制限解除されたとともにルーティーン化された毎日を解除しつつある2020年。

なんだかんだ2、3年はおんなじ毎日だった気がする。


コロナだからって無理に自粛する必要なんてなかったけど、タイミング的にはコロナのおかげで制限が解除されてる感。


とある出来事がきっかけだけれども、こーなるとは思わなかった。

結局自分のかまちょ感を思い知らされるばかりで。



ま、そんな始まりですが、今日は運命について。

運命なんて信じてないし、運命なんて自分にあるものではないと思ってた。

がしかし、思い返すと1つだけあったことに気づかされる。

それでどーこーなったわけじゃないんだけれども、あーこれって運命だったのかなって思った。


一度、二度、三度と幾度となる奇跡じゃないけど、こんなことある?ってことが意外にもあったんだなって。

これに気づいた時、自分はどうゆう感情を抱くのか。
当時はなんともです。
今思い返しても、実際はなんともです。

ただ、これを聞いた人は完全に運命だと言い張る。
なんでそこから発展しないのか、と。


発展しないのは運命だとしてもそんな気はなかったってことだと思うし、今思うと逃してしまったのかもしれないけど、発展したとして、結局落ちぶれてしまった自分がそのまま続く関係を維持できたかもしれないとは思わない。

結局そこまでなんだろうけど、逆に発展していたとしたら、落ちぶれなかったのかもしれない。


理由はどーであっても、自分が諦めてしまったことについては後悔はないし、現に夢も希望も抱かない。

やる気が削がれてしまった時にはもう元には戻れないのも自分の性格であって。

ここで諦めというか、逃げっていうのも覚えてしまって。

最初は誰だって逃げることに抵抗するはずなんだけど、一度逃げてしまうと逃げ癖ってスキルを身につけてしまうもんで。
そのスキルを忘れることってなかなか難しいんだよね。

逃げも隠れもしない日々を送ってるうちに徐々に忘れていくのかもしれないけど、今と昔を比べたら、逃げるようなことって減ってるよね。

だからそのスキルを忘れてるかもしれない。

それが良いことなのか悪いことなのかと言ったら多分良いことなんだろうけど、要は考え方なのかなって。


昨日も飲みに行ったんだけど、お店に座ってたお客さんを見渡すと、高校の担任にそっくりな人を見かけて、当時を思い返してしまうっていう複雑な気分を味わったんだけど、酔ったせいもあって、頭では色々迷路でした。

本人じゃなかったとしても、会った気分になると思い出すことってあるよね。

それが良くも悪くも思い出だったりして。


自分がいかに思い出好きなのか思い知らされる。

深ーい話をするごとに当時を思い出し、あーだったこーだったって思い出の埋め合いっこ。

思い出だけで24時間話せるね。


運命だったと思うことも、思い出として残ってるんだから、思い出って大事なんだと思う。

それを共有できる人はもっと大事なんだろうけど。

それに付き合ってくれる人ってやっぱり歳を重ねるごとに減っていくんだろうなって思う。

でもそれに付き合ってくれる人がいるならその人達を1番大事にしたいとも思うのよね。

これはあくまでもあたしの主観だし、相手からどう思われてるかなんてわからないけども、自分ではわかってるつもりであって、そう思ってる人とそう思ってくれてる人は所謂ズッ友だよ!ってことなんだよね。

なんかこんな話をしてたら色んな人に会いたくなるから、自発的な行動もしないといけないけれども、あなたからのお誘いも待ってますよって感じです。

全然フッ軽じゃないけど、あなたのためなら飛んできたいですよって感じです。

あなたです。
誰でもないあなたなのです。


運命を信じますか?
運命は信じなくても訪れてるものみたいです。

信じすぎも良くないけどね。笑
って話です。