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写真は昨日のローランチ。
春野菜の3種のサラダとガスパチョ風スープ、
右上にちょこっと映っているのがいつもの海苔まき


ご飯替わりの切干しダイコンと生のダイコンのあえもの

あとでフルーツバーのデザートが付きました。

このところロー教室的なことが多いので
メニューがリッチです。お得です。
(私は海苔まきがぜんぜん食べられなかったです。
それでも大満腹)


HPはほっぽらかしなので、気になっていますが、
昨日は久しぶりの教室ということで、
けっこう片づけをしたり、スィーツの準備をしたり・・・あせあせ(飛び散る汗)


このところパソコン内のファイルやお気に入りの
整理をしたり、本の整理をしたり・・・

実家へ行くと母親のものの本格的な整理が待っている。

さらに遺産相続のための戸籍謄本集め(結構何度も転籍している)

まぁとにかく4月までは病院通いで忙しかったのですが
終わってみると、今度は整理ということがどっと待ってます。

というか、今年になってどんどん自分の中の浄化が進み、
何だかいつも「片付けたい」衝動がおきてきて
いろいろなところやモノをかたしています。

それですっきりするのかというと、引っ越し以来
ブラックボックス化していることろも随分あって
とにかく整理、断捨離をスルハメになってしまうのです。

さすがに電化製品は壊れなくなりましたがが
(エネルギーが変わった一昨年はひどかった)
とにかく頭の中も、周囲もすっきりさせないと
前へ進めない感じが強いのですね。

ともあれ、現在パソコンのお気に入りを大胆に
リニューアル中。



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母が亡くなってほぼ2週間。

そして今日は、2年前に小田原を離れた日でもあります。

母がいないという現実は、付き添っていたここ3年、
母娘の間に、以前のとげとげしい感情が失せて、
やさしさと慈愛に満ちた感覚の中で過ごしただけに
何ともいえないぽっかり感がまだうごめいています。

でもほんとうに「もしかしたら私は死ぬまで、母のことを
うらみ、憎みなどを抱いているのかもしれない・・・・」という
恐怖感から、みごとに解放されて、本当によかったと思っています。

よかったと言えば、母は実にタイミングよくあちらの世界へ
旅立ちました。

ガンなどで体力を使い果たして、まったく面貌がかわってしまう
ようなこともなく、ふっくらとした顔のまま、
最後もほんの少し苦しそうにしたそうですが、
最後の1週間は、ほとんど眠ったままで、痛みを訴えていた
箇所をさわってもまったく痛がらず、
あちらへいく準備を心行くまでして、
おそらく何の未練も私や父に対する執着も捨てられて、
たぶん、恐れも不安もなく本当にするりとあちらの世界へと
逝ってしまったのだと、心からそう思えます。

さらに告別式も、家族葬ということで小さな規模で
お願いしていたのですが、式場の好意で、
中ホール(50人は入れそうな)で、それに合わせた
一段上の立派な祭壇を料金は小さなもののままで
しつらえていただき、真ん中の豪華なお花まで
サービスをしていただきました。

さらに告別式が連休に入っていたため、
一番かわいがっていた従妹、従弟の兄弟や
姪までが急きょかけつけてくれ、参列者は8名、
何とも想定外の人数となり、父はひどく喜んでいました。
式を執り行う導師が父の甥、私の従兄ということで
私は久々の再会をして、いかに父方の血を強くひいているかも
わかったりというおまけもありましたが・・・

さらに通夜は豪雨(涙雨)、
式当日は盛大な晴れと、
「お母さん、仕組んだね!」くらいの
母らしさ満開でむかっ(怒り)

もともと私は、肉親の死に目に立ち会ったのは
母の母(祖母ね)くらいで、それも高校生だったから
何が何だか覚えていないのです。

それが、今回、家族葬ということで、内輪の式を
取り仕切り、それでも肉親を送るという作業が
いかに大変で、なおかつ心の持ちようが難しいか?
やっとわかった気がします。

本当に人間は大切な人を亡くしてみないと
人生のなんたるかの大きな仕上げができないのだと
思いました。

大切な人が死んでみて初めて分かる
「この世とあの世の感覚」

スピリチャルを教えながら、そこのところを
深く理解しているつもりが、うわすべりな状態だったと
今つくづくわかります。

「生きること」「死ぬこと」
こんな単純なことも体験を通してしか
内奥に受け止めることができないのだ・・・

新鮮な感覚で受け止めています。

それにしても「死後の事務整理」って
本当に大変ですね。

今度のことで、主人と互いに終活をきちんとしておこうね
と話あっています。

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母の容体については、こんな情報を最近知って
なるほど、近いとは思っていました。


http://www.geocities.jp/yccfh851/newpage22..html

昨日、もうそろそろお休みの準備をと思っていた10時過ぎ
母の入院している病院から「今から来られませんか?」

夫はアルコールが入っているし、でタクシーを呼んで
大急ぎで病院へ。

病室に入ると、心電図のモニターが0を示して、
アラームが鳴っていました。

10分ほど間に合わなかったようです。

それでも体をさすり、泣きながら
「愛してるよ、ありがとう! お母さんの娘でよかったよ!」と
言うことはできました。

その後、葬儀社へ連絡し、夜遅くまでかかり
母を整えてもらったり、打ち合わせをしたり・・・
実家へ戻ったのは明け方でした。

母と父は自分たちの葬儀後はすぐに焼き場へ行って
納骨も同時にしてほしいという希望だったので
それを希望したらあさっては焼き場が混んでいるとのこと。

それで今日は1日あけて、明日通夜、あさって告別式と
なりました。

といっても歳が歳だけに、友人たちも先立っていたり、
親族も呼べる範囲では2~3人しかおらず、
いわゆる数人だけの家族葬となります。

ただし四天王寺からお呼びする和尚さんは、私にとって従兄、
父の甥になります。

なので今日は支度のためもあり、戻ってきてこれを書いています。

数年にもわたる闘病生活。
最後の2年はほとんど寝たきりで寝返りも打てない、
ここ1年ほどは車いすにも乗れなくなり、
食事もまるでままならず・・・

同じ症状で私だったらもっと違う生活を送ったかもとは
思いますが、ほんとうに母なりによく頑張ってくれて、
母と娘の時間も(願ったほどではないけれど)与えてくれました。

何よりも母親との長い確執が溶けて、
私も母も楽になっていったことを感謝する今日この頃です。

2年前くらいでしたら、
「愛してるよ、ありがとう! お母さんの娘でよかったよ!」
なんて口が裂けても言えなかったでしょう。

ずいぶん親もんだいには泣かされてきましたが、
なぜこんな親を選んだか、までを理解した時、
すべてが解ってきたのです。

それにしても実親を見送るというのはさびしいものですね。

今ぽっかりと心の中に空洞ができたようで、
悲しいとか、ではない言いようのない気持ちの中にいます。

それでもこんな輝くような新緑の季節のなかが
命日となったのは、花と緑を愛した母らしくて
よかったと自分に言い聞かせています。