親が自分の子供時の辛さを当然と受け入れると子供に生き辛さを植え付けることがある

 

 

親が子供に暴言を吐いたり、人格を無視したような叱り方をしたり、日々干渉し続けたとしても、それは子供の幸せのために行っていると、心の底から信じている場合があります。

 

親は親なりに精一杯のこと、精一杯の教育をしたと思っているのです。

 

アダルトチルドレンの親には、子育てにおける問題のある考え方、行動パタ−ンがあるのですが、結局親自身、自身の親より問題のある育てられ方をされている確率が大変高いのです。

 

 

そして、その育てられ方を、子育ての見本として、自分自身が親として子供に行っているのです。

 

親自身も辛い教育を受けたのでしょうが、それを、子育てにおける当然の行為と認識、思い込んでいる場合が多々あるのです。

 

アダルトチルドレンの親がその親から歪んだ育てられ方、歪んだ価値観を植えつけられ、それを当然のものと受容して引き継いでいるので、親の教育方法に異論を唱える子供については理解出来ないのです。

 

 

さて、アダルトチルドレン。

親は「アダルトチルドレン」という言葉を知らないかもしれません。

 

そして、ある程度年齢が経ってしまった今、親は自身がアダルトチルドレン、すなわち傷ついた子供時代を過ごし、その傷を持ったまま大人になった、または親に認められるために自分を犠牲にしたその方法で今も生きている、これらの事実については認めることはなく否定されるでしょう。

 

 

 

そうでなければ、自分自身の半生が一体何であったのか、強烈な喪失感に捉われるかもしれないからです。

 

 

今でこそ、心理学の時代です。

自己分析、過去を振り返るワ−クやセミナ−、そして様々な心理関係の本が出版され、カウンセリングも日常となり、自分自身を振り返る場が多々あります。

 

しかし、私たちアダルトチルドレンの親にはそのような自分自身を振り返る時代がなかったのです。

そういった場がなかったのです。

 

 

生き辛さを感じてもそれを当たり前のものとして受容していたのでしょう。

子供時、生き辛さを当たり前と受容したからこそ、それが当然であり、その当然を子供に伝えているに過ぎないのです。

 

 

時代が違うとは恐ろしいことです。

 

 

彼らにしてみれば、受け継いだ、当然の考え方、価値観に基づいて行動しているだけであり、それ以外に道がなかったのですから。

 

それ以外に方法を知らないから。

それ以外について学んでいないから。

 

親が自分の子供時の辛さを当然と受け入れると、子供に生き辛さを植え付けることがあるのです。

 

運営サイト:心理オフィスステラ

2006年7月31日の記事

「本当に親は子供の心を傷つけるつもりだったのか」より、一部抜粋補筆

9月より、タロット占いをはじめます。

 

PR用のチラシを作らなければと思い

 

「CANVA」を、習い始めました。

 

家で「CANVA」を操作しているのですが

 

今ひとつ、分からない。

 

それに、目が疲れる。

 

出来なければ、プロに頼もう。

 

それが一番です。

私は幼児期よりピアノを習わされていました。

なぜ、習わされていたのか皆目分かりません。

 

父の要望です。

おそらくは、私をビアニストかピアノの先生にしたかったのでしょう。

しかし、残念。

 

我が家は常に音楽、クラシック音楽に溢れていた家庭ではありませんでした。

そもそも、音楽家の家庭、雰囲気がないのです。

 

 

そして、嫌々、ピアノを弾かされていたことは、私の自己抑圧、何が楽しいのか分からない感覚、さらに、強迫性障害にも影響していることを理解しています。

 

 

子供時早期に抱いた失望感。

ピアノを通して得た圧倒的な失望感。

 

 

小学5年生の時、ピアノに対して転機が訪れました。

ピアノの先生(音大の助教授)から、どうも私にはピアニストになる素質がなく

先生の上の先生に、そのことを判断してもらうようにと

父に話しがあったのです。

(父は毎週日曜日、私のピアノのレッスンについてきていました)。

 

 

そして、その偉い先生の前で、私がピアノを弾いたところ

ピアニストは無理と言われました。

 

そして、音大の助教授の先生との関係は終わり

(ピアノの先生は他の先生をご紹介頂きました)。

向日市から1時間30分かけて行っていた、音楽教室もやめました。

 

 

この時の感覚、はっきりと覚えています。

 

何のために、ピアノなんて習っていたのだろう。

 

好きでもないのに。

 

虚しい、失望。

 

それに、いきなり知らない先生の前でピアノを弾かされ

 

漫然とした、どうしようもない気持ち。

 

 

 

どうしようもない。

すべて父がしたこと。

 

 

でも、父にピアノを辞めたいと言えば、すんだことではないかと

思われる方もおられるでしょうが。

 

それが、言えたら、苦労しなかった。

たぶん私は父のことが、相当好きだったのだと思います。

 

だから、ピアノを辞めて、父を悲しませたくなかった。

でも、本当はさっさと辞めたかった。

 

 

それに、父は言っていました。

「ピアノは絶対に辞めてはいけない」と。

 

何の為にピアノに執着していたのか分かりませんが。

 

 

いずれにせよ、人生早期。

小学5年生。

 

親のために味わった、挫折感、失望感でした。

 

今でもはっきりと、あの時の感覚は思い出せます。