大学中退 その後
 Aくん(2浪) 私立歯科大1回生の師走時に中退。両親、私、個別に膝詰めで話す。理由、「何となく未来像が描けない」。国公立❌、歯科大(定員割れ。歯科大は大抵、定員割れ)がやむを得ずの進路だったのが主因。体調不良が続いている。自分への不満が自分を処罰しているかの様に私(勿論、偏見も含む)には見える。両親と離れアパート住まい。フリーターに。送信📤しても、返信が少ない。次へのシフト、数年先。

 Bさん(現役) 私立文系法学部。附属高校からのエスカレーターに乗り、直ぐ降りた。成功例。此処は中学も2年前、廃校。内田樹の話を(著名な知識人)エッセイを引用してクラスメイトに言うと「良いお友達ヤン。レポート頼めるし」との応答。レポートはネット、授業は200人教室、半分以上の方が附属高校から無試験。センター英語60点だった(200点満点、平均は凡そ120)と自慢する方、仕送りが30万円と誇示する者への馬鹿馬鹿しさに辟易(へきえき)。2カ月で中退。茨木市に戻って浪人、英語と小論文2科目、秋田にある国際教養大学(国公立)に絞って🈴。現在、ポーランド🇵🇱ヤギエオ大に留学中。

Cさん 学校から「此処なら受かる」と言われ学部の中身も見ず、仏教系社会福祉学部へ進学。入学時、クラスに10数名しか居ないことに危惧。通学時の畑に「◯◯大生へ、田畑に缶を投げるな」と立て看板が並んでいる。クラスの多くが、高校の先生に「良かったな、此処なら行けるで」と言われて来たとの由。進学率上昇の道具か(私には、そう見える。偏見?)。英語の授業で辞書(電子辞書を含む)を持ってくる者は数名。福祉って何すんのが挨拶。GW明けに数名抜けて、先生方が漸く授業に遅れず来る様になった。Cさんは夏休みに中退(後期授業料の期限が9月ゆえ)、大阪教育大夜間に社会人試験で入学(人生、いろいろ)🈴。小学校教員として生き残っている🏫