このPCで「てんせいじんご」と打てば天声人語と変換される。それくらい朝日新聞の一面コラムは社会に定着している。

 

その天声人語、9月15日付の文章(リンク切れになっていたので引用します)


バイキング料理の軽いストレスは、自分の浅ましさを思い知る点にある。元を取るぞという貧乏性が食欲にかぶさり、せっかくの美味は混然たる「ごちそうの山」と化す。この手で好きなだけ盛れる怖さ、お手盛りの語源である


▼東京電力が、来年度から3年間をめどに、約15%の料金値上げを欲しているという。社員の給与カットは5%だからお手盛りくさい。半減とはいえボーナスがあるのも驚くが、値上げ期間が終わったら元に戻したいらしい


▼安定供給の名の下、会社が赤字にならぬよう、電気料金は事前に見積もった費用に利潤を乗せて決まる。勢い、見積もりが多めになるのは「ごちそうの山」の常である。地域独占なので、コスト減らしの競争意識は乏しい


▼倒産しかねない大公害なのに、国策ゆえ、想定外だからと救われる公益事業。被災した町工場や商店は納得いくまい。今の東電には、食べ放題ではなく質素な昼定食が似合う。身を削る努力を求めたい


▼なお、月50万円減らした国会議員の歳費が、10月から元の129万円に戻りそうだ。こちらのお手盛りは血税の米びつからとなる。臨時国会を4日で閉じての満額復帰、これで東電に大なたを振るえようか


▼「原発ゼロ」に言及した前経産相が辞め、業界がほっとしたのもつかの間、後任の枝野幸男氏は電気料金の仕組みに切り込む考えと聞く。利用者の怒りの声に、どうか大きな耳を傾けてほしい。放射能、停電、節電ときて大幅値上げでは、公益の名が廃る。


  

最近の定番、東京電力批判だが、腹立ちをとおりこしてあきれてしまった。

 

いったい、朝日新聞は東電の従業員を何者だと思っているのだろう。特別に守られた独占企業でぬくぬくと利権にあずかっている不貞の輩だとでも言いたいのだろうか?

 

東電社員の大部分は、朝日新聞が(多分)利益代表だと思っている市民、庶民、生活者であり、電力の安定供給という使命を大切に思ってこつこつと日々の仕事(電柱や鉄塔に上って配線したり、交代勤務で発電所やダムの運用・運転をしたり、時々刻々と変わる電気の使用量にあわせて電力系統を調節したり)をしている人たちだ。

 

その彼らが、震災・福島発電所の事故を境に、大混乱に引きずり込まれてしまった。朝日新聞は彼らに震災や、それによって引き起こされた福島発電所事故の責任があると言いたいのだろうか?

 

彼らも震災で大きな環境変化の犠牲になっている。

震災で直接肉親や家を失った方々と比べればその混乱・変化はまだ小さいのかもしれない。

しかし、これまで関連する仕事に従事したことがなく、福島へ行ったこともない人でも、否応なく転勤して、被災者の対応に当たっている。それはたまたま東電の社員だったからということであって、たまたま福島の原発周辺に住んでいたことから福島からの避難を余儀なくされた方々と大きな違いはない(もちろん、どちらも本当に「たまたま」ではなく、自ら選んだ部分はあるのだが、全ての情報を知った上で職業や住む場所を選べるわけではないのは我々に共通だと思う)


 

そういう人たちの生活を守ろうとするのは企業経営者として当然の責務である。電気事業の総括原価制度に対する議論であれば、コラムで中途半端な感情論を刺激するような子供っぽいやりかたでなく、論段などで立場を明確にして論じるべきだろう。

  

 

しかも、いつものことだが、マスコミは人の稼ぎは批判しても自分たちの給与水準については決して論評しない。自分たちは世の中にとって重要な仕事をしているのだからもらって当然だと思っているのだろうか?
もしそうなら、電力の供給も世の中にとって重要な仕事ではないのか?

 

全ての企業は、世の中の役に立つ仕事をしているからこそ存続を許されている。

その中で、収益をどのように再投資や配当、サービス向上、また従業員のモチベーションをより高く保つための、給与・福利厚生施策などにどう配分するかは経営方針の問題であり、この天声人語でも触れられている議員歳費とは全く性格が異なる。

地域独占だから民間には任せられないというのなら、国が接収して国営事業にすればいいのだ。民間の力を活用するのなら、経営の主体性は守られなければ意味がない。


 

ただでさえ震災と円高不況で消費が落ち込み、デフレスパイラルが懸念されている。マスコミの給与を下げよとは言わないが、マスコミが他社の給与水準についてしたり顔で「下げるべきだ」と言うのはいかがなものだろうか。

 

 

天下の朝日の、それも「天声人語」。影響力が大きいことを自覚して、もう少し責任感を持って書いてほしいものだと思う。