開かれた環 | OFF-TIME

開かれた環

何週間前でしたか、NHKの番組で、「オノ・ヨーコ 平和の鐘展」という展示会のことを知りました。


オノ・ヨーコといえば、ジョン・レノンと結婚した人だとか、平和運動家だとか、前衛作家だとか、いろんな側面を持った凄い人です。


近年では、アメリカでも、カナダでも、韓国でも、いままで展示会が開かれるたび、話題は騒然。

イデオロギー問題を持ち出す者が白眼視されるほど、彼女は傑出したアーティストとして注目されています。


私はここで、オノ・ヨーコを推奨する気もありませんし、批判するつもりもありません。


オノ・ヨーコ「平和の鐘展」の「形式」を面白く感じましたので、その点を紹介させてもらいたいだけです。


展示場の一区画には、訪れた人たちが願い事を書いて飾るようなオブジェがあります。

まるで神社のご神木に、おみくじを結ぶような、そんな感じのオブジェなのです。


参観者が増え、銘々がオブジェに関わりをもてば、オブジェは姿を変えていきます。

作者は、オノ・ヨーコのようでもありますが、参観者でもあるのです。


テレビは、もうひとつ、オノ・ヨーコ展の別のコーナーを紹介していました。


そのコーナーでは、壊れたコーヒーカップなどを参観者が自由に再生し、展示するのです。


オノ・ヨーコは、参観者を「仲間」にしようとしているのです。「共同」とか「共生」といった言葉を使ってもいいと思うのですが、とにかく私は、この展示会は「開かれた環」だと直感しました。


参観者は、その場で急に作者になるのです。

この「開かれた環」の展示会は、オノ・ヨーコさえ想像しなかった変容を遂げるはずです。


こんな「開かれた環」に対し、世間には、「閉ざされた環」がいたるところにあるように思います。


「環」が完全に「閉ざされた」状態であれば、いろんな意味での「混乱」は生じないでしょう。

でも、「閉ざされた環」は、発展が期待できません。


われわれは、知らぬ間に、「閉ざされた環」をいっぱい作ってきたのではないでしょうか?

経済の低迷、成果主義、自己責任、説明責任……、あれよあれよという間に、さまざまな難題を突きつけられ、だんだん「環」を閉ざしてしまったのではないでしょうか?


閉塞感が漂う今の世の中を打破するためには、いろいろなレベルでの「開かれた環」づくりが必要だと思います。


「環」を開くためには、オノ・ヨーコがそうであるように、人を根底から信じることが必要だと思います。

人は自分以上の存在だ、と敬愛する必要があります。


隣の人間に声をかけなくては、何もはじまりません。

自分から「開かれた環」を提示しなければ、何も変化しません。


子育てに関しても、大人の「開かれた環」づくりの努力がきっと、素晴らしい結果をもたらすと思いますが、皆さんはどのようにお考えでしょうか?