代々木ゼミナール
 半端なく勢いがあった(過去形)。駿台・河合塾と頭文字を併せSKYと呼称、東進ハイスクールが割って入ろうとして、代ゼミ大阪校斜め向かいに新校舎を建てるなど、群雄割拠が10年も続いた。プロ野球さながらに引き抜き合戦もあった。私もヒューマンキャンパスと言う難波の予備校から代ゼミに招聘(しょうへい)を受け、広島・岡山校にも遠征。神戸・大阪校、ピークは九州にも講演に出かけ第2次ベビーブームの🌊に乗った。偶然、生き残っている友人は3人ほどだ。

 夏期講習の申し込みがGW明けにあるのだが、一瞬で締め切る。1校舎3000人、代ゼミ全体で予備校生7万人と都市1個分の人口規模を誇っていた。東京、代々木本校には模試を返却するだけの校舎があって、驚いた記憶がある。門前町さながらに、予備校生向けのラーメン屋、カツ丼屋、イタメシが急増、本を読む者も多く、古本屋に若い世代が出入りしていた(京都は依然、その名残りがある⭕️)。

 十三駅横の河原で200人集めて花火大会をする先生、オリジナルワッペンを作って漢文読み下しの褒美にする先生(私)、🧑‍🦲ハゲネタで哀愁を誘ったあと語呂合わせを皆で唱える日本史友人など梁山泊(りょうざんぱく=多士済々、有能な人が多い様子)の様相を呈していた。一部の私大が規模拡大に走り、無試験と粗製濫造を打ち出し、終焉(しゅうえん)を迎える。勉強を求めない大学にローン付きで入学する学生と5科目✏️やったろかとの学生比率、今、7:3。私はその3割を熱烈、苛烈、猛烈に応援している。