2005年の今日

大好きだったオヤジが死んだ




仕事中の僕の元に 入院中の親父に付きっきりのおかんから 一本の電話が入った

今もはっきりと覚えている 


「お父さん虫の息!!もっちゃん祈っといてー!!」


僕が話す事は何もなく電話は切れた


虫の知らせ なんて一秒もなかった

虫の息のオヤジをおかんが知らせてくれた


人生に一度しかない別れの瞬間に おかんは電話で教えてくれた


僕は その電話をとる事が出来た事がとても嬉しい


場所は違えど気持ちは同じである。


大好きな親父が旅だったのだ






オヤジが死んでしまった悲しみはない

もう会えなくなる寂しさは 尋常じゃなく涙に変わって溢れ出た

もう どうやっても会えないのだ


しかし 決して特別な事ではない事も分かってる

生まれてきた人すべてに 一度だけ起こる必然な事だから

だから入院中から 感傷に浸る事は 辞めようと決めていた




オヤジと最後にあったのは 2ヶ月ほど前だっただろうか


僕が東京から金沢まで 帰れた時は オヤジの希望通り 一時帰宅が認めてもらえる


病院の玄関に車を回し オヤジを助手席に乗せ帰った


連れて帰った親父はモルヒネのせいでまるで子供のようだった

一晩中おしっこ、おしっこと言い出し、一人で歩けない親父をトイレに連れていった

もちろん おしっこは出ない

僕にも母親にも全く眠むる時間を与えてもらえず

『父!さっきも行ったじゃん!しっかりしてくれよ!』と肩を揺すった。

介護疲労で自殺してしまう人の心が少し分かってしまった瞬間だった。


僕も東京に帰らなくてはならないので親父を病院に戻したが 家に帰ると言い続けた。



病院の部屋の扉を閉める時に

うつろな親父の僕にむけるまなざしが 最後だった



死んで数日後

少し落ち着いたくらいにその病院の前を夜中に一人で車で通った


なぜだか分からないが

また 病院の玄関に車を止めて 車椅子に乗ったおやじをおかんが押して出てくるのを待った

おやじは出て来なかった  



死んでしまった現実を強く感じてしまい 

大声を出して泣いてしまった






葬式の日に 形ある親父が 火葬されて骨になった



今から30年前、産まれてきた僕を 親父が抱いた

人肌と同じくらいの暖かさだった ほねつぼを 僕が抱いた


人が産まれ死んでいく

始まりと終わりに親子として お互いを抱きしめられる幸せを感じた






今日はクリスマスイブ

毎年 クリスマスイブに

親父は楽しかった思い出を 僕ら家族にプレゼントしてくれる

親父の子供に産まれてよかった

ありがとう