こんにちは、粟津サヤカですコーヒー
京都を旅するコミュニティツアーのガイドをしています。
 
眺めているだけでワクワクしていた
とあるレトロ建築の解体がきっかけで、
レトロ建築がさらされているどうしようもない現実を知り、
ならばせめてその姿を記録にとどめようと
ブログを書いています。

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7月になりました。

祇園祭の7月です。

 

梅雨が明けるか、明けないか。

そんな本当に微妙な頃に行われる山鉾巡行(先祭)。

年によって、人によってイメージが異なるのが

山鉾の背景にに広がる空の色。

私はやっぱり、晴れた空のイメージかなあ。

 

年々、梅雨明けが早くなっている気がする昨今。

今年はどちらが先になるのでしょう。

 

さて、今回記録するレトロは、

以前に記録した旧西陣織物館(現:京都市考古資料館)

普段は一般公開されていない貴賓室

一般公開がありました(2022年秋)ので

その貴賓室を記録したいと思います。

 

こちらが旧西陣織物館、

現在は京都市考古資料館になっています。

場所は上京区今出川大宮。

今出川大宮のバス停の目の前です。

 

上の写真は2018年冬に撮影したもの。

外観と2階までの内部、

建物のプロフィールについては

以前の記録をご覧ください。

 

 

書いたの5年以上も前になるのか。

絶え絶えながら続いているなあ、

このブログびっくり

 

内部は昭和51(1976)年から

京都市考古資料館の展示室として使用されるため

補強、改修が行われ

竣工当時(大正3(1914))の意匠は

失われています。

 

「貴賓室、見たいぜー」

そんな思いで撮った5年前の3階への階段。

あの赤いリボンが取り払われ、

その階段を堂々と登る日がやってきたのであります。

 

扉はいつか開く――

鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス

 

見えてきました旧貴賓室。

設計を手がけた本野精吾お得意の

幾何学模様見えてきました。

 

本野精吾といえば、

京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)の

教授をつとめるなど

京都にゆかりのある建築家。

日本のモダニズム建築をリードした

京都レトロの重要人物です。

 

モダニズムテイストが随所に。

 

大正から昭和にかけて

日本で大流行するモダニズム建築。

明治42年から3年間ドイツへ留学した本野、

ヨーロッパでその手法を学び

帰国後最初に手掛けたのが

この旧西陣織物館なのです。

 

一方で西陣といえば

古代律令制からの伝統を受け継ぐ

ともいわれる伝統産業。

その展示・販売施設に

当時最先端のヨーロッパのモダニズムを取り入れるとは…

当時の西陣の勢いと敏感な流行感覚、

美意識の高さを見せつけられるようです。

 

室内の印象を決定づけている

西陣織のクロス。

 

西陣織に使われている紋様は

日本古来の「元祖・意匠」。

人の手から手へ、

受け継がれ、磨かれてきた

日本のセンスの粋が凝縮されていて

どれをとっても

海外に引けを取りません。

 

現代になって人々が着物を着る機会も減り、

生産拠点を郊外へ移す事業者の流れも今は昔。

斜陽産業といわれて久しくなり、

西陣一帯は以前ほど

力織機(機械織り)のガシャンガシャンという音も

聞こえなくなりましたが、

 

それでも着物雑誌などを見ていると

日本一の織物産地として

今でも多くの愛好者から

熱い視線を注がれています。

 

それは他ならぬ、

伝統産業の中に今も確かに息づく

進取気鋭の美意識を感じ取り

その背筋の伸びるようなカッコよさに

惹かれるからではないでしょうか。

 

今回は旧西陣織物館の旧貴賓室を

記録しました。

 

近代化は京都の街並みに

大きな影響を与えました。

それにより、京都の美しい風景が

失われると心配する声もありました。

その心配が的中して

失われてしまった風景があることも

否定はできませんが、

形を変えて受け継がれ、

さらに後の時代の人の心を打つ存在と

なったものもある。

 

そういう存在の中に、

京都が京都であるための

核心のようなものがあるのかもしれない。

そんなふうに思えた

今回の記録となりました。

 

それでは、

次はどこを記録しようかな~ランニング

 

旧西陣織物館についての

以前の記録はこちらです。

ぜひ、ご覧ください。

 

 

今回の記録は下記を参考に作成しました。

  • 「京都の洋館」 石川祐一 光村推古書院 平成28年
  • 2022年京都モダン建築祭 会場配布「西陣織物館について 建築家 本野精吾」