少し前に美術の授業研究会に参加した。
そこではガクシューシドーヨーリョーの改定を見越した内容の授業が行われていた。
センスのいい主事と先生が組んでいたので、いろんな要素が含まれていて、「なるほど」と思えることがジワジワと後で来る授業だった。
授業後に改定の要旨について主事から説明があったが、ようするに、『美術を通した人間教育』の度合いが強まる、作品に点をつけるのではなく制作への取り組みに点数をつける、と解釈した。
つまり、技能的に未熟でも一生懸命取り組んでいれば、適当に取り組んでそれなりに上手い子より評価は高い、ということだ。
専門性より人間性なのだ。
(これは部活サッカーにも通じる部分がある。っていうか学校ってやっぱりそういう場所だよね。クラブサッカーはどうかなぁ。)
しかも、美術という、自己の内面に迫る側面の強い教科で、仲間とのコミュニケーション能力を育てろという。
コミュニケーションの分野は『情報教育』を中心にてこ入れされてきたが、コミュニケーションツールを活用するための研究がなされてきたのに、技能教科にその使命を含ませるんだから相当なもんだ。
『人を育てる美術』は、自分自身のテーマとして取り組んできたので賛成したいところだが、自分のように異端な奴がやるならわかるけど、体制がみんなでそっちを向くとなると、うーん、個性を育てる場所がますます減っちゃうなぁ。
『人を育てる』と言えば聞こえはいいが、結局、学校で『人として』育てなければならないくらい、家庭の教育力が落ちていることを、モンブカガクショーが認めたのだろう。
サッカー百年構想のように、トップのレベルを押し上げるためにグラスルーツの育成にも手を入れ始めたという、みんなで肩を並べて同じ方向を見つめる取り組みならいいが、どっちかっつーと、中央を見るために輪になったのはいいけど、その分広がりがないって感じだ。
なんだかんだ言って、最後はそういったモロモロの事情に押しつぶされない『強い個』がある人が、アーティストやプレーヤーやなんやで大成していくのだろう。
反発・反抗などというオコチャマなことではなく、正しい批判力を持った反骨精神をつけるために、ジュニアやジュニアユース年代は、やっぱり基本を大切にしてほしいと思う。