また新たなこと考えだした。
思考が止まりません。
色んなことすぐ忘れちゃうから脳みそは使っておこう。考えることは脳みその運動だ。


飴と鞭っていうね。
これを考えてしまったわけです。

あたしは基本優しさを持って人と接する。
それはもちろん、いい人でありたいから。
でもそれだけじゃない。
そうすることによって相手は不快にならないし、気持ちいいじゃん。
時には厳しいことも言わないといけない時もありますね。
でもどっちが多い方がいいかっていうと、優しさが多い方がいいと思うのよ。


そんなこんなで今までを振り返ってみた。
自分がちゃんと飴と鞭の使い分けが出来てたかっていうところ。

結果からいうと、飴しか与えてない。


嫌いな人以外にはすごく優しく接するし、何か教えたりする時も、何ができないのかをまず自分がよくチェックして、細かいところまで教える。
もちろん、何ができないのかを聞いた上で教えたりもする。

もし、怒らなきゃいけない場面に遭遇しても、怒るというよりは優しく注意する。
怒れないだけなんだけどね。笑

基本は見守りたいタイプだし、本当に積み重なった時しかキレたりはしない。


だからそれが鞭にはならないのかなって思った。


でもあたしからすると、鞭っていらないなって思うんだよね。
鞭って怖いじゃん。
鞭でシバきあげた結果って、良い方には行かない気がするんだよね。

いつか限界を重ねて爆発するような気がする。


だからといって鞭がないってのはつけ上がっていくのかなって。

でもつけ上がった自分に何か嫌なことが降りかかってくるかっていうとそれはない気もする。


飴しか与えてない自分はもちろん嫌なことは降りかかってこないんだけど、与え続けた結果、相手が悪い方向に進んでしまうのかっていうことを振り返ってみたんだよね。

てなわけで、実際にアンケートじゃないけど、直撃インタビューしてみたら、飴しか与えてないんだけど、悪い方向には進んでないって結果を得られたんだよね。


それで安心していいかっていうとそうではないんだけどね。

相手によって、やり方は変えなきゃいけない。
人を見据えて、その人に合った接し方をする。

結局自分の空気を読む性質だの人間観察で得たその人のタイプとかで良い接し方をしなきゃいけないってことが当たり前のようにわかった。


飴を与え続けて悪くなった人がいないってことは自分のやり方は間違ってないんだって。
でもたまには鞭をっていうところも大事なんだなって。

これからも自分の感覚に素直であり続けて、ほとんど飴だけど、飴と鞭でうまく人と接していきたいなって。


今まで何度も言われたことだったけど、改めて考えるとやっぱり深いわ。


あたしのせいでわがままになったとかよく言われてたけど、あたしからしたらそれはわがままじゃなくてその人の欲求であって、欲求を満たしてあげることはいいことだと思うんだよね。

寝たい時は寝たい。ご飯食べたい時はお腹すいた。エッチしたい時はエッチしたい。
そんな三大欲求、それと同じことなんだと思うんだよ。

遊びたい、話したい、会いたい、どっか行きたい、
あれして、これして

これはわがままじゃなくて、欲求なんだよ。

欲求は自分で満たせるものと自分で満たせないものがあって。
自分で満たせないものは誰かに満たしてもらうしかないから。

それをわがままと捉えちゃうのは浅はかな気がするんだよね。


だからなるべくなら相手の欲求に対応していきたい。

それが度を越すと、都合が良いってなっちゃうから難しいラインなんだけどね。

都合が良い人っていうのはなるべく避けたいからね。


最近は自分の時間を欲してるところがあるから、余計に都合が良い人って思われるの嫌で。笑

なんだかんだ自分もわがままな人間なのでね。


その辺理解してもらえるとありがたいです。



ま、まだまだ色んな人に聞きたいことはあるから上手いこと聞いてこっと。


そんな感じです。