こんにちわキラキラ

人事部S原ですヒマワリ

今回は「みやざき中央新聞」の記事を抜粋させて頂きます目メモ

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「仕事力」というコラムに次のような話が載っていた。哲学者で武道家の内田樹さんの記事だ。
「医学部の先生から聞いた話ですが、授業の後、質問に来た学生がいて、講義の内容について聞かれるのかと思ったら、『これ国家試験に出ますか?』と聞いてきた。こういう学生は『最低の学習努力で最高の学位を得る』ということを期待しているんです」
さらに内田さんは労働市場でも同じような原則を適用しようとしている若者が増えていることを指摘している。すなわち、「最小限の労働と引き換えに最も高い報酬を期待している」とか「最も少ない努力で最高の評価を受けるような仕事がしたいと思っている」というのである。
就職活動をしている学生たちはこれを自分に合った仕事に就きたい」という言葉で表現する。「適職」というものだ。

つまり、いま自分に100の能力があるとすると、100の能力でできる仕事を彼らは「適職」と呼び、自分の可能性にふたをしてしまう。

いま僕は短大で教えているが、1年生も就活に動きはじめた。
彼女たちがよく言うのが「自分にはどんな仕事が合っているのかわかりません」である。
そんなのは当たり前である。人生経験などほとんどなく、しかも職業人としての経験はゼロに等しいのに、「自分に合った仕事を探す」なんて慢心極まりない。

職業とは、探すものではなく誰かに選ばれて就くものだ。だから「天職」のことを「コーリング」という。「呼ばれる」という意味である。たとえば「教師になりたい」「出版関係の仕事がしたい」などと希望していても、選ばれなければその職に就けないし、独立して起業してもお客様から選ばれなければ成功しない。

心理学に「ジョハリの窓」という考え方がある。1枚の紙を真ん中から十字に線を引き、4つの窓を作る。左上の窓は「自分も他人も知っている自分」左下の窓は「自分は知っているけど他人は知らない自分」、右上の窓は自分は知らないけど他人は知っている自分」右下の窓は「自分も知らないし、他人も知らない自分」である。

最後の右下の窓は「未知の窓」と呼ばれているが、僕は「無限の可能性の窓」とか「神の領域の窓」と呼んでいる。若いときは、自分にどんな可能性が秘められているか、自分もわからないし、先生も親もわからない。

だから100 の能力しかなくても150の力を発揮しないと出来そうにない、苦手なことや困難なことに若いときは挑戦していくべきなのだ。
そうやっていまの環境の中で最大限の努力をしている人が最終的に選ばれる。

                                   みやざき中央新聞


全ての人に当てはまる内容ですね('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)
皆さんは無限の可能性を秘めています。自分の可能性に「ふた」をしないでください!!
人間の能力、可能性は氷山の一角と言われています。
『ジョハリの窓』も試してみて下さい。そして、今の自分と見つめ合い反省し、自分を認めて下さい!!
そしてビッグな社会人になっていきましょうっドンッグー