「時」は不思議なもの。
経つのが早く感じるとき、遅く感じるときがある。
時間の流れは本当は全く変わっていないのに…
この11日でアメリカ同時多発テロ事件から10年が経つ。当時、たまたまテレビを観ていた私は目の前の画面を現実のものと受け止めるまでに時間がかかった。刻一刻と状況が変わっていく中、テレビの画面をただただ観ていることしか出来なかった。たとえ、そんな無力な自分。その場にいたとしても成す術は誰にもなかったのだろうが。
テロは悲しみがまた新たな悲しみや憎しみを生む。テロが起こる原因は何だろう?何が彼らをそこまで非情な行動に移させるのだろう?例えどんな理由であれ、あってはならないこと。グラウンド・ゼロは10年経とうが20年経とうがそこで起きたことの記憶(記録)は消えない。それに、決して忘れてはいけない。
身体のキズや痛みは時間が経てば消える。でも心のキズは薄れても消えることはない。10年経っても残された遺族の心の叫びを考えると、心が痛む。ドキュメンタリー映像を観ていると、何とか頑張って現実を受け止めて前向きに生きないといけない!と強く立ち上がる人、受け止めることが出来ずに、ただただ「なぜ…」と打ちひしがれる人の取材をしていた。表向きは全く反対の行動に見えるけれど、心の内には亡くなった方々への強い愛情があって、それはみんな同じなのだと感じる。
今まで当たり前にしてきたことが一瞬で消えてしまう怖さは私も数年前に自ら経験した。親の顔を見た瞬間、親が私の顔を見た瞬間…お互いが『生きていてよかった』と心から強く思った。本当に多くの偶然や奇跡が重なって、今こうして私はここにいる。
当前のように来る明日。これはどこにも確証なんてないのに…明日が来ると思って先延ばしにすることってないだろうか? 決して、仕事を明日に回さず今日やり遂げろ…とかそういう問題ではなく、対「人」として。
日本語はとても優しく柔らかく、そして人を労わる表現がとても多い言葉だと思う。その日本語を大切にして、常に気持ちを相手に伝えることが、いかなる時も大切なのだと思う。「何も言わなくてもわかるだろう」そんな空気のような存在だとしても。
「ありがとう」「ごめんね」「だいじょうぶ?」
たった5文字程度の言葉だけど、深く大きく、そして愛が詰まっている言葉だと思う。「男がそんなこと言うもんじゃない!背中で語るんだ!」と言う人も多い。それが悪いとは思わないけれど、でも相手はそれを言ってくれることを待っているかもしれない。そっとかけてくれる言葉で心救われたことが誰にでも経験したことがあるのではないだろうか。
多くの言葉を語らずとも、たった一言に込められた思いが人の心を救うこともある。そして、言った人の心も幸せで満たされる。
言葉は時には人を傷つけることもあるけれど、それをフォローしてまた優しくできるのもまた言葉だから、気持ちをいっぱいいっぱい伝えていきたい。
私自身、口下手であまり思いも言わないし言えないことも多いけれど、時々「もっと気持ちを伝えておけばよかった」と思うことがある。それが相手に伝えたくても伝えられなくなった時、後悔してしまう。いくら枕元で「ありがとう」と何度も言っても、固く閉ざされた瞳と口は二度と開くことがない人からは、握った手を握り返してくれることもないのだから…
最後だとわかっていたなら: ノーマ コーネット マレック
経つのが早く感じるとき、遅く感じるときがある。
時間の流れは本当は全く変わっていないのに…
この11日でアメリカ同時多発テロ事件から10年が経つ。当時、たまたまテレビを観ていた私は目の前の画面を現実のものと受け止めるまでに時間がかかった。刻一刻と状況が変わっていく中、テレビの画面をただただ観ていることしか出来なかった。たとえ、そんな無力な自分。その場にいたとしても成す術は誰にもなかったのだろうが。
テロは悲しみがまた新たな悲しみや憎しみを生む。テロが起こる原因は何だろう?何が彼らをそこまで非情な行動に移させるのだろう?例えどんな理由であれ、あってはならないこと。グラウンド・ゼロは10年経とうが20年経とうがそこで起きたことの記憶(記録)は消えない。それに、決して忘れてはいけない。
身体のキズや痛みは時間が経てば消える。でも心のキズは薄れても消えることはない。10年経っても残された遺族の心の叫びを考えると、心が痛む。ドキュメンタリー映像を観ていると、何とか頑張って現実を受け止めて前向きに生きないといけない!と強く立ち上がる人、受け止めることが出来ずに、ただただ「なぜ…」と打ちひしがれる人の取材をしていた。表向きは全く反対の行動に見えるけれど、心の内には亡くなった方々への強い愛情があって、それはみんな同じなのだと感じる。
今まで当たり前にしてきたことが一瞬で消えてしまう怖さは私も数年前に自ら経験した。親の顔を見た瞬間、親が私の顔を見た瞬間…お互いが『生きていてよかった』と心から強く思った。本当に多くの偶然や奇跡が重なって、今こうして私はここにいる。
当前のように来る明日。これはどこにも確証なんてないのに…明日が来ると思って先延ばしにすることってないだろうか? 決して、仕事を明日に回さず今日やり遂げろ…とかそういう問題ではなく、対「人」として。
日本語はとても優しく柔らかく、そして人を労わる表現がとても多い言葉だと思う。その日本語を大切にして、常に気持ちを相手に伝えることが、いかなる時も大切なのだと思う。「何も言わなくてもわかるだろう」そんな空気のような存在だとしても。
「ありがとう」「ごめんね」「だいじょうぶ?」
たった5文字程度の言葉だけど、深く大きく、そして愛が詰まっている言葉だと思う。「男がそんなこと言うもんじゃない!背中で語るんだ!」と言う人も多い。それが悪いとは思わないけれど、でも相手はそれを言ってくれることを待っているかもしれない。そっとかけてくれる言葉で心救われたことが誰にでも経験したことがあるのではないだろうか。
多くの言葉を語らずとも、たった一言に込められた思いが人の心を救うこともある。そして、言った人の心も幸せで満たされる。
言葉は時には人を傷つけることもあるけれど、それをフォローしてまた優しくできるのもまた言葉だから、気持ちをいっぱいいっぱい伝えていきたい。
私自身、口下手であまり思いも言わないし言えないことも多いけれど、時々「もっと気持ちを伝えておけばよかった」と思うことがある。それが相手に伝えたくても伝えられなくなった時、後悔してしまう。いくら枕元で「ありがとう」と何度も言っても、固く閉ざされた瞳と口は二度と開くことがない人からは、握った手を握り返してくれることもないのだから…
最後だとわかっていたなら: ノーマ コーネット マレック