自他共に認めるサイコパスなんですが、気になりすぎて無料のサイコパス診断ってのをやったら安定してサイコパス判定いただきました。ご報告です。


コロナも収まりかけて、街には多くの人がうろついてる今日この頃。
本当に宣言解除されるのか否か。
マスクは阿部さんのおかげ(爆笑した。アホかよ。)で価格が下がってるらしいが、それでもまだまだ通常で買える値段じゃない。そして中国製。
感染者減ってても死者増えてないか?って思うよ。


そんなこんなで、今日は安定を求めて。
ってタイトルで始めましょう。

極度に変化を嫌がるあたし。
変化が受け入れられない。
変化は常にしてるもの。
それでもその変化に追いつけない。
これには原因があるはず。

我が家では最近ホームビデオたるものが定期的に流れる。
父の無駄遣いの1つ、VHSを焼き増しし、見れるようにしたため。

ま、これを改めてみると、明らかにガキ大将感が凄まじい、かわいい自分と出会える。

今のあたしを知ってる人の大半は、あたしがガキ大将なんて思わないはず。
小学生から親しい人、バレー部だったらわかるかもしれないが、わからない人もいるはず。

地域を占めるというか、家の前は縄張り意識があったかもしれない。

悪さしかしてない。
人んちにボールぶつけて隠れたり、人んちの植木に油かけたり、犯罪とは言わないけどもそれに近い行為は幼少ながら沢山してた。

そんなガキ大将が懐かしいもんだよ。
ホームビデオをみると、幼稚園でリーダーシップを発揮してる。
根は真面目だから間違ったことしたくないっていう気持ちから、お遊戯は言われたことをしっかりやる。
縄跳びとコマ回しと紙飛行機と折り紙はずば抜けててプロと称されたし、称してた。

そんな自分が変化に追いつけないようになったのは明らかに小学生時代。
それもしょうがないことではあるが、思春期の始まりに合併により友達関係とかわからなくなった。
ここでコミュ障の発症だよ。

自分より人気者っていうかリーダーシップっていうか、とりあえず自分より上がいることを知った。
自分が上っていうのもなかなかの勘違いようだけど、当時はガキ大将だからそれが当たり前って感覚で。

いきなり放り出されて自ら何かを発することはなくなった。

そして進学するにつれ、よりそれが増す。

自分を発揮できないから人の気を引くような行動を細々する。

それに食いついてくれた人が友達。

そんな感じ。


だから変人って言われるし、思われるし、わけわからん奴って認識になる。

でもそれが自分の最大限のやり方だった。


変化は常にするものだけど、自分を崩せないっていう頑固さの発揮。

自分というものを確立しすぎてて、普通の人が普通にやることを普通にできない感覚。

普通ってなんだ?
じゃなくて、
普通にしていいの?
って感じ。

普通がわからないわけじゃなく、普通をあえてやらない。やれない。
そんな感覚。

でも周りは変化に対応してる。

そーなると自分だけ取り残されてる感覚。

だから周りから去ってくっていうか、近くに居なくなると疎遠になってく感覚。

その感覚を普通に受け入れられる人が羨ましい。
自分は受け入れられないから、だからより変人感が増す。

変わらないっていうのは自分にとっては褒め言葉であって、貶されてる感覚にもなる。

心理状態が不安定ってわけじゃないけど、変化を嫌がるから、なるべく歳を重ねたくない。

歳を重ねるにつれ、周りがいなくなる感覚。
歳を重ねるにつれ、方向性を見失う。

でもその方向性は結果変わらないんだよね。

どーせ死ぬんだからやりたいことやろう。
どーせ死ぬんだからなるようになれ。
じゃあその逆は?
どーせ死ねないんだからやりたくない。
どーせ死ねないんだからこーなっちゃダメ。

そんな自問自答の繰り返し。

だから流行りのルーティーン?って言葉。
ルーティーンが確立されすぎてて、違うことを予定に入れられない。
崩したくない。でもやりたい。

葛藤の日々。

コロナでそんな葛藤も今はどこかへ行ってるんだけど、宣言解除されたらまた葛藤が始まるのかな?


結果的にこのままならいいのにって思う自分を見つけました。
クソ野郎だね!

ていうサイコパスなブログです。