確立される。

「古代ローマの元老院」は、最も尊敬すべき市民に対して、「祖国の父(pater patriae)」称号
を授与していた。「キケロ」は執政官として国家転覆の陰謀を未然に防いだことから、本称号
を得た他にも、有名なところでは、歴代ローマ皇帝たちは 長年皇帝として活躍した場合など、
元老院から この称号を贈られていた。皇帝の肖像が入った硬貨に、 しばしば「PP」と書かれ
ているのは、「pater patriae」の略である。
ところが、一旦、「国父」とされた人物;全てが 永久に名声を維持する訳ではなくて、「歴史の
見直し」などにより その地位が揺らぐことがある。
例えば、ソ連の独裁者;「ヨセフ・スターリン」は、ソビエト連邦の指導者の地位にあった時代
に、「数千万のソビエト人民の父」として称えるプロパガンダがなされた。彼の死後 「指導者
スターリンのいない生活など考えられないし、耐えられない…」と考えた国民が多かっただろ
うことは、後追い自殺が続発したことからも伺える。
やがて、彼が行った政治的な抑圧が明るみに出て、後継者;「ニキータ・フルシチョフ」による
非難が行われ、「ウラジーミル・レーニン」と枕を並べ安置されていた「スターリン」の遺体は、
「レーニン」廟から撤去されるに至った。
「マハトマ・ガンディー」は 「インドの国父」として、また「孫文」は 「中華民国の国父(國父)」
として、国家から公式に称されている。
小生が親近感を持つ「トルコ」における近代化の父;「ムスタファ・ケマル・パシャ」は、トルコ
大国民議会から「父なるトルコ人」という意味の「アタテュルク」という姓を贈られている。
また、トルコ紙幣の肖像にも、国際空港にもその名が残っている。

さて、それでは、我が日本国における「国父」には、いったい誰が該当するのであろうか?
初代の天皇である「神武天皇」が、そのような存在として扱われるようであるが、歴史上でも
半ば神話の世界であって、小生には首を傾げるところも多いようである。

 
小生が「国父」と想定する人物は、ずばり「明治天皇」である。
「明治天皇」は、日本の第122代天皇である。諱は、睦仁(むつひと)。御称号は、祐宮(さち
のみや)。お印は、永(えい)。
「倒幕・攘夷派」象徴として、また「近代日本の指導者」と仰がれた。その盛名によって 「明治
大帝」,「明治聖帝」,「睦仁大帝(Mutsuhito the Great)」とも称された。
1868(明治元)年には、「五箇条の御誓文」を発布して、「明治新政府の基本方針」を表明し、
新しい政治制度を採用した。また、「明治」と改元して、「一世一元の制」を定めた。
1889(明治22)年2月11日に、大日本帝国憲法を公布した。この憲法は、日本史上初め
て「天皇の権限(天皇大権)」を明記しており、「立憲君主制国家」確立の基礎となった。
翌1890(明治23年)には「教育ニ関スル勅語(教育勅語)」を発して、「近代天皇制国家を
支える臣民(国民)道徳の涵養」に努めた。
また日本が初めて直面した近代戦争;「日清戦争」と「日露戦争」においては、「大本営」で
直接戦争指導に当たった。外交上は 日英同盟を締結して、列強の一員たるべく、軍事的・
経済的な国力の増強を図った。
日露戦争後には、韓国併合や満州経営を進めて、日本を 英国やフランス、ドイツなど他の
列強のような植民帝国へと膨張させる政策を採用した。
1911(明治44)年には、開国以来の懸案でもあった 「英国や米国などの各国との不平等
条約の改正」を完了させて、名実共に日本は列強の一員となった。
ちなみに、明治天皇の誕生日をご存知であろうか。…11月3日である。この日は今、「文化
の日」という名称の祝日であるが、戦前は「明治節」と呼んで、明治天皇の誕生日を全国民
が祝したのである。11がつ日は「明治の日」と改称して欲しいものである。