「お母さんへ、
突然の手紙には驚いたけど嬉しかったです。
これから此処で過ごす僕の毎日の大切な心のよりどころになります。ありがとう。
デンバーに来てもう3か月経ちましたが、今更よく遊んだ淀川河川敷が恋しいという事が自分でもおかしいです。
この3ヶ月の間あちらこちらを廻り、アメリカで経験した感動をお母さん伝えたいと思った事が沢山ありました。
朝焼けに光る山々。山頂に残る白い雪。
草原のバッファローのシルエット。
そして何よりアメリカ人のやさしさ。
色々な人種の人達が混ざって暮らしている姿を見ると神様について ヒトについて考えてしまいます。
やはり僕たちの国は残念だけれど何か大切な処で道を間違えたようですね。
僕はやはりアメリカに来てよかったと思っています。
辛くないと言えば嘘になるけど幸せです。
ロッキー山脈の白い雪、そしてそれを支える紺碧の空。
そんな場所で僕は常に風に向かって立てる人間でありたいです。
くれぐれも皆さんによろしく伝えて下さい
最後になりましたがお父さんとお母さんの健康を心から遠くからいつも祈っています。
また会える日を楽しみにしています。
さようなら」
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これ、私が16歳の時単身アメリカに来て3か月後位に母親へ書いた手紙の内容。
思い出しながら書いたので少し違ってるかも知れませんが、大体こんな感じでした。
当時、日本と連絡する手段は国際電話か手紙しかありませんでした。
国際電話はメチャクチャ高かったのでメインの連絡手段はやっぱり手紙でしたね。
あの淵が赤青の国際郵便封筒を使ってね。
でも当時16歳だった私。
全く親に連絡しなかったんです。
親元を離れ「晴れて」自由になった16歳。
もうその行動が想像できますよね。
親の気持ちなど考えずに自由を楽しんでた。
で、やっぱり父親に怒られた。
「連絡を待ってるお母さんの気持ちを考えろ!」ってね。
じゃあ面倒臭いけど手紙でも書くかと思って書いたのが
上の手紙。
書く内容を考えるのも面倒くさくて、さだまさしさんの「風に立つライオン」の歌詞をベースに書いた。
そしてそれをあの国際郵便封筒に入れて日本へ発送。
約一週間後........
ホストマザーが「Phone! Your dad!」と言って電話を渡して来た。
英語を話せない親父が電話をしてくるなんて何事かと思った私。
ドキドキしながら電話に出た。
そして一言目が「お前なんであんな手紙送るねん? お母さんずっと泣きっぱなしやぞ。どうすんねんこれ?」って..........
どうやら母親は「風に立つライオン」を知らなかったらしい。
書いた手紙の内容について正直に話したら親父にメチャ怒られた。
あれから約35年。
ふと思い出したこの件。
母親はまだこの事実を知らない。
真実を伝えた方が良いのだろうか?
それともこのまま墓場まで持って行くべきか......笑
なんか怖い......
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