こんにちは、粟津サヤカですコーヒー
京都を旅するコミュニティツアーのガイドをしています。
 
眺めているだけでワクワクしていた
とあるレトロ建築の解体がきっかけで、
レトロ建築がさらされているどうしようもない現実を知り、
ならばせめてその姿を記録にとどめようと
ブログを書いています。

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今回は前回と同じく、

学校レトロを記録します。

 

学校レトロのなかでも

個人的に大、大、大好きなのが

ミッション系女子校レトロ!

 

ミッション系女子校の学生さんって

とってもステキに見えませんか?

 

ステンドグラス、

讃美歌、

ろうそく、

マリアさま、

ひたむきに祈る乙女たち・・・

 

わたくし粟津は

ゴリゴリと公立の共学校へ通っていた

信仰心うすめの仏教徒ですので

その絵になる美しい姿に

とっても憧れているのです。

 

さて、今回記録するレトロは

以前にも関連レトロを記録した

平安女学院(昭和館外観のみ)。

昨年(2022)一般公開された

平安女学院明治館を記録したいと思います。

 

場所は京都御苑の西どなり、

京都御苑の南西付近にある下立売御門から

すぐのところにあります。

 

京都御苑の西に沿う烏丸通りからは

聖アグネス教会のレンガの外観が目じるし。

聖アグネス教会は以前こちらで記録しました。

平安女学院と同じルーツの教会です。

(各リンクは記事の最後にもございます)

 

 

その聖アグネス教会と隣接しているのが平安女学院。

平安女学院の昭和館については

以前こちらで記録しました。

 

 
昭和館と異なり、
明治館は公道に面していないため、
敷地の外からはちらりとしか見ることができません。
(東隣の菅原院天満宮から横顔がちらりと見えます)
今回の一般公開は私にとって
待ちに待ったものだったわけです。

 

明治館の竣工は明治28年。

大阪の川口居留地で宣教師エレン・エディが設立した

エディの学校、のちの照暗女学校(St.AGNES’ SCHOOL)が

前年の明治27年にこの地に移転、

平安女学院となったとき建てられたものです。

 

穏やかで堂々とした母のような包容力!

ダッチ・ゲーブルと呼ばれる

正面の妻部分の反転曲線が

その雰囲気を印象付けています。

 

黒ずんだ古いレンガが

明治レンガ建築の歴史を思わせます。

ところどころ修復され新しいレンガなのも

学校の財産として大切にされている証拠です。

 

阪神淡路大震災(1995・平成7)で

破損したときは取り壊しも検討されたとか。

 

私もあの時の揺れを経験しましたが

あれ以来現在に至るまで

レトロにとって耐震は必須対策となりました。

 

玄関上部に刻まれた、

竣工年の「18」「95」

明治廿八年の併記に

篆刻文字で右から読んで「院学女安平」。

学校名でもあるSt.AGNES(聖アグネス)は

紀元304年頃殉教し聖人となった女性の名前なんだそうですよ。

 

設計はアレックス.N.ハンセル。

19世紀後半にイギリスで流行した

クイーンアン・リバイバル様式の

日本での最初期の代表的な建造物といわれ、

平安女学院明治館は

国の登録有形文化財に指定されています。

 

ハンセルの残した建築としては他に

神戸の異人館「旧ハッサム住宅」(明治35、国重要文化財)や

この京都でもすぐ近く、

京都御苑の北側に位置する

同志社大学のハリス理化学館(明治23)が知られています。

 

 
平安女学院といえば有名なのが、
日本ではじめて1920(大正9)年に
セーラー服を制服に取り入れたという歴史。
1階に展示されていました。
 
セーラー服、かわいいですよね。
しかもワンピース、長め丈だラブラブ
セーラー服の女学生が御所の近くを歩く姿って
当時は目を引いたでしょうね。
今は確か・・・、ブレザースタイルだったっけ・・・?

 

内部も明るくてとてもきれいにされています。

重厚な手すりや親柱が歴史を感じますね。

 

竣工以来、様々な用途に使われた明治館。

改造も加えられたため

竣工当時の姿そのままではないそうです。

 

同じハンセルが設計した

5つ年上のお兄さんレトロ、

同志社大学ハリス理化学館が

国の重要文化財であることを考えると・・・

 

改造が原因で文化財に指定されない

ということもよく聞きますし

改造はなんとも惜しい気がしますが、

 

使われてこそレトロ、

使った人の記憶があってこそ

レトロは愛され、特別な存在たりうるのです。

 

逆に、

重文指定なんてされてしまったら、

自由に使うこともできなくなるかもしれませんし

生徒さんたちの思い出の中に

安全に、使いやすく、

そっと寄り添う存在であり続けてほしいなと思います。

 

そしてこちらが思わぬ収穫物となった

菅原道真公の産湯の井戸跡(の写真)。

 

レンガ塀の向こうは

菅原院天満宮の敷地。

菅原道真の出生地、

菅原家の邸宅跡といわれています。

 

平安女学院がこの地に移転する時、

その土地の歴史と

道真公が学問の神であることにちなみ、

学校名を「道真学校」とする意見もあったとか。

 

権利とかいろいろ曖昧だったのか、

現在は平安女学院の敷地内になっていますが、

井戸はきちんと保存されていました。

 

今回は平安女学院明治館を記録しました。

 

京都で年々、盛り上がりを見せる

近代建築ブーム。

 

ブームが起これば

一般公開へのハードルが下がる!

一般公開の入場料で

修繕や保存ができる!

 

街並みにとけ込むレトロたちを

文化財としてみんなで再認識して

積極的な公開そして保存が

進んでいくといいですね。

 

京都は時代を問わず文化財の宝庫です。

京都にはきっと、

いいえ、京都にこそそれができると

私は思います。

 

それでは、

次はどこを記録しようかな~ランニング

 

今回の記録は下記を参考に作成しました。

 

今回の記事の中に登場した

以前に記録したレトロの記事はこちら