6歳の孫
ペリーが浦賀に姿を見せる数年前のことです。
嘉永2年(西暦1849年)、土佐は台風に襲われます。
とりわけ、仁淀川流域に被害が多かったようです。
当時、春野の西分村の庄屋だった辻儀之助は、「洪水記」という記録を書き残しました。
家や大木が倒れた。堤防は決壊する。洪水は広範囲に及んだ。流木を拾おうとした男が溺死した……。
何とか生き延びた村人には、次の試練が待ち受けていました。
年貢納入です。
「洪水記」は、庄屋の立場で書かれた、後代のための参考用の記録です。
この公的な記録の中に、庄屋・儀之助と、6歳になる孫の会話内容が出てきます。
現代語に直し、紹介しましょう。
6歳の孫が、祖父・儀之助に尋ねました。
「きのう、うちの庭に水が来たとき、おじいさんは、おもしろかったですか?」
儀之助は答えました。
「わしは、『エンコウ』が出てくるのではないかと思い、すごく怖かった。」
この場合の「エンコウ」は、水中に潜んでる「お化け」のことでしょう。「お化け」が出てきそうで、洪水が怖かった、という祖父に対し、6歳の孫は、こう言いました。
「わたしは、エビか、ゴリが出てきそうで、たいへんおもしろかったです。」
「洪水記」という史料に出てくる会話は、これだけです。
公的な記録に、なぜ身内の会話が挿入されたのでしょうか?
以下は、私の想像です。
庄屋・儀之助は、身びいきで孫のことを書いたのではない、と思います。わが村には、甚大な被害をもたらした台風の時、6歳の子どもでさえ、健気に困難を乗り切った事実があった、と後代に伝えたかったのではないでしょうか?
「児戯」という言葉があります。無心に時を過ごす子どもの遊び、というのが原義です。
儀之助の6歳の孫は、庭一面の水と無心に遊んでいたのではないでしょうか?
その現場を見た大人もいたはずです。
しかし、危険だと思っても、引き留めはしなかったのでしょう。
なぜなら、当時の大人は、小さい頃から、もっと大きな危険を体験していたからです。
当時の6歳は、今の幼稚園の年中さんでしょうか?
年長さんでしょうか? あるいは、小学校の1年生に相当するのでしょうか?
6歳の孫は、台風のあと、無心に魚の姿を追い求めていました。この「たくましさ」、「むじゃきさ」、「けなげさ」はどこからくるのでしょう?
私は、この「洪水記」に挿入された祖父と孫の会話から、何かを学び取りたいと思っているのですが……