日時:平成29年2月7日(火) 18:00~19:30
アドバイザー:中谷常二先生、岡部幸徳先生

 

課題図書:

 

 

 

第5部、第6部(最終)

<第5部>
◯ ニュートンも方法序説を読んで万有引力に思い至ったといわれている。体を機械とみる考え方がその後の医学に多大な影響を与えた。
・ そもそも論、ex 何故物には引力があるのか? の答えは神しかないというのも納得感が出てくるのでは?
・ 時間とは何か、という問いも。
・ だが、そのそもそも論にすらこれからは答えが出るのかもしれない。
・ もしかしたらそこにもう一度神が出てくるのか?
・ この時代は人間が自然の中にいる、という考えから人間を自然と切り離して人間が自然を利用するという考えが出てきた時代。
・ デカルトは神と言っているが、実は神とは一歩離れて見ている。現代人に近い神観だが、時代背景からそれをはっきり言えなかったのでは。
・ 解剖学が始まった時代でもある。解剖してみたら人間と動物が同じようになっていることに気づいた。

 

○ 人工知能を一人の人格として扱って良いのか?
・ 受け答えができれば人格があるということになればAIにも人格があり、壊したら罪になるのか?
・ デカルトは人間の体が機械と同じように自然の法則に基づいて動いていることを解明した。人間が機械と同じで修理できるとすればAIとの違いがますます小さくなってくる。
・ 人が心を通わせることができることが人格の要件だとすれば、ペッパー君がすぐに飽きられたら人権がなくなるか? 巷でただわめいているおっさんに人権を認めるべきか?
・ 仲間に入れるという観点ではAIの方がかえってしっくりくるかもしれない。
・ 脳死の人から内臓を取るのは何故許されるのか?
・ 進化したAIと脳死したヒトはどちらが尊重されるべきか?
・ 臓器を作るためにヒトの遺伝子を持った豚を作ったらブタはヒトとして尊重されるか?
(アイランドという映画では、臓器をコピーするためのクローン人間がテーマとなっている)
・ AIはあくまでヒトがプログラミングしたモノ。二進法の世界。一方クローンはヒトが作ったとはいえ生物。
・ 白人と黒人の違いは肌の色だけ。その考え方からすると、AIが賢くなって自立したらヒトとの違いは形や材料だけでは?
・ 動物愛護法は動物がかわいそうだからではなく、ヒトが動物を愛するという良俗を守るため、という構成になっている(※ 末尾に塚元さんの解説)
・ 公民権運動が盛んになり黒人の権利が認められるまでに長い時間がかかり、その間に多くの権利侵害が行われた。AIが進化するのはまだ先かもしれないが、考えておくべきでは。
・ AIに人権を与えてしまうと暴走した時に止められなくなるのでは? ヒトもテロや暴走はするがAIロボットが暴走した場合、その危険はヒトが暴走するよりずっと大きい。
・ 秩序を守れない人は人権を制限される。社会主義国や独裁制ではもっと曖昧な条件で人権の制限が行われていた。イスラム国も同じ。
・ 違うのと優れているのはまた別の意味合いでは。とはいえ、現代ほど人の生命が尊重されている時代は歴史上初めてであり、揺り戻しがあるかもしれない。
・ 人口は確かに爆発的に増加していて、どこかで大量の人口調整が行われる可能性もあるかも。
・ 最近の出生率の低下を見ると殺すのではなく生まないことで人口調整することがヒトが動物と違いではないか。

 

<第6章>
◯ 討論するより、一人でしっかり考えることの方がより真実に近づけるという考えは頷ける。
・ こうしてわれわれをいわば自然の主人にして所有者たらしめること・・
  非常に西洋的な考えでは。ヴェルサイユ宮殿の庭は完全に自然をねじ伏せており、同じように自然を加工しているはずの日本庭園とは全く違う印象を与える。
・ 書も正確に書くだけであれば活字で良いが、書は何かを目指して書いているのでは。
 それが何かはまだ分からないし一生それを目指して練習するのかもしれない。また、偶然の産物として書けた線にも価値を見出す面もある。


 以上(文責 北村)

 

※ 塚元さんによる補足(死体損壊罪、動物愛護法)

 

1 死体損壊等罪(刑法190条)の保護法益
通説は、「国民の宗教的感情及び死者に対する敬虔・尊崇の感情」(山口厚「刑法各論(補訂版)」【有斐閣】515頁)と解されているようです。この理解によれば、死者の「人権」とか「人格」そのものを保護の対象としているのではなく、(生きている)人間の側から見て、死者について、人間とは異なるものの、一定の尊重を与えるべき対象(保護を与えるべき対象)であると捉えているようにも思われます。
 

 前回勉強会の際の議論で言えば、現時点の法制では、ペッパーくんよりも、死体の方が、人間の「仲間」に近い存在として捉えられている、ということかもしれません。

 

2 動物愛護法
  正式名称は、動物の愛護及び管理に関する法律です。
  (http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S48/S48HO105.html)
  ご参考までに、目的と基本原則を後記のとおり引用します。
  
  第1条を簡単に分解すれば、
 
 ①-1「動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の
     健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定め」ること、
 ②-1「動物の管理に関する事項を定め」ること、
 
  というそれぞれの手段によって、
 
 ①-2「国民の間に動物を愛護する気風を招来し、
     生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資する」こと、
 ②-2「動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害
     並びに生活環境の保全上の支障を防止」すること、
  という二つの小目的をそれぞれ達成し、
  それによって、最終的に、
 ③「人と動物の共生する社会の実現を図ること」
   を目的とする法律である、ということになります。

 

 そうすると、勉強会の場でご指摘のあったとおり、動物愛護法の立法目的は、少なくとも文言上は「動物のため」ではないようです。
 

 これを、先ほどの「死者」の議論とパラレルに考えて、人間の側から見て、動物について、人間とは異なるものの、一定の尊重を与えるべき対象(保護を与えるべき対象)であると捉えているのだと考えれば、現時点の法制では、ペッパーくんよりも、動物の方が、人間の「仲間」に近い存在として捉えられている、ということかもしれません。

 

 但し、ここでは、「(生きている)人間」と、「死体」や「動物」との区分がはっきりしていることを前提に、「人間」から見て、尊重すべき対象かどうか、尊重すべきとしてどの程度尊重すべきか、という評価なり判断が存在する、と言えるかもしれません。
 

例えばペッパーくんは、現時点では、この、尊重すべき対象には入っておらず、法的にはせいぜい「物」としての保護しか与えられていませんが、仮に近い将来、心情的な観点からか、社会的な有用性の観点からかはわかりませんが、ペッパーくんが、このような保護の対象となることがあったとしても、これは、どこまでいっても、「人権」類似のものや、「人格」を認めるという議論とは、次元が異なるようにも思われ、その次元を飛び越えるためには、社会的な合意なり社会認識のコペルニクス的転回が必要なのかもしれません。

 

 と言いつつ、「人間」の外縁が揺らいで、例えばAIと人間の区分が揺らいでくれば、「人権」類似のものや、「人格」を認めるという議論があり得るのかもしれない、とも思います。イルカやクジラは仲間です、といった議論が現在存在するのだとすれば、少なくとも、現在の動物愛護法の枠とは異なっているように思われ、私の認識が追い付いていないだけで、そこに「人権」類似のものや「人格」を認める考えは既に存在するのかもしれません。

 

 (目的)
第一条  この法律は、動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物の共生する社会の実現を図ることを目的とする。
(基本原則)
第二条  動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。
2  何人も、動物を取り扱う場合には、その飼養又は保管の目的の達成に支障を及ぼさない範囲で、適切な給餌及び給水、必要な健康の管理並びにその動物の種類、習性等を考慮した飼養又は保管を行うための環境の確保を行わなければならない。